【番外編】ハマン侯爵家の双子 2
いつかのように、マジョルテとルディオは父の書斎を訪れていた。
八歳になったばかりの頃も、こうして二人並んでソファに座り、父が帰るのを待っていた。
「緊張するわね」
「ああ」
姉の声は、かすかに震えている。
ルディオも手が震えんばかりだったが、それなりの経験を経た今はどうにか隠せている。
第一王子とピンクの少女の婚約破棄騒動、その終幕となった王宮での出来事は、七日前のこと。
双子はその日のうちに侯爵家に帰ったが、父は帰宅することなく事態の対応に当たっていた。
昼過ぎに戻るから書斎へ、という手紙が届いた瞬間から、双子は緊張と恐怖と、少しの喜びに心が落ち着かなかった。
「待たせたな」
前触れなく扉が開き、いつも通りシンプルなシャツとスラックス姿で、しかしわずかな隙も見せない佇まいの父が入って来る。
双子は同時に立ち上がり、礼をとって父の多忙を労った。
父が向かいに座り、メイドの運んだ紅茶に口を付ける。
「まずは、此度の件。二人ともよくやった。誇らしく思う。陛下より、個別に褒賞をと伺っている。考えておくように」
「「ありがとうございます」」
「それとルディオ。確認しておきたい」
「はい」
いくらか柔らかい、父にしたら『家仕様』というゆったりとした口調に、それでも背筋が伸びた。
なぜだろう。父を前にすると、たとえ晩餐だろうと気が抜けないと思ってしまう。
観察されているでも、試されているでもないのに。
「王太女殿下は、婚約者におまえを望んだ」
「光栄なことです」
「殿下の歩まれる王位への道は、険しく厳しい。謂れなき非難は避けられず、女性であるという点でも攻撃を受けやすいだろう」
そうだと思う。ルディオは、素直に頷く。
国王陛下や重鎮たちは、事の経緯をくまなく知っている。しかし、そうでない者も大勢いる。
正統なる継承者を排し、王太女となったアナスタシア。
理由や経緯を公表した後でも、囁く声は消えないだろう。
『簒奪者』、『正統な継承者を追い落とした傍系の王女』と。
正しく清い現実より、醜く後暗い噂の方を好む人間は、割と多く存在する。
そして、男性よりも純粋な力に及ばない女性は、物理的にも危機を感じる場面は多くなる。
「王太女殿下は、王位継承者としての教育をこれから受けることになる。そして、婚約者となったとすれば、おまえは王族教育と王配教育のどちらも両立しなければならない。本来、幼少から受けるはずのものを。公務も徐々に増えるだろう」
つまり、学園に通う時間はおろか、寝食すら削られるほどの教育が待っている。
「私は、王太女殿下の婚約者であることを望みます」
一瞬の迷いもなかった。
だって、見ただろう。陰に徹し、陰であることに誇りを持っていた彼女が、陛下の御前で見せた覚悟を。
本当なら、侯爵家の次期当主であるルディオの婚約者として、いずれ侯爵夫人になる女性だった。
王弟の父を持ち、王族教育を受けていても、彼女はただの侯爵令嬢だったのだ。あの瞬間まで。
「王太女殿下が望み続けてくださるよう、いかなる努力もいたします」
アナスタシア以外など、考えたこともない。
いつだったか彼女に告げた言葉に、嘘はひと欠片もない。
「そうか。だが、ルディオが次期王配となるなら、マジョルテ。おまえが侯爵家の後継となるが?」
「わたくしはあの時から、次期当主のスペアとして備えてまいりました。未熟者ではございますが、これからも怠るつもりはありません。王太女殿下の治世が訪れた時、わたくしが王配の後ろ盾となります」
「……そうか」
父はため息をつくように、笑ったようだった。
漆黒の瞳がわずかに細まり、懐古の色を宿す。
「大きくなったものだな」
たった一言。ただ褒められる言葉より、雄弁な声音だった。
まだまだ父の足元にも及ばない自分たちには、過分だと思うほどに。
「……父上のお陰です」
ついこぼすと、父はひらひらと片手を振り、否定する。
「おまえたち自身の努力だ。不思議なものだな。私はほとんど家にも戻らず、帰っても見るのは寝顔か、たまの晩餐の場くらいだというのに。妻の献身が身に染みる」
寝顔を見られていたとは、初めて知った。
「お母様にも感謝しています。ですが、わたくしがこうしていられるのは、やっぱりお父様のお陰だと思います」
「姉の言う通りです。父上は、私たちを放ってばかりだといつもおっしゃいますが、そんなことはありません」
なぜか父は昔から、家庭人としての自身を評価しない。
比重は傾いてはいるかもしれないが、母はいつも父の惚気ばかり話すし、妹だって懐いているのに。
「手紙には必ず返事をくれますし、記念日や誕生日などの祝いには短時間でも帰宅して、直接言葉や贈り物をくださいます。友人たちの父母に、私たちの様子を聞いているのも知っています」
「昔、わたくしが愚かな発言をした時だって、根気強く付き合ってくださいました。おざなりに扱われたことも、邪険にされたこともありません。わたくしたちは、恵まれております」
口々に言うと、珍しく父は照れたように視線を泳がせて、口元を隠した。
もっと言いたいことはあるが、これからは一つずつ伝えてもいいだろうか。
話題を変えようと思ったのか、父が小さく咳払いをする。
「マジョルテが後継になるにあたり、婿入りする婚約者を決めようと思う。強く推薦されてな……まだ早いと言ったのだが」
「いえ……早くは、ないのでは……」
もう十七歳。高位の貴族令嬢としては、遅いくらいである。
躊躇いがちに否定するマジョルテに、父はなぜか不満げに鼻を鳴らした。
「後継者教育も佳境に入るし、学園だってある。何も今婚約せずとも」
「ええと……補佐となる婿ですから、教育は早い方がいいのでは?」
「ルディオが次期王配となれば、我が家は王家の外戚だ。政治的なバランスが必要だと説かれた」
「その通りだと思います……」
父娘のやり取りを聞きながら、もしや、とルディオは思う。
もしやこの父、意外と普通の父なのでは。
これは、なんとなく娘の婚姻相手が気に食わない、理由はないが。というやつでは。
そもそも、政治的バランスを見るために、後継のスペアであるマジョルテの婚約者はまだ決めていなかった。
候補者は何人かいて、それなりに交流もしているから、突然というわけでもない。
なのに、この渋りよう。どちらかと言えば、駄々に近い。
────これは、妹の時はもっと大変だな。
必死に父を説得する姉を、ルディオは微笑みながら眺めていた。
ハマン侯爵家の双子の話は、以上となります。
ありがとうございました。




