89. 甘い香りがします
ギル様の要請に従い、私は馬車の中でポーションの精製を続けながら、現場の魔石鉱山に向かった。
市内から魔石鉱山まではそんなに遠くない。宿から馬車を回して、昼頃には到着することができるだろう。
本来の予定であれば、そろそろ魔法銀鉱山の視察を終えて、帰路につこうかという時刻である。
今回の件は予期せぬ事態であり、収束の目処も立っていない。なので滞在予定を延ばし、今度の大地の日が終わるまでウエストシティにて寝泊まりすることになる可能性が高い。
「次の小鍋で最後ね」
「お疲れ様でございます。魔力残量はいかがでございますか?」
「まだ余裕があるわ。巨大獣との戦いの日よりもたくさん残ってるから、重傷の人も診られると思う」
「左様でございますか」
ジェーンは、揺れる馬車の中でもこぼすことなく、小鍋の中身を丁寧にポーション瓶に移し替えている。
それをしながら『隠蔽』スキルを使用し、魔物から馬車を隠しているのだから、本当に器用な人だ。
「間もなく到着のようでございます。休む間もございませんでしたね」
「そうね。でも、ギル様も休まず対応に追われているのだし、私も頑張るわ」
私が気合いを入れ直したところで、馬車はゆっくりと停車した。
「お待ちしておりました、聖女様、ジェーン様」
「お久しぶりでございます。クリスティーナ様、こちらはこの鉱山の責任者でございます」
私たちを出迎えたのは、鉱山の責任者だという男性だった。
ジェーンとは顔見知りのようだ。
「主様はどちらに?」
「閣下は現在、魔法隊の者たちを指揮して鉱山内の魔力ノイズの除去、および要救助者の所在確認を進めておいでです」
「左様でございますか。わたくしたちは、どちらへ伺えばよろしいでしょうか?」
「ご案内します。それと、ポーションをお持ちいただいたと聞きましたが」
「ええ、こちらに」
ジェーンが、積んであるポーション瓶入りの箱が見えるように、馬車の扉を大きく開く。
「たくさんありますね、助かります! ジェーン様、救助隊の本部まで運ぶのを手伝ってもらえますか? 本部を見ていただいた方が、情報の共有もスムーズになりますし。聖女様のご案内は、この者にさせますので」
「それは構いませんが……しかし……」
ジェーンは戸惑った表情で私の方を見る。私を置いていくのを、ためらっているようだ。
しかし今は非常事態。鉱山責任者の男性もジェーンの知り合いのようだし、関係者以外は現在立ち入り禁止になっているはず。神殿関連の問題が起こる可能性は低いだろう。
「私なら平気よ、ジェーン。人手が足りないのでしょう? 今は一刻も早く事態をおさめなくちゃ。ウォードもいるしね」
馬を近くの木に繋ぎ終えたウォードが、私の視線を受け止め、巌のような顔で頷いた。
「……それもそうでございますね。では、ウォード様、お願いいたします」
ウォードはジェーンにも同様に頷き、槍斧を背負ってベルトで固定する。
私もローブの飾り石がいつも通りの輝きを放っていることを確認して、足を踏み出した。
「では、ここからは私がお二人をご案内いたします」
鉱山責任者の後ろに控えていた老紳士が、胸に手を当てて恭しく一礼する。
なんだか鉱山にはそぐわないような、気品を感じられる仕草だ。
「よろしく頼むよ、グレイ。では、ジェーン様はこちらへ」
そうして私とウォードはジェーンと別れ、グレイと呼ばれた老紳士と共に、この事態のために新設されたと思われる天幕へと向かった。
「聖女様、本日はご足労頂きありがとうございます。私共も、心からほっとしております」
「お役に立てるなら何よりです。あの、グレイさん……中級ポーションでは治せない、重傷者の方はどのぐらいいらっしゃるんですか?」
「鉱山内に魔力ノイズが発生している関係で、遠視魔法がうまく作用しないのです。そのため、被害の全容は未だ不明です」
「そうですか……」
グレイさんは淡々と返事をした。相変わらず所作も話し方も必要以上に丁寧で、感情もこもっておらず、小さな違和感を感じる。
だが、だからこそ私への対応を任せられたのだと考えれば納得もできた。
「臨時の救護室を設置いたしましたので、要救護者が運ばれてくるまで、お待ち頂ければと思います。しばらくしたら、怪我人が運ばれてくるでしょう。――さあ、こちらです」
グレイさんはそう言って、天幕の入り口となっている布をスッと持ち上げてくれた。
私とウォードは、彼に従って天幕の中に入る。
天幕の中には簡易ベッドと寝袋が数個ずつと、テーブルセットがひとつ用意されていた。
「最初の患者が来るまで、まだ時間があるかと思いますので、よろしければお茶をお淹れいたしますね」
「え? でも、私だけそんなゆっくりするわけには――」
「いえ、聖女様は身体と魔力が資本。急いで来られたと聞いておりますし、休めるときに休んでおいた方が良いかと存じます」
「……わかったわ。じゃあ、お言葉に甘えて」
「かしこまりました」
グレイさんは、片手を胸のあたりに当てて、恭しくお辞儀をした。
まるで執事のような所作だ。ここが鉱山の天幕で、今は非常事態なのだということを忘れてしまいそうになる。
彼はテーブルの上に置かれていたティーポットに茶葉を入れ、加熱用の魔道具からお湯を注いで蒸らしていく。
お茶を淹れるのも慣れているのか、私の目の前で、彼は流れるように作業をこなしていく。
「湯を捨てる場所がございませんので、カップの湯煎はできないのですが、ご了承ください」
「大丈夫ですよ、お構いなく」
グレイさんは私にそう断って、置かれていたカップにポットから紅茶を注いでいく。
紅茶の甘く良い香りがふわりと立って、張り詰めていた気持ちが少しだけ緩んだ。
「では、ごゆるりと」
そう言ってグレイさんは、天幕を出て行った。
私は淹れてもらった紅茶に口をつけようとしたが、ウォードに制止された。
「……だめ?」
私はカップを持ったままウォードに許可を請うが、彼は厳しい顔をしたまま首を横に振る。
「せっかく美味しそうな香りなのに……うん、仕方ないよね。わかったわ」
カップをそのままテーブルに戻せば、ウォードはようやく首を縦に振った。
安全に問題などないだろうとは思うが、ウォードからしたら、念には念を入れて慎重を期したいのだろう。
「ふわぁ」
しかし、やはり朝からバタバタし続けていたせいか、移動しながらポーション精製を続けていたせいか、少し疲れが出てしまったらしい。
先ほどから、何度も欠伸が出てしまう。瞼を指先でごしごしとこすってみるが、眠気は全然おさまらない。
「はふ……なんか、ちょっと疲れたみたい。眠くなってきたかも……このまま少し休んでもいい?」
ウォードが頷いたのを見て、私はテーブルに突っ伏した。
「ふわぁ……人が来たら、起こして……」
それだけ言うと、私はすっかり重くなってしまった瞼を閉じる。
天幕の中には、紅茶の甘くてどこか重たい香りが、しずかに漂っていた。




