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無能聖女の失敗ポーション  作者: 矢口愛留
第四部 婚約編

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80. 視察へ出発です



 ギル様の待つ馬車に乗り込み、私たちは最初の目的地へと出発した。

 まず私たちは、フォレ領の東側へと向かう。そこから南を経由して、中央、最後に西へと移動していく予定だ。


 フォレ領は広大な領地ではあるが、人の住む場所は多くない。

 東、西、南、中央にはそれぞれ一つずつ大きな街があり、中央部にある街、通称『セントラルシティ』がフォレ領最大の都市となっている。


「東と南の視察を終えたら、セントラルシティで長めの休息をとる。それまではスケジュールが詰まっているが、辛ければ遠慮せず言ってもらいたい」

「わかりました。ありがとうございます」


 私が素直に頷くと、ギル様は甘く微笑み、手に持っていた仕事の書類に目を落とした。


 東と南の視察で、休息日も含めて一週間。

 そこから中央、西の視察でまた一週間。


 長く城を離れることになるため、視察の際は移動中も仕事をすることが多いのだという。


「私にも何かお手伝いできることがあればいいんですけど……」

「ふ、その気持ちだけで嬉しいよ。ありがとう、ティーナ」


 ギル様は美しく微笑んで、向かいの席から手を伸ばし、私の髪をさらりと撫でた。

 その温度が心地よくて、私は目を細めて微笑む。


 ギル様が再び書類を読み始めたので、私は時折窓の外の景色を楽しみながら、編み物を始めることにした。




「器用なものだな」


 しばらく編み物をしていたら、感心したような声が降ってきた。

 いつのまにか、ギル様は書類を自分の横に置き、私の手元を見ていたようだ。


「ふふ、そんなことないですよ」


 私は手を止めずに、ギル様にちらりと目をやって返答する。


「何を作っているんだ?」

「これはシュシュと言って、平民の女性や子供たちが使う髪留めです」

「髪留め?」

「はい。孤児院に寄贈しようと思って」


 視察に行くと決まったときから、私は自分に何かできることはないか模索していた。

 そうしてジェーンやリアと相談した結果、色とりどりの毛糸で、シュシュをたくさん作ることにしたのだ。


「食べ物とか、お金のかかるものを寄贈するのは違うと思ったので、手作りの何かを用意することにしたんです。シュシュなら見た目も華やかだし、可愛い物を身につけていると気持ちも上向きになるので」

「なるほど。それはいいな」


 食べ物や衣服などは手っ取り早く喜んでもらえるし、大きな支援になる。

 だが、私はまだギル様の婚約者という立場に過ぎない。そして、全ての孤児院を見て回れるわけでもない。

 ならば、そんな安易な手段を選ぶわけにはいかないだろう。


「それに、シュシュは初心者でも簡単に編めます。毛糸は種類を選ばなければ安く手に入りますし、上手にできたら完成品をフリーマーケットなどで売り出すことも可能だと思うんです」

「ほう……良く考えたな」


 そう。

 今回寄付する品にシュシュを選んだのは、孤児たちがお小遣い稼ぎをする手段を増やすことにも繋がる。

 視察中は、ギル様と別行動をする時間も発生するため、その時間を利用して編み物講座をしてみようかなと思っている。

 編み物は楽しいし、はまる子にははまってくれるだろうと踏んでいた。


「ところで、今編んでいる物は暗い色のようだが」

「孤児院では散髪もあまり頻繁にはできなくて、男の子も髪が長かったりします。なので、黒や紺の物も用意しているんです。女の子だけじゃ不公平ですしね」

「なるほど。礼拝や儀礼の際などに着ける用かと思っていたが、男児用だったか」

「儀礼用、確かにそれもアリですね! 考えていませんでした」


 ギル様の言うとおり、飾りの少ない黒や紺、白のシュシュは、礼拝や儀礼の際に用いても違和感がないだろう。それは盲点だった。

 私はもう少しシックな色合いの物も増やそうと決め、針を進めたのだった。



 旅は、始終のどかなものだった。

 巨大獣(ベヒーモス)を討伐したからか、それともこの車列に先行して騎士たちが辺りを哨戒してくれているからか、魔物によって足止めを喰らうこともない。

 旅はスムーズに進み、早朝に出発し、夜が深まる前には東の街へ到着することができた。


「長旅だったが、疲れていないか?」

「はい、大丈夫です」

「そうか。なら良かった」


 私もギル様も、車内ではほとんど言葉を発しなかったものの、不思議と気まずさは感じなくて、心地よい空気に満ちていた。

 王都からフォレ領までの旅路は賑やかで楽しかったが、それとは対照的な、穏やかな時間だった。


 その晩は東の街に泊まり、翌日は街と周辺の農地等の視察と、街を治めている役人たちとの会合。

 それからもう一泊して、南へ立つというスケジュールだ。


「ティーナ、わかっていると思うが、私と離れる際には、特に気をつけてほしいことがある」

「はい。教会関係者のことですね」


 ギル様は頷いた。

 フォレ領に限らず、メリュジオン王国内では、孤児院は教会に併設されていることが多い。

 それ以外には、職業訓練校や診療所などに併設されている孤児院も存在するが、大抵の地域では教会併設の孤児院が最も大規模だ。


 だが、幸いというか都合よくというか、フォレ領には教会がセントラルシティにしか存在しない。

 東の街(イーストシティ)にも孤児院が二つ存在するが、いずれも教会とは関係なく、明日訪問する予定の孤児院は、騎士志望者向けの学校に併設されている院だ。


「でも、騎士学校併設の孤児院なら、安心ではないのですか?」

「恐らくは、な。ただ、街には教会関係者が出歩いている可能性もある。ポーションの利用状況や患者の発生状況を確認しに、神官たちが各街を訪れることもあるからな」


 教会のないセントラルシティ以外の街では、そこまで危険はないと思っていたのだが――実際のところは、そうでもないらしい。

 少し気を引き締める必要がありそうだ。


「念のため、建物の外ではヴェール付きの帽子を脱がないようにしてほしい」

「はい、お約束します」


 私がしっかり頷いたのを見て、ギル様はようやく薄く微笑んだ。

 その眉尻はゆるく下がっていて、心配の色がありありと見て取れる。


「大丈夫ですよ。ギル様の魔力がこもったブローチも、ずっと身につけておきますから」


 ローブについていたものと同じ、『危機反応』に感応する飾り石――あれをブローチに加工してもらい、ケープにしっかりと留めてある。


「……本当なら、常に君を連れて歩きたいが、それが難しい場面もあるからな。帽子とブローチの件、必ず守ってくれ」

「はい、もちろんです」


 私が指先でブローチに触れたのを見て、ギル様は諦めたように微笑んで、ひとつ頷いたのだった。



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