二人のダンジョン攻略
宿屋の一室。湯浴みを終えた少女――ルナは、俺が買い与えた清潔な服を身にまとい、部屋の隅で膝を抱えていた。汚れは落ちたものの、その翠色の瞳は依然として警戒心と怯えに濡れている。
「……改めて、自己紹介する。俺はゼノンだ」
俺はベッドに腰掛け、できるだけ穏やかな声で話しかけた。
「奴隷として君を買ったつもりはない。君を縛るつもりもない。ただ、あの状況が見過ごせなかっただけだ」
俺は単刀直入に本題を切り出した。俺が『絶対視聴者』という特別な加護を持つこと。ダンジョン配信で生計を立てようとしていること。そして、彼女が持つ斥候としての能力を必要としていること。
「だから、提案がある。俺のパートナーになって、ダンジョン配信を手伝ってくれないか。もちろん、報酬は折半だ。もし嫌なら、今すぐここから出て行ってもいい。そのための路銀も渡す」
ルナは、信じられないという顔で俺を見つめていた。無償の優しさなど、彼女の世界には存在しなかったのだろう。
「……どうして、私なの? 私は、ただの奴隷で……何の役にも……」
「そんなことはない」
俺は彼女の言葉を強く遮った。
「君の瞳を見た。あの状況でも、君は奴隷商人に屈していなかった。その強さがあれば、君は最高の斥候になれる。俺が保証する」
まっすぐに彼女の瞳を見つめて告げる。ルナは息を呑み、何か言いたげに唇を震わせたが、結局言葉にはならなかった。
俺は一つの金貨袋を彼女の前に置いた。
「まずは一度だけ、一緒にダンジョンに行ってほしい。それで君が決めればいい。俺と組む価値があるかどうかを」
翌日、俺たちはダンジョンの浅い階層に立っていた。ルナは俺が買い与えた軽装の革鎧と短剣を手に、まだ戸惑いを隠せない様子だ。
「準備はいいか?」
彼女が小さく頷くのを確認し、俺は心の中で念じた。
――"配信開始"!
視界に【LIVE】のアイコンが灯る。視聴者数は、あっという間に50人を超えた。前回の衝撃的な配信を見ていた者たちが、待ってましたとばかりに集まってきたようだ。
名無しさん:キターーー!
名無しさん:待ってたぞ、謎の最強ポーター!
そして、すぐに視聴者の目は隣に立つルナへと注がれた。
名無しさん:お? 隣のかわいい子は誰だ?
名無しさん:まさか昨日の10万Gで買った奴隷?w
名無しさん:趣味悪いぞーw
下世話なコメントが流れるが、俺は無視してカメラ代わりの自分の視点に向かってはっきりと告げた。
「紹介する。今日から俺のパートナーになってくれる、斥候のルナだ。奴隷じゃない、俺が実力を認めてスカウトした、最高の仲間だ」
俺の言葉に、ルナの肩がぴくりと震える。コメントの流れが少し変わった。
名無しさん:へえ、パートナーか!
名無しさん:お手並み拝見といこうか
「今日の目標は、罠が多いことで有名な十階層の突破だ。ルナ、頼む」
俺が促すと、ルナは逡巡しながらも一歩前に出た。彼女は目を閉じ、猫のようにしなやかな耳をぴくぴくと動かし、周囲の気配を探り始める。その集中力は、並の冒険者の比ではなかった。
「……あそこ。床の色が、僅かに違う。落とし穴の罠」「それと……右の壁。風の流れが、不自然。隠し通路があるかも」
彼女の指摘は、ポーターとしてダンジョンを知り尽くした俺の知識と完全に一致していた。いや、それ以上だ。
名無しさん:マジかよ、一瞬で見抜いたぞ
名無しさん:この子、ガチで有能じゃん!
名無しさん:がんばれルナちゃん!
視聴者からの応援コメントが、ルナへと向けられる。その瞬間、俺の視界に新たなメッセージが表示された。
【あなたのパーティメンバー、"ルナ"は視聴者の応援によりステータスバフを受けました!】
「ルナ!?」
俺が驚いて声をかけると、ルナ自身も自分の身体の変化に目を見開いていた。
「な、なに、これ……? 身体が、すごく軽い……。それに、もっと、遠くの音が聞こえる……!」
彼女の斥候能力が、視聴者の応援によって飛躍的に強化されたのだ。その力はすぐに証明された。
「ゼノンさん! 右から、ゴブリン3体!」
壁の死角から現れるはずの魔物の奇襲を、ルナは音だけで完璧に予知した。
「俺が引き付ける! ルナは背後を頼む!」「……うん!」
俺たちは、打ち合わせなどしていないのに、ごく自然に連携していた。俺がポーターの知識でゴブリンの注意を惹きつけ、隙を作る。その一瞬を、バフによって超人的な速度を得たルナが見逃さない。
彼女はまるで銀色の疾風だった。一匹のゴブリンの懐に滑り込むと、喉元を短剣で一閃。返す刃で二匹目の足を切り裂き、体勢を崩す。俺が最後のゴブリンを短剣で仕留めるのと、ルナが二匹目の心臓を突き刺したのは、ほぼ同時だった。
完璧な連携。圧倒的な戦闘。コメントウィンドウが、賞賛の嵐で埋め尽くされる。
名無しさん:うおおおおおおお!なんだこの連携!
名無しさん:最強ポーターと神速スカウトとか、コンビ名つけた方がいいぞ!
名無しさん:ルナちゃんかっこいいいいい!
名無しさん:これは推せる……!
視聴者数は、いつの間にか数百人にまで膨れ上がっていた。そして、ひときわ大きな黄金のウィンドウが表示される。
『"名無し"様から 500,000ゴールド分のギフティングがありました』
名無し:良い判断だ。その斥候は本物だ。
桁違いのギフティングに、俺も視聴者も一瞬言葉を失う。だが、俺が何より嬉しかったのは、隣に立つルナの表情だった。
彼女は、流れていく温かい応援コメントを、食い入るように見つめていた。他人から罵倒され、虐げられることしかなかった人生。それが、今、こんなにも多くの見知らぬ人々から、賞賛され、応援されている。
その美しい翠色の瞳から、一筋、涙がこぼれ落ちた。でも、それは絶望の涙ではなかった。
彼女は涙を乱暴に拭うと、俺に向き直り、はにかむように、だがはっきりと笑って見せた。それは、俺が初めて見る、彼女の心からの笑顔だった。




