第一話
夏休みは瞬く間に過ぎていった。アクエリが戻ってきて、クウリはアクィフォーレに仕事まで付いていく事がなくなった。代わりに、学校に行く前の準備をアクエリと一緒にした。やった事は主に学校で必要になってくる社会の常識の勉強や、一般魔法の練習だ。例えば、数は少ないけど生徒の中には貴族の子供もいるので他の人と交流する時は少し気をつけなければいけないらしい。身分制度が廃止されて長い日本から来たクウリにはちょっと慣れない風習だが、アクエリたちに迷惑がかからないようにできるだけがんばろうと思う。
そして、今日はいよいよクウリがアクエリに付いていって魔法学校に出発する日だ。クウリと他の二人は家の前で荷物を杖とホウキ(クウリ)に結びつけて互いに向き合っていた。
その光景は去年の夏とほとんど同じだった。ただ一つ、荷物が一つではなく、二つある事を除けば。
「二人とも学校でがんばって。クウリ、ちゃんと食べて、元気にしてるんだよ。それと、初めての本格的な魔法の勉強だけど、がんばって。」
とアクィフォーレが二人に別れの挨拶を言いながらクウリのことをぎゅっと抱きしめる。
「あはは、ちょっと苦しいよ、アクィフォーレ。」
最後にもう一度ぎゅーっと抱擁を交わしてからアクィフォーレがクウリを放した。
「お母さん、誰かの事を忘れてない? というか、もう行きたいのだけど。」
アクィフォーレの挨拶の途中から完全に除外されていて、その美貌には明確な苛つきが浮かんでいた。
「これくらいで怒らないの。これから一年近くも会えなくなる親子のお別れの邪魔をしないで。」
「それならここにいる娘とのお別れも惜しみなさいよ!」
「あんたにあげる惜しみなんてすっかり使い尽くしちゃったよ。もうちょっとクウリとのお別れをするから、あっちで待ってれば?」
と、意地悪な顔で言うアクィフォーレ。冗談で言っているのは分かりやすかったけど、それでもアクエリは少し寂しくて、反感を抱いた。
「分かったわよ! もう勝手にやれば! 私もお母さんとお別れなんかしなくてもいいんだから!」
大声でそう言い残し、アクエリは自分の荷物の方へ大股で歩いた。
「アクィフォーレ、いくら本気じゃなかったと言っても、あれはちょっと酷かったと思う。」
と、心配そうにアクエリの方を見ながら言うクウリ。
「ん、まあ、二人が出発する前にあやまるよ。」
「よかった。エリお姉ちゃんが怒ったまま旅に出たくなかったから。」
思わずクウリが本音を滑らす。
「ぷっ。心配ないよ。ちゃんと責任もってあの子の機嫌を取っておくから。けどそれより先にクウリに渡したい物があるの。」
「渡したいもの?」
「これをクウリにあげたくて。」
そして横から細長い袋を取り出してクウリに渡す。受け取った時、カチャっと金属音がした。
「ほら、開けてみて。」
いきなりのプレゼントにまだ戸惑っているクウリを急かすアクィフォーレ。
ドキドキしながらアクィフォーレにもらった物の包みをはがした。
「剣・・・?」
袋の中から現れたのは一振りの剣だった。鞘は凝ったデザインがされていて、狼の体が掘られている。そして、柄は狼の頭が口を大きく開けているようになっていた。どうして狼だろう、とアクィフォーレに聞いて、クウリと初めて会ったのが狼の魔物に襲われていた時だったからだと言われた。そして、その意匠は見事で充分驚くのに値するが、クウリがさらに驚いたのは剣を抜いてみた時だった。
剣を抜いた時一瞬光の反射がまぶしくて目を閉じたけど、目を開けて剣をよく見た時、さらに目を開いた。この剣は刀だった。細部の作りは刀とは違うけど、それは片刃の剣で刀身が反っている。そして刃の方は鉄を切れそうなほど鋭そうだ。
「アクィフォーレ、この剣って、カタナ?」
「そうだよ。クウリの話から聞いた物を想像と理屈で補ってみて、街にいる、インフェルノから来た腕のいい鍛冶屋に作らせてみたんだ。クウリ、どう思う? 知ってるカタナと似てる?」
クウリは頷きながら手に持った刀を何回か振ってみて、そのバランスの良さと作りの見事さに驚嘆した。
「うん、すごくいいよ。でも、少し重いかも?」
試しに刀を振っていた時に思ったけど、普通の刀より倍の重さがあるようだ。振れないことはないが、少し使いにくいかもしれない。
そんな考えをしている時、アクィフォーレが話しかけた。
「今は重く感じるかもしれないけど、魔法で体を強化すればそれほど気にならないよ。それと、その剣が重いのは刃こぼれとかをしにくいように、思い切り固い素材を使うように頼んだから。だから、少し乱暴に使っても大丈夫だよ。まあ、そんな激しい戦いに巻き込まれない方が一番だけど。あと、この剣はまだいい特徴はあるのよ。クウリ、ちょっと柄の部分を見てみて。」
よくみると柄の横には縦長に溝があって、何かを嵌め込むためのような仕掛けがあるみたい。
「アクィフォーレ、この溝は?」
「この溝は杖を嵌め込むために掘ってあるのよ。」
「杖を・・・?」
杖って、アクエリが持っている、今は荷物が括りつけられている、杖? 思わず、視線がアクエリの方に向いた。
混乱した顔をしているクウリを見て、アクィフォーレがちょっと笑った。
