初めての配信
目の前のウィンドウは、俺が瞬きをしても、頭を振っても消えることはない。まるで、最初から俺の視界の一部であったかのように、そこに存在し続けている。
――加護『絶対視聴者』を授けます。――
その文字の下に、新たなテキストが滑るように表示されていく。
『あなたの生き様を、世界に配信しなさい』『視聴者の『応援』が、あなたの力となります』『さあ、心に念じなさい――"配信開始"と』
……配信? 応援が、力に?意味が分からない。ダンジョン配信は、一部の裕福な冒険者が専用の魔道具を使って行う、世界的なエンターテイメントだ。ポーターでしかない俺に、そんなことができるはずもない。
これは死ぬ間際に見ている幻覚か?
だが、他にどうしようもなかった。絶望の淵に立たされた俺にとって、この奇妙な現象は、蜘蛛の糸に見えなくもなかった。
「……試して、みるか」
震える声で呟き、俺は心の中で強く念じた。
――"配信開始"!
その瞬間、視界の右上に、小さな半透明のアイコンが現れた。
【LIVE】視聴者数:0
本当に始まったらしい。しかし、視聴者はゼロ。当たり前だ。どこの誰とも知れない男が、ダンジョンの最深部で配信を始めたところで、誰が見るというのだ。
「……とにかく、ここから脱出しないと」
俺は祭壇に背を向け、元来た道を引き返し始めた。まずは地上に戻り、この加護が本物なのかどうかを確かめる必要がある。
しばらく歩いていると、前方の通路から、ぬるり、と一体の魔物が姿を現した。
スライムだ。冒険者になりたての者でも倒せる、ダンジョン最弱の魔物。だが、今の俺は丸腰同然。普段なら見向きもしない相手だが、今の俺にとっては脅威ですらあった。
どうするか。逃げるか?いや、待てよ。
(これは、試すチャンスじゃないか?)
俺はごくりと唾を飲み込み、スライムから距離を取りつつ、独り言のように呟き始めた。これは、パーティでポーターとして培ってきた、俺だけの知識だ。
「……スライムは最弱の魔物だが、物理攻撃はあまり効果がない。体の大半が水分だからな。有効なのは火魔法か、もしくは体内にある『核』を直接破壊することだ。核の位置は個体によって微妙に違うが、よく見ると一体だけ体内で僅かに光が強い場所がある。そこを狙えば……」
そこまで解説した時だった。視界の右上に、変化が起きた。
【LIVE】視聴者数:1
誰か来た!驚きで声も出せずにいると、視界の下部に、ぽん、とコメントらしきものが表示された。
名無しさん:ほう、面白いことを言うな。ポーターか?
心臓が跳ねる。本当に、誰かが見ている。俺は動揺を隠せないまま、解説を続けた。
「そ、そうだ。俺はポーターだ。だから、戦い方は知らないが……知識だけはある」
すると、視聴者数がさらに増えていく。2人、3人……。コメントも流れ始める。
名無しさん:ガチのポーター配信とか初めて見たわw名無しさん:で、どうやって核を壊すんだよ? 丸腰だろ?
そうだ、武器がない。俺は周囲を見渡し、足元に転がっていた拳大の石を拾い上げた。
「これを使う。スライムは動きが鈍い。核の位置さえ見極めれば、石をぶつけるだけで倒せるはずだ」
名無しさん:マジかよwww名無しさん:頑張れー!名無しさん:いけー! 初見だけど応援してるぞ!
その時だった。視聴者たちの「応援」コメントが流れ始めた瞬間、俺の身体の奥から、カッと熱い力が湧き上がってくるのを感じた。
なんだ、これ……?信じられないほど、身体が軽い。力がみなぎってくる。
俺は試しに、自らのステータスウィンドウを開いた。パーティにいた頃、何度見ても溜息しか出なかった、貧弱なステータス。だが今、そこに表示された数値は、俺の目を疑わせるものだった。
【ゼノン】職業:支援職
STR(筋力):8 → 25 (+17)
AGI(敏捷性):12 → 38 (+26)
DEX(器用さ):15 → 50 (+35)...
「うそ……だろ……」
ステータスが、リアルタイムで爆発的に上昇している!コメントが増えれば増えるほど、その上昇値は大きくなっていく。これが、加護『絶対視聴者』の力……!
名無しさん:どうした? 早くやれよ!名無しさん:まさか怖気づいたのか?w
「いや……!」
俺は悪態をつく視聴者のコメントにすら感謝しながら、スライムに向き直った。もう迷いはない。
俺はポーターとしての経験で培った観察眼を使い、スライムの体内で微かに光る核の位置を完璧に見極める。そして、バフによって強化された身体能力を使い、最短距離で踏み込んだ。
スライムが反応するより速く。俺は腕をしならせ、手の中の石を、野球のピッチャーのような鋭いフォームで投げつけた。
ヒュッ、と空気を切り裂く音。
石は一直線にスライムへと突き進み――そのゼリー状の身体を貫通し、内部の核を正確に砕き割った。
ビシャァッ!
核を失ったスライムは、一瞬でその形を維持できなくなり、ただの粘液の水たまりと化した。一撃。ポーターの俺が、石ころ一つで。
一瞬の静寂の後、コメントウィンドウが、これまでにない速度で流れ始めた。
名無しさん:!?!?!?
名無しさん:はあああああああ!?!?
名無しさん:今の動き、ポーターじゃねえだろwwwww
名無しさん:投擲スキル持ちのレンジャーでもあんな正確なの一握りだぞ……
名無しさん:すげええええええええええ!!
視聴者数は、いつの間にか50人を超えていた。やった……本当に、できたんだ!
俺が勝利の余韻と興奮に打ち震えていると、突如、目の前にシステムメッセージが表示された。黄金に輝く、豪華なウィンドウだ。
『"名無し"様から 100,000ゴールド分のギフティングがありました』
「……は?」
いち、じゅう、ひゃく……せん、まん、じゅうまん?ひゃくまん?
……10万ゴールド?Sランクパーティの俺の月給が、確か500ゴールドだったか。その、200倍?
呆然とする俺をよそに、コメント欄は再び祭り状態になっていた。
名無しさん:!?!?!?!?!?!?
名無しさん:桁が、おかしい
名無しさん:石油王降臨wwwwww
その天文学的な金額を投げた主と思わしき、一人の視聴者から、ただ一言だけのコメントが静かに表示された。
名無し:実に興味深い。続けよ。
その短い言葉には、他の視聴者のような熱狂とは違う、絶対的な強者の風格が漂っていた。
俺は、自分の掌を見つめた。数時間前まで、絶望に汚れていたこの手。だが今は、とてつもない可能性を掴みかけている。
追放されたポーター。無能と罵られた支援職。
だが、今は違う。俺は、最強の配信者になる。俺を侮辱したジェイドたちを、世界中の誰もが見返す中で、完膚なきまでに叩き潰してやる。
絶望の底で見つけた、たった一つの光。それは、復讐の炎となって、俺の心に静かに、だが激しく燃え上がっていた。




