85. 筆頭聖女は苛立ちを隠せない ★三人称
次章へ進む前に、閑話とキャラクター紹介を挟みます。
閑話の時系列は、現在より少し前の時点です。
――*――
筆頭聖女セレスティア・マクファーソンは、苛立っていた。
クリスティーナがいなくなってから、何もかも思うようにいかない。
勝手に彼女を神殿から追い出した神官は、日を置かずにいなくなり、そのまま行方知れずだ。
聖女や神官たちだけでなくザビニ商会も使って、琥珀色のポーションを目にしたらすぐさま回収するよう手を回しているのに、目撃情報すら上がらない。
クリスティーナが作る魔力水がないと、セレスティアは上級ポーションを精製できないというのに。
一度、セレスティアの手足となる聖女の一人が、冒険者ギルドで探していたポーションと共に、クリスティーナと関係のありそうな男を見つけたことがあった。
だが、その聖女は林の中で尾行していた男を見失い、結局その後も男やクリスティーナに繋がる情報は何も出てこなかった。
むしろ、かなり強力なバックがついていて、意図的に情報を遮断しているのではないかと思われるほどに。
クリスティーナはポーション作りをやめてしまったのか。もしくはすでに王都にいないのか。
しかも、部下の聖女が男を見失ったというのが、あの『幽霊屋敷』があるという林道だというのも、気になるところだった。
十三年前、凄惨な事件があった、王都郊外の屋敷。
王家所有のその屋敷を、ちょうど運悪く訪ねようとしていたらしい旅姿の女が、守るように腕に抱いていた少女――それがクリスティーナだった。
屋敷から吹きつけた爆風に飛ばされたのだろう。
林道の入り口に倒れていた女はすでに事切れていて、腕に抱く子供が生きていたのはまさに奇跡だった。
――いや、その頃から強い聖魔法を身に宿していたのなら、クリスティーナだけが生き残ったのは必然か。
幼いクリスティーナを保護した老神官は、すぐさま彼女の聖なる魔力に気が付き、神殿で預かることを決めた。
例の事件の生き残りは、クリスティーナと、全身に大怪我を負って運ばれてきた初老の女だけだった。
当時屋敷に逗留していたフォレ女公爵の胸には、王家の紋章が入った護身用の短剣が刺さり、屋敷にいた他の者は全員、大きな魔物に襲われたかのような傷を負い、頑丈なはずの屋敷は爆風であちこち壊れてしまっていたという。
そのくせ、屋敷を襲ったと思われる魔物については、一切目撃情報が出ておらず、いくら捜索しても何の手がかりも見つからなかったそうだ。
生き残った初老の女は何も語らなかったし、クリスティーナも何があったか覚えていないようだった。
その後、事件現場となった王家所有の屋敷は『幽霊屋敷』と呼ばれ、人の近寄らない場所になった。
クリスティーナと関係のありそうな男が『幽霊屋敷』に出入りしていたとしたら、クリスティーナは王族関係者に保護されている可能性もある。
「……あれを保護している王族……、一体誰なのよ」
セレスティアは、爪を噛みながら呟く。
銀色の髪は相変わらず艶やかだが、紫水晶と称された美しい瞳には昏い影が落ちていた。
「まさかロレンツォが……、いえ、それはない……わよね?」
ロレンツォ・アドルファス・メリュジオン。
現王アドルファス・グラン・レモーネ・メリュジオンの一人息子である彼は、この国の王太子にして、筆頭聖女セレスティアの婚約者だ。
「何もしなくても、ロレンツォはいずれ国王になれるもの。彼はわたくしを守ろうとするはずだわ」
ロレンツォがセレスティアに不満を抱えていることはセレスティア自身も気が付いていたが、彼は王太子。
正妃との間に子が生まれなければ側妃を迎えることもできるのだから、自分の感情を優先して、政略結婚の婚約者を陥れるようなことはしないだろう。
あるとしたら、神殿やマクファーソン侯爵家と敵対関係にある貴族の線が濃厚だ。
それ以外であれば――、
「もし、わたくしを追い落とすことでロレンツォを排斥しようと考えてる王族がいるとしたら?」
ロレンツォには兄弟はいない。
現王アドルファスには弟と妹がいるが、王妹は神官長と結婚して、夫婦共々セレスティアを可愛がってくれているし、歳の離れた王弟は公爵位を継承して領地にいる。
「王妹殿下は絶対に違う。王弟殿下も、王家と関わらないようにしている節がある……でも」
ロレンツォが退けば、次に王位継承権を持つのは王弟――ギルバート・フォレ・レモーネ・メリュジオン、その人だ。
その割には王家や王政に全く関わろうとしてこないのは不気味だが、彼ならばクリスティーナを秘密裏に保護することも簡単である。
しかし、もしクリスティーナがギルバートに保護されているとしたら厄介だ。
彼の領地であるフォレ領は遠方にあり、神殿の手がほとんど届かない地。
ザビニ商会も販路を持っておらず、手を出すどころか情報を集めることすら難しい。
「……王弟殿下だったら面倒だけど、侯爵家の敵対貴族という線が最も濃厚ね。でも、念には念を入れておくべきだわ。上級ポーションの納品も、これ以上引き延ばせないものね」
セレスティアが一人頷いたところで、部屋にノックの音が響く。
扉を開けて入ってきたのは、マクファーソン侯爵家の執事だ。
彼は、セレスティアの耳元に唇を寄せ、小声で報告をする。
「……何ですって?」
セレスティアは、紫色の瞳がこぼれんばかりに、大きく目を見開く。
うっすらと隈のできた目元からは、以前は満ち溢れていた余裕も自信も消え去り、かわりに執念の炎が宿っていた。
「グリーンフィールド領で話題になっている、麻痺をも治す奇跡の薬湯――珈琲、ねえ? ふふ、見つけたわぁ」
珈琲はザビニ商会で取り扱ったことがあるが、あれにそんな効能があるなんて、聞いたこともない。
ならば、その正体は――。
紅を引いた形良い唇が、にいっと吊り上がっていく。
「グリーンフィールド領ということは、フォレ領に向かったとみて間違いないでしょう。王弟殿下は厄介な相手だけれど、どうすべきか分かっているわね――グレイ?」
「はっ、御意に」
セレスティアの言葉に、グレイと呼ばれた執事は短く返答して部屋から出て行った。
「ふ……ふふ。次期王妃の座は、絶対に譲らないわよ。逃がすものですか……クリスティーナ・アンブロジオ……!」
セレスティアは文机の引き出しを開けると、かつて幼いクリスティーナから奪い取ったペンダントトップを睨みつけた。
そこには、美しい翼を惜しげもなく広げる神鳥・フェニックス――南の隣国、アンブロジオ王国の紋章が刻まれていたのだった。