「あはは。確かにアクエリの持っているのも杖だけど、そんなのを持ちながら剣で戦うってやりにくいでしょう? だから、それを小さくさせて、剣に嵌め込めるのよ。杖を小さくしちゃうのはそれで短所もあるけど、剣を同時に使える便利さが剣士にはありがたいからその短所に目をつぶる人が多いのも事実よ。ほら、アタシの剣にも杖がついてるでしょう?」
アクィフォーレの剣の柄を覗き込み、クウリの刀の柄にもある溝に杖が嵌め込んであるのを確認する。
「なるほど。あの、小さい杖の短所ってなに?」
「うーん、それはちょっと説明しにくいし、学校で教えてもらえるから、今はやめておくよ。そんなことよりほら、これも受け取って。」
そう言って、懐から20センチほどの長さのある杖を取り出して、クウリに渡した。
「とりあえず、剣に嵌めてみて。ちゃんと剣に合うかどうか見てみたいから。」
アクィフォーレの言葉通りに従って、杖を剣に嵌めてみる。ぴったり合うみたいだ。それをアクィフォーレに報告したら、彼女は嬉しそうに笑った。
「よかった。実はまだ試していなかったから、ちょっと緊張しちゃった。じゃあ、なくさないように気をつけて。」
「うん。それと、ありがとう、アクィフォーレ。凄く嬉しいよ。」
まぶしいくらいにいい笑顔でプレゼントのお礼をいうクウリ。
「それがクウリの役に立てるように期待しているよ・・・さて、そろそろ行かなくちゃね。アタシもアクエリと仲直りしなくちゃ。」
アクエリの方へと歩くアクィフォーレを見ながらクウリは改めてもらった刀を見つめた。やはり、すごくいい刀だ。アクィフォーレにはいくら感謝しても感謝しきれない。
刀を袋に仕舞い直してから自分の荷物と一緒に自分が使うホウキに結びつけて、それが終わると、アクィフォーレに最後のお別れを言うためにアクエリをなだめ終わっていたアクィフォーレたちに近づいた。
「そろそろ出発しましょうか、クウリ。」
クウリに気づいたアクエリが言う。
「分かった。」
今度はクウリからアクィフォーレにハグしながら、最後にもう一度さようならを言う。
「バイバイ、アクィフォーレ。剣をくれてありがとう。大切に使うよ。」
「クウリ、また来年までしばらくお別れね。」
そしてアクエリに向かって手で招く。
「ほら、アクエリも来なさい。二人ともぎゅっと抱きしめたいんだから。」
アクエリは、しょうがないわね、見たいな顔でアクィフォーレに近づいたけど、アクィフォーレに抱きつかれた顔は決して嫌な顔ではなかった。
やがて、クウリ分とアクエリ分を補充し終わったアクィフォーレは二人を放した。
「さっ、早く行かなくちゃ行けないんでしょう? さっさと行っちゃいなさい。」
しっしっと手を振り、二人を急かした。
「もう、分かったわ、お母さん。さあ、クウリ、行きましょう。」
アクエリに頷きながら、自分のホウキの所に戻ってその上を跨いだ。
「お母さん、また来年。手紙を書くから。」
「クウリのこと、よろしく頼むよ。」
「まかせて。心配はいらないわ。ちゃんとクウリのことを見守ってるから。」
すぐ側にいるのに自分の事をまるで小さな子供のように話すのは少し恥ずかしい。けどそれと同時に、自分はまだこちらに来てから一年とちょっとしか経っていないから、心配なのは仕方がないとも思う。
そんな会話が少しの間続き、それが終わるとアクエリは自分の杖を浮かして、数メートル上空でクウリの事を待った。
クウリはアクエリに続けて、自分のホウキも浮かし、アクエリと同じ高さまで上った。
アクエリと並んだ時、もう一度振り返って、アクィフォーレに手を振った。アクィフォーレも手を振って、それを見た二人はゆっくりと北の方に向かって飛び始めた。
アクエリはそれから一度も振り返らなかったけど、クウリは我慢ができなくて、アクィフォーレが見えなくなるまで何度も、何度も振り返って、その度に手を振った。それを見ていたアクエリはおかしくて少し笑ったけど、自分でも自分を止められなくて、気がつくとまた振り返って、手を振っていた。
けれど、クウリが何度もアクィフォーレの姿を見るために振り返るのも仕方がない。クウリがよく知っている人はアクエリとアクィフォーレ、それと警備隊にいる少ない知り合い。それに、アクエリは9ヶ月も家から離れていたので、アクィフォーレはすでに一番よく知っている人になっている。面白い事に、今年は自分が離れていくのに、その想いは去年アクエリが家を出た時と似ている。
ティアレイク家が見えなくなってからしばらく二人の間に沈黙が続いた。別に話したくないという訳ではなかったけど、今までの生活に一区切りがついて、これからは新しい生活が待っているのを考えると、どうしても感慨深い想いにかられる。
やがて、アクエリが沈黙を破ってクウリに話しかけた。
「クウリ、夕方までに二つ先の町まで行くつもりだけど、もし疲れたら遠慮なく言って。今年は余裕を持って出発したし、これはクウリにとって初めての長旅だから、いろいろ慣れなくて気疲れとかしちゃうかも。」
「ありがとう、エリお姉ちゃん。疲れたら言うよ。」
「少し速度を上げるけど、いい? そんなにじゃないから、心配しないで。」
「うん、大丈夫。エリお姉ちゃんが学校に行ってた時、たくさん練習してたから。」
「そっか。じゃあ、少しだけ。」
徐々に速度を上げ、離れていくアクエリの背中に追いつくためにクウリも速度を上げて、顔に風を受けながら王都への旅路を行った。