【番外編】第一王子 2
血などの不快な表現があります。
ディーンを蹴落とし、王太女となった次期国王。
宿敵とも呼べる彼女は、これまでも経緯の確認などのために自ら足を運んで来た。
「使えばいいのにね。きみの周囲は、自分じゃ動けない奴らばかりなの?」
「いいえ。わたくしが、あなたと対話したいだけです」
なんだか腹立たしくて挑発しても、アナスタシアは微塵も揺るがない。
他人は利用するものであり、自分のために感情を乱されるべきと信じるディーンとは、考えるまでもなく水と油だ。
そして、他人からの感情に左右されないはずのディーンが、苛立ちや憎しみを抱くのもまた、彼女だけ。
なのに、黙ってやり過ごそうとは思えず、いつものように聞き流すのも難しい。
「あなたは、恋人であったピンクの髪の少女を、愛しく思っていましたか」
投げかけられたのは、事実の確認というより、普通の友人と交わすような心の機微の話題。
ディーンは笑み、首を傾げる。
「思っていたよ。少なくとも、あざとい恋人の可愛らしい我儘を叶えてやろうと思うくらいにはね」
「あざといのはわかっていたのですね」
「それはね。あからさまに媚びるし、演技だって下手くそ。でも、彼女が僕のためにそう振舞っているのは本当。どうしても口説き落としたかったんだよ、僕を。可愛らしいじゃないか」
「なるほど。あなたからの愛を求めて、あざといまでに振る舞うのが、好ましかったのですね」
「ふふ、そう。必死になって追いかけられるのは、気分がいい」
嬉しそうに笑うディーンに相対するアナスタシアは、ここに来る時は淑女の笑みさえ浮かべない無表情。
それも、ディーンが彼女との対話を拒まない理由だ。
いつだって完璧に淑女として装うアナスタシアが、ディーンの前でだけ表情を繕えなくなるというのは、仄暗い喜びを感じる。
「では、ヴィクトリア様より彼女を選んだのは、あくまで我儘を聞いてあげるためですか」
「ん? ヴィクトリアは、僕のだよ?」
意味不明なことを問われた。
ディーンは困った子供に向けるような目で、宥めるようにアナスタシアに繰り返す。
「ヴィクトリアは僕のものだ。あの子は僕のために生まれて、僕のために生きてきたんでしょ? あの時、そう言ったじゃないか。だから、妃はヴィクトリアだ」
「……では、彼女は?」
「強制就労してるんでしょ?」
「…………」
理解が遅いのは、尊き血が半分しか流れない弊害だろうか。
ディーンには、アナスタシアの困惑の意味がわからない。
「彼女は僕の恋人になった罪で、死ぬまで強制労働に励む。平民が見た一時の夢の代償と考えれば、まあ仕方ないんじゃない? ヴィクトリアほど頑張るとは、言えなかったんだから」
「……なるほど。あなたのために努力できないから、罪人として裁かれても致し方ないと」
「僕に選ばれるには、それくらい当然でしょ? ヴィクトリアはそうしたんだから、比べられるのは必然だ。きみだってそうじゃないか。自分のために僕を蹴落とそうとしてる」
「それについての問答はやめましょう。おそらく平行線です」
一つ息を吐き出したアナスタシアは、どこか諦観や憐憫を含んだ目で、ディーンを苛つかせる。
いつもそうだ。この女は、いつでもディーンを見下す傲慢が透けて見えた。
ああ。やはりあの時、息の根を止め損ねたのが悔やまれる。
「きみは、何がしたいの? 僕がここを出たら、きみはまた侯爵令嬢に戻れるとでも思ってるの? 僕がそれを許してやると?」
「あなたは刑を受けた身です」
「はは。父上と母上が、僕を出さないわけないだろ。たかが養子と実子じゃ、比較にもならないよ」
「……それは、誰かにそう言われたのですか?」
「馬鹿にしないでほしいな。僕は、他人の言に左右されたりしない。当然決まっていることを、わざわざ僕に説く無能もいらない」
なるほど、とまた頷いて、やっぱりアナスタシアは憐れむように目を細めた。
生まれた瞬間から、ディーンは特別だったのだ。もちろん今も。
それこそがディーンの価値観から導き出した〝正義〟であり、覆されることは許さない。
頑なに自分の価値観のみに固執し、現実に起きた出来事すら都合のいいように歪めてしまう。
他人から見たディーンの姿を、彼自身が映すことは決してない。
「わかりましたわ。ああ、これはわたくしと両親からです」
手に持っていたワインを、アナスタシアが二つのグラスに注ぐ。
同じ瓶から注がれた片方を、肩を竦めてディーンは兵の手から受け取った。
今日は朝から飲み物も差し入れられなかったから、ひどく喉が乾いている。
ぐっと一気に煽ると、強いアルコールの中に仄かな甘味を感じた。
アナスタシアも口を付けているから、質の悪いものではないはずだが。
「これ、何のワイン? 渋みが足りないね」
「あなたの愛した平民の彼女には、ある程度の恩赦を検討しています」
ハンカチで口を拭いながら、変わらぬ無表情のアナスタシアが告げた言葉に、ディーンの眉間に皺が寄る。
尊い自分をこんな劣悪な環境に押し込んでおいて、たかが平民の罪人に恩赦を与えるなど、正気だろうか。
「そうですね。たとえば、期間に条件を設けるとか、態度次第では解放も望めるようにするとか」
「……ふざけているのか。あんな女はどうでもいい。早く僕を出せよ」
「まあ。一度は愛して、婚約者を捨てようとなさったほどですのにね」
「だいたい、」
瞬間、ディーンは全身が焼き切れるような痛みに思わず悲鳴を上げた。
ゴホッと咳き込むと、口から飛び出した赤が湿った石の床を染める。
「は……? な、おまえ、飲んで……」
「意外と察しが悪いのですね。ワインの時点で気づかれると思っておりました」
そのために別の手段も考えていたと、激痛と悪寒に床を這いずるディーンを、アナスタシアの無表情が眺めている。
「あなたは、自分しか愛さない。自分しか愛さないあなたは、きっと孤独なのでしょうね」
そんなはずはない。
ディーンはたくさんの人たちに囲まれて、いつだって中心だった。
「あなたが引いた線の内側には、あなたしかいない。周囲はその線の向こう側から、声を上げていたに過ぎない」
それは、特別だったから。ディーンが。ディーンだけが。
否定の言葉が、吐く血に変わる。
「あなたの来世が、どうかまっすぐであることを祈ります」
遠のく耳に届いた最期の声は、ディーンの心には届かない。
元第一王子の番外編は以上となります。
親や周囲がどんな風でも、どうしようもないことってあるよね。
というお話を書きたかったのです…




