銀髪のパートナー
無事にダンジョンの入り口まで戻った俺は、誰に見られるでもなく、そっと「配信終了」と心で念じた。すると、視界を占めていた視聴者数やコメントウィンドウがすっと消え、世界が元の静けさを取り戻した。
まるで長い夢から覚めたような感覚だったが、ステータスを確認すると、配信中に得たバフは消えているものの、身体の芯には確かな手応えが残っている。そして何より、俺の所持金を示す欄には、現実とは思えない数字が刻まれていた。
所持金:100,007ゴールド(内訳:初期所持金7ゴールド、ギフティング100,000ゴールド)
「……本物、なんだ」
まずはこの金が本当に使えるのか確かめる必要があった。俺は泥だらけの服のまま、冒険者ギルドの換金所へと向かった。受付の女性は、俺の見るからに貧相な姿に一瞬顔を顰めたが、俺が「ギフティングの換金を」と告げると、侮蔑と面倒臭さが入り混じった表情で機械的にプレートを差し出してきた。
「はいはい。IDプレートをどうぞ。まあ、どうせ銅貨数枚でしょうけど……」
俺は言われるがまま、ギルドカードをプレートに乗せる。次の瞬間、受付の女性の顔から表情が消えた。彼女は表示された数字を三度見し、それから壊れた機械のように首をギギギと動かして俺の顔を見た。
「じゅ、じゅ、じゅ……じゅうまんごーるど!?!?!?」
彼女のけたたましい叫び声に、ギルド中が静まり返る。すべての冒険者の視線が、一斉に俺へと突き刺さった。その中には、驚愕、羨望、そして嫉妬の色が混じっていた。数時間前まで、誰からも見向きもされなかった俺が、今や注目の的だ。
「……静かに換金してくれ」
俺はただ、そう短く告げた。分厚い金貨袋を受け取った俺は、まず武具店と道具屋に向かった。ポーターだった頃はショーウィンドウを眺めることしかできなかった、最高級のレザージャケットと、隠密行動に適したブーツ。そして、護身用の短剣と、大量のポーション。それらを、値札も見ずに買い揃えた。
大金を手にしたことで、心に余裕が生まれた。今後の配信活動と、ジェイドたちへの復讐計画を練るため、情報が集まりやすい街の裏通りを歩いていた、その時だった。
一角に、薄汚い男たちが集まり、何やら野次を飛ばしているのが見えた。人だかりの中心にあるのは、錆びついた鉄格子のはめられた、粗末な檻。非合法の奴隷市場だ。
眉を顰めて通り過ぎようとした俺の足が、不意に止まった。檻の中に、一人の少女がうずくまっていたからだ。
年の頃は、おそらく18歳くらい。長く美しい銀髪は汚れ、ところどころが血で固まっている。着ているものはボロ布同然で、華奢な身体には痛々しい痣が無数に刻まれていた。ぴくりと動く、猫のような耳と尻尾。彼女は、猫獣人だった。
だが、俺が目を奪われたのは、その瞳だった。すべてを諦めたかのように虚ろでありながら、その奥の奥に、まだ消え去ることのない、熾火のような意志の光が宿っていた。虐げられ、すべてを奪われ、絶望の淵に立たされた者の瞳。――数時間前の、俺と同じ瞳だった。
「おい! いつまでそうしてるつもりだ! 商品価値が下がるだろうが!」
肥え太った奴隷商人が、下品な罵声と共に、檻の格子越しに少女を鞭で打った。少女は「ぅ……っ」と小さな悲鳴を上げただけで、決して屈服しまいと、商人を睨みつけている。
その光景を見た瞬間、俺の頭の中で、何かがぷつりと切れた。ジェイドに罵られた記憶。仲間たちに見捨てられた記憶。理不尽にすべてを奪われた、あの雨の日の光景がフラッシュバックする。
この大金は、復讐のための軍資金だ。装備を整え、力をつけ、奴隷など買っている場合ではない。頭では分かっている。分かっているのに、身体が動かなかった。
目の前の光景から、目を逸らすことができなかった。ここで彼女を見捨てたら、俺はジェイドたちと同じだ。いや、もっと醜い。
「……おい」
気づいた時には、声が出ていた。奴隷商人が、ぎろりと俺を睨む。
「ああん? なんだ、小僧。ひやかしなら帰りな」
俺は黙って、奴隷商人の前に進み出ると、檻の中の少女を指さした。
「その子、いくらだ?」
俺の言葉に、商人は汚い歯を見せて笑った。
「へっ、威勢のいいこった。こいつは気が強くて商品にならねえが、顔はいい。お前に買える値段じゃねえよ。まあ、そうだな……金貨10万枚ってとこか!」
明らかに、俺の身なりを見てふっかけてきた法外な値段だった。周囲の男たちから、嘲笑が漏れる。だが、俺は表情一つ変えなかった。
金貨10万枚。奇しくも、俺が今日手に入れた全財産と、ほぼ同額だった。
これも、何かの運命なのかもしれない。
俺は背負っていた革袋の口を開くと、それを逆さにした。
ジャラジャラジャラァッ!
眩いばかりの金貨が、滝のように地面に流れ落ち、あっという間に黄金の小山を築き上げた。奴隷商人も、周りの野次馬たちも、あんぐりと口を開けて呆然としている。
俺は、空になった革袋を放り投げ、商人に一言だけ告げた。
「これで足りるか?」
そして、凍りついたように動かない檻の中の少女へと向き直る。彼女は、信じられないものを見るかのように、その美しい翠色の瞳を大きく見開いて、ただじっと俺を見つめていた。




