獣人斥候の誓い
クリスタル・ゴーレム討伐という偉業は、俺たちを一夜にして街の英雄へと押し上げた。『流星コンビ』の名はギルドに知らぬ者がいないほどになり、街を歩けば子供たちから「ゼノンだ!」「ルナちゃんだ!」と指を差されるほどだった。
名声は、俺たちの配信をさらに盛り上げたが、それは同時に、諸刃の剣でもあった。ルナの顔が、街中の人々に知れ渡ってしまったのだ。
その日、俺たちは次の配信のための準備品を買い揃え、大通りを歩いていた。その時、ふとルナの足が止まった。彼女の顔から血の気が引き、その翠色の瞳が、道の向こうに立つ一人の男を捉えて凍りついている。
俺もその男の顔には見覚えがあった。肥え太った、品性の欠片もない顔。かつてルナが囚われていた檻の前で、彼女を鞭打っていた、あの奴隷商人だ。
男もこちらに気づいたようで、汚い歯をむき出しにしてニヤニヤと笑いながら近づいてきた。
「よう、久しぶりじゃねえか、"商品"のルナ。今じゃ街の人気者らしいなァ?」
男の粘つくような視線に、ルナの身体が恐怖で微かに震えるのが分かった。俺は咄嗟にルナの前に立ち、男を睨みつけた。
「何の用だ。彼女はもう、あんたとは何の関係もない」
「へっ、そうもいかねえな」
男は俺をせせら笑うと、声を潜めて言った。
「こいつは元々俺のモンだ。いいか、小僧。こいつの過去……奴隷市場でどんな扱いを受けてきたか、どんな汚い仕事をさせられてきたか……そういう話を、お前の大事な『配信』とやらの視聴者に聞かせてやってもいいんだぜ?」
卑劣な脅迫だった。ルナが最も触れられたくないであろう過去を人質に取る、最低のやり方だ。
「……っ!」
ルナが息を呑む。俺は怒りで目の前が赤く染まるのを感じたが、男は「また来るぜ」と言い残し、人混みの中へと消えていった。
その日以来、ルナの笑顔は消えた。配信中でも、時折何かに怯えるような表情を見せるようになった。俺が何を尋ねても、「大丈夫」と力なく笑うだけだ。彼女は、俺に迷惑をかけたくない一心で、一人で恐怖と戦おうとしていた。
数日後、俺は思いつめた様子のルナを宿屋の部屋に呼び、真っ直ぐに彼女の目を見て言った。
「ルナ。俺は、お前のパートナーだ。守られるだけの弱い存在だなんて、一度も思ったことはない。お前が抱えている問題を、俺にも半分背負わせてくれ」
俺の言葉に、ルナの瞳から大粒の涙が溢れた。彼女はしゃくりあげながら、これまで一人で抱え込んでいた恐怖と、奴隷商人の脅迫について、すべてを打ち明けてくれた。
ひとしきり泣いた後、彼女は涙で濡れた顔を上げ、震えながらも、しかし強い意志を宿した瞳で俺を見た。
「……ゼノンさん。私、もう逃げたくない。あいつと、戦いたい」
「ああ、もちろんだ。どうやってあいつを叩きのめすか、一緒に考えよう」
「ううん」
ルナは首を横に振った。
「私に、考えがあるの。だから……信じて、手伝ってほしい」
翌日のダンジョン配信。俺たちは、ルナの計画通り、あえて人気の少ない鉱山エリアへと足を踏み入れた。視聴者たちは、いつもと違うルートに首を傾げている。
名無しさん:今日はこっちのルートなんだ?名無しさん:あんまり旨味のないエリアだよな?
そして、計画通り、通路の先からあの奴隷商人が姿を現した。手には、下品な笑みと、一本の錆びた剣。
「よう。待ちくたびれたぜ、裏切り者の商品が」
配信中とは知らずに現れた男に、コメント欄が騒然となる。
名無しさん:!? 誰だこいつ!?名無しさん:ルナちゃんが怯えてる……まさか!
「さあ、お前の汚い過去をバラされるのが嫌なら、大人しく俺の言うことを聞け。まずはそのポーターを殺し、お前は俺の奴隷に戻るんだ」
男が下卑た言葉を吐き続ける。だが、ルナはもう震えていなかった。彼女は毅然として一歩前に出ると、男を真っ直ぐに見据えた。
「……確かに、私には奴隷だった過去がある。でも、それはもう、今の私じゃない!」
ルナは斥候としての能力を、全神経を集中させて解放した。驚異的に研ぎ澄まされた聴覚が、男の服の擦れる微かな音を拾う。鋭敏な嗅覚が、男が隠し持っている物の匂いを嗅ぎ分ける。
そして、彼女は言い放った。配信カメラである俺の視点に向かって、全世界の視聴者に届くように。
「お前が脅しの材料にしてる私の過去より、よっぽど価値のあるものが、お前のその懐には入ってるんじゃない?――『闇ギルドとの麻薬取引に関する秘密帳簿』がね!」
「なっ……!?」
奴隷商人の顔から、血の気が引いた。なぜそれを、と動揺が走る。その隙を、ルナは見逃さなかった。
「ゼノンさん!」
「ああ!」
逆上した男が剣を振り上げるより早く、俺たちは動いていた。俺が男の体勢を崩し、その隙にルナが懐に飛び込み、一冊の汚れた手帳を鮮やかに抜き去る。
すべては、一瞬の出来事だった。証拠を奪われ、すべての悪事を配信で暴露された男は、その場に崩れ落ちた。
名無しさん:ルナあああああああああああああああああああ!
名無しさん:かっこよすぎる!!!!!!!!!!!!
名無しさん:これは惚れるわ……
名無しさん:トラウマを乗り越えたんだな……!
コメント欄は、ルナへの賞賛で埋め尽くされた。彼女はもう、守られるだけのヒロインではない。自らの意志で過去を乗り越え、俺と並び立って戦う、真のパートナーだった。
事件が解決し、俺たちは鉱山エリアの探索を再開した。その奥で、俺たちは偶然にも、壁に刻まれた奇妙な紋様を発見する。古代の文字のようにも、何かの回路図のようにも見える、不思議な紋章。
「なんだろう、これ……」
今はまだ、その意味を知る者は誰もいなかった。俺はとりあえずその紋章を記憶に焼き付けると、隣で誇らしげに胸を張るパートナーに、心からの笑みを向けた。俺たちの絆は、また一つ、強く、そして深くなっていた。




