94. 孤立無援……です?
たった今、自らの手であっさりと完成してしまった上級ポーションを前にして、私の思考は思いっきり固まってしまった。
「ええと……ええと……とりあえず、蓋を……」
こぼれないように瓶にきっちりと蓋をすると、先ほどまでテーブルに被せてあった布が目に入る。
「ええと……うーんと……、とりあえず、布も……」
何となく、これが人目に触れてしまうのはマズいような気がして、上級ポーションの瓶を布でぐるぐる巻きにした。こうすれば、光も漏れ出さない。
私はそれを、そっとテーブルの上に置いた。
「ふう。それで、次は……、どうしよう」
バクバクする心臓を押さえるように、私は胸に手を当てる。
そこで、いつもなら指先に触れるはずの物がなくなっていることに、私はようやく気がついた。
「――あれ、ブローチがない」
慌てて辺りを見回すが、どこにも落ちていない。
テーブルの下にも、布団の中にも、ベッドの下にも、いくら探せどブローチは落ちていなかった。
「どうしよう……無くしちゃった?」
今度は、違う意味で心臓が忙しなく動き始める。
ギル様にもらった大切なブローチを無くしてしまったこともショックだが、ブローチも辺境騎士団の黒ローブも手元にないということは、何か危険なことがあってもギル様に連絡がいかないということだ。
「ギル様……やだ、本当にどうしよう」
ウォードもいない。ジェーンもいない。
宿を出てから、ギル様にもずっと会えていない。
急速に、私の心に不安が根を張りはじめた。
「……指輪は、あるよね?」
私は襟元のボタンを一つ外して、服の中に手を入れる。
そこには、予想通り金属の確かな感触があって、少しだけ安心した。
ポーション精製の際に汚したり傷つけてしまわないようにと、婚約指輪に細い鎖をつけて、服の下にしまっていたのだ。
「……良かった……」
婚約指輪まで無くしてしまっていたら、私はもう立ち直れなかったと思う。
ギル様が贈ってくれた、ギル様の色の、想いのこもった大切な指輪だ。
「……ギル様」
私は少しの間、両手できゅっと握ったあと、再び服の下に指輪をしまった。
ちょうど、その時。
ギィ、と軋む音を立てて、部屋の扉がゆっくりと開く。
そこから顔を出したのは――、
「グレイ、さん?」
私が眠ってしまう前に、救護用の天幕まで私とウォードを案内してくれた、老紳士だった。
「お目覚めでしたか」
相変わらずの、丁寧な口調と洗練された仕草だ。
口元にしずかな笑みをたたえているが、その目は全く笑っていない――それどころか、少し冷たく剣呑な光を帯びていて、私は本能的に後ずさった。
私がじりじりと下がるたび、グレイさんは一歩ずつ優雅に距離を詰めてきて、とうとう壁際まで追い詰められる。
「……っ」
「怖がらなくても、わたくしどもの大切な聖女様に、危害など加えませんよ。――それで、ポーションの精製は……まだこれからのようですな」
グレイさんは、テーブルの上を一瞥して、つまらなさそうに言った。
品の良いロマンスグレーの髪も、まっ黒な瞳も、今はなんだか冷たく感じてしまう。
「……あ、あの、ところで、グレイさん。ここって、鉱山の管理事務所……ですよね? ウォード――私と一緒にいた護衛は、どこですか?」
私はそう言って、指輪をしまい直した襟元を、隠すように押さえる。
私の心臓は、先ほどから激しい警鐘を鳴らしていた。
グレイさんは、質問に答えることなく、私に冷たい瞳を向けた。
「えっと、救助された皆さんは? わ、私、寝ちゃってたみたいですけど、ポーションは足りましたか……、っ!?」
私が質問を続けると、ポーションという言葉が出た瞬間に、グレイさんの目元が三日月のように細まった。
突如、彼の態度が芝居じみたものに切り替わる。
「そうです、ポーションが足りないのですよ。ですから、作ってほしいとお願いの書き置きをさせていただきました。早速、作っていただけませんかねえ? 今すぐ、ほら」
「ひっ――、は、はい! 只今!」
逆らうのは危険だと私は直感し、グレイさんを避けるように大きく円を描きながら、私は壁際からテーブルの方へと移動する。
(ギル様、助けて……!)
私は心の中で何度も何度も悲鳴を上げながら、透明な薬液の入ったポーション瓶を手に取り、のろのろと蓋を開けた。
「グ、グレイさん、ちなみにこの薬液って――」
「そんなこと、知る必要がありますか? 今後もずっと、わたくし共が薬液を用意するのですから」
「今後、も……ずっと?」
「いいから早く精製して下さい。今か今かとポーションを待っている人がいるんですよ? 怪我人を待たせて苦しませるおつもりで――っ、ぐぇっ!?」
黒い瞳をさらに真っ黒に染めて凄んでいたグレイさんの言葉は、しかし、最後まで続けられることはなかった。
「えっ!?」
グレイさんが急に目の前からいなくなったと思ったら、彼は反対側の壁際まで一瞬で吹き飛んでいた。
かわりに聞こえてきたのは、怒りに満ちた、低い声――。
「――ふん。待っているのは怪我人ではなく、手柄を横取りしたいゴミ屑だろうが」
先ほどまでグレイさんのいた場所には、心の中で繰り返し名を呼んだ人の姿。
「ギル、さま……?」
濃紺の髪を乱し、額に汗を滲ませたギル様が、抜身の剣を携えて立っていた。
黄金色の瞳は油断なくグレイさんの方を睨んでいる。
「――ああ。ティーナ、遅くなってすまない」
グレイさんが意識を失っているのを確認して、ギル様は構えを解く。
そして、先ほどとは打って変わって優しい声色で、私に返答したのだった。




