【番外編】知の少女の羞恥 2
その日から、ゆっくり、一つずつ、クロエラはひたすら思考に没頭した。
両親や使用人たち、護衛騎士たちは静かに、そっと見守ってくれた。
たかが子供の無知だと、大人はたぶん許すだろう。
でも、クロエラはどうしても許せなかった。無知を、ではなく、無意識に人を見下す自分を。
マジョルテは、剣術が得意だ。でも、ルディオと仲がいい。
双子だからじゃない。お互いが、お互いの得手不得手を尊重して、支え合っているからだ。
ノーマンが乱暴? クロエラは、ちゃんと嫌だと伝えたことがあっただろうか。
ノーマンが運動することが好きと知っているのに、一緒に遊ぼうとしたことがあっただろうか。
ノーマンは、いつも必ず誘いに来た。
怒ってばっかりだったけど、大きい彼にはわからないはずの感覚を、クロエラは説明したことがない。
いつも、ノーマンばかりがクロエラに話しかけて、誘って、手を引く。
クロエラは、一度も誘ったこともなければ、できるだけ離れて過ごしていた。
「ノーマン様」
名前を呼ぶと、びっくりした顔の婚約者が振り返った。
ああ、そっか。名前すら、呼んでいなかったのか。
「手、強すぎて痛いです。歩くの早すぎます。追いつけません」
「え、痛い? ごめん。これくらい?」
あ。怒らないんだ。
「あと、虫も蛙も嫌です」
「そうなの? 可愛いのになあ。見るだけならいい?」
「……触らないなら」
ああ。可愛いと思うものを共有したかったのか。
「大きい声も苦手です。ノーマン様は身体が大きいから、怖いのです」
「え。そうなんだ。ごめん」
「置いていかないでほしいです」
あ。クロエラは、これを一番伝えたかったのかもしれない。
目頭が熱くなって、ぎゅっと眉間に皺を寄せた。
「……さっさと歩いて行かないで」
「ごめん。わかった」
歩幅が違うのだ。早くて大きな足は、あっという間にクロエラを置いて行ってしまう。
階段が、とか、速さが、とか、拙い言葉で言い募るクロエラの話を、ノーマンは遮らずに聞いていた。
それから、手をつなぎ直して、慎重に一歩ずつ進む。
振り返って、クロエラの歩幅を確認して、また進んで、振り返って。
そう、こうやって歩きたかった。伝えてもよかったことなのだ。
「……ノーマン様、馬鹿にしててごめんね」
「ははっ。俺、馬鹿にされてたの? まあ、馬鹿だしなあ」
こんなに失礼なことを言っても、朗らかに笑っている。
本当に強い人は、きっとおおらかで大雑把なのだ。受け止める度量があるから。
「でも、お婿さんに来るなら、勉強はしましょう」
「そうだよな……馬鹿は困るよなあ。クロエラが教えてよ」
「よ、喜んで!」
なんだ。なあんだ。ちっとも難しいことじゃなかった。
歩きづらそうなノーマンのために、いつもより早めに足を動かしながら、クロエラはやっと笑顔を浮かべた。
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「クロエラー」
思い出に浸っていたクロエラは、自分を呼ぶ婚約者の声に、ふと顔を上げた。
何度思い返しても恥ずかしい、思い上がった幼すぎる思い出だ。本当に恥ずかしくてたまらない。
この羞恥は、あえて繰り返し思い出すことで、自分を律すると決めている。
「クーローエーラー」
「あ、はーい」
そういえば、返事をしていなかった。慌てて声を上げ、庭にいる婚約者の元へ急ぐ。
「ちょっ、ノーマン様! 服着て!」
素振りをしていたはずのノーマンが、上半身裸でびしょ濡れで立っているのを見て、ぶわっと顔が熱くなる。
咄嗟に背中を向けたが、心臓が壊れそうなほどバクバク鳴っていた。
「え? ごめん、暑いから水浴びしたんだよ。タオルほしいんだけど」
本当にもう、昔っから謝るのは上手なんだから!
真っ赤なまま使用人からタオルを受け取り、背中越しに手渡す。
振り返れるわけがない。鍛えて割れた腹筋なんて、婚姻するまで見るはずがないものなのに。
「あれ? クロエラ、なんか赤くない? 風邪か?」
「ちょっ」
赤く染まっているであろう耳の先に触れられて、ますます身体が火照る。
本当に、こういうことを意識しないでやるからたちが悪い。
「は、離れてください」
「なんで? クロエラと一緒がいいんだけど」
「な……っ」
「俺、クロエラ好きだしなー。ちっこくて可愛いし」
ぷるぷる震えたクロエラは、涙目で振り返って腹の底から叫ぶ。
「ほんっと、そういうとこ!!!!!」
ありがとうございました。




