77. 防波堤だそうです
「――諸君」
ギル様は、しんと静まり返った大広間に向けて、ゆっくりと言葉を発する。
「ほんの少しでいい、思い返してもらいたいのだ。我々辺境騎士団とフォレ領の、これまでのことを。聖女不足とポーション不足が引き起こしていた、フォレ領の惨状を」
ギル様は、そう言って瞼を伏せた。
騎士たちの間に、重い空気が漂う。
悲しみ、怒り、悔しさ――彼らは、やり切れない思いを、数多く抱えてきたのだろう。
「神殿は、いくら頼んでも追加の聖女をフォレ領に寄越さなかった。我々が、魔物退治の最前線にいることは周知の事実にもかかわらず、聖女どころかポーションすらも慢性的に不足している状況だった」
ギル様の声が、低くなる。騎士たちの間に漂う空気の温度も、さらに下がった。
「そんな中、先日の王都訪問の際、我々への協力を申し出てくれたのが、彼女――クリスティーナ嬢だ」
ギル様は伏せていた瞼を上げて、これまでと打って変わって、上向きな声で告げた。
「皆も知っての通り、最近使用している琥珀色のポーションは、全てクリスティーナ嬢が精製したものだ」
ギル様は会場を見渡すと、声高らかに、朗々と話し始める。
「彼女こそ、我々の光だ。クリスティーナ嬢の治癒魔法とポーションが、我々とフォレ領、ひいては王国を救ってくれるだろう。ただ――ひとつ懸念がある。神殿だ」
ギル様は、ぎゅっと眉間に力を込めた。
「クリスティーナ嬢は、神官立ち会いによる手続きを踏んで神殿を出た上で、自ら望んでこの地へ来てくれた。だが、知っての通り、彼女は非常に有能な聖女だ。クリスティーナ嬢の抜けた穴を埋めることがかなわず、本人の望みに反して、神殿が彼女を強引に取り戻しに来る可能性もある」
神官立ち会いによる手続き……というより、実際には、神官様から出ていくように言われたからとりあえず出てきた、という感じなのだが。
とはいえ、神殿を去るときに神官様を通しているのも、自分で望んでここに来たのも、事実である。
また、私が有能であるというのはさておいて、神殿の手がこちらへ伸びかねないというのも事実だ。
「――彼女が連れ戻されるようなことになれば、困るのは彼女自身だけではない。私も、我々辺境騎士団も、フォレ領も――我々が命懸けで守り続けているメリュジオン王国にとっても、損失となろう。彼女を神殿に戻すことで利を得て私腹を肥やすのは、神殿と、一部の権力者だけだ」
ギル様は、眉間に皺を寄せたまま、低い声で言い切った。
騎士たちも、眉を顰めて頷いたり、腕を組んだり、拳を握ったり……各々、神殿に対して不満気な反応を示している。
「だから、諸君。我々の安全とフォレ領の安定、そして王国の平和のためにも、どうか彼女の保護と情報管理に協力してもらいたい。王弟でありフォレ公爵でもある私の婚約者となったからには、私自身がある程度の防波堤となることは可能だが、それだけでは万全とは言えぬ。皆の協力が必要不可欠だ」
――ギル様自身が、婚約者として防波堤となる。
その言葉を聞いて、彼がどうして私に婚約を申し入れてくれたのか、私は唐突に理解した。
もしも神殿が私を見つけてしまっても、私がギル様の婚約者だったら、おいそれと手は出せなくなる。
ギル様はフォレ公爵であり、この地を長く離れることはできない。だから、その婚約者を無理矢理王都へと連れて行くことも難しい。
一昨日申し入れられた突然の婚約は、そのためだったのだ。私は、ギル様の考えの深さに、改めて感服した。
騎士たちも、ギル様の話に、思い思いに頷いている。その反応は、概ね好意的だ。
私とギル様の方へ、きらきらした笑顔や、熱意に満ちた視線が、いくつも向けられている。
「皆の理解を得られたこと、非常に嬉しく思うよ。心から感謝する。それと……最後に、一言。ここにはいないと信じているが、彼女に危害を与えたり、彼女の情報を売ろうと考える者がいたら――どうなるか、わかっているな?」
ギル様は、この上なく美しい笑顔を浮かべたかと思うと、そのまま目をすうっと細めて、告げた。その瞳は、今まで見たことがないほど怜悧で酷薄だ。
その表情と、地を這うような低い声で告げられた一言に、騎士たちの気持ちも引き締まったらしい。
騎士たちの様子を見て、ギル様はふっと目元を和らげ、満足そうに頷いた。
「ふ、一応釘は刺したが、諸君は私の戦友だ。皆のことは信頼しているよ。クリスティーナ嬢も、まだ慣れないことも多いと思う故、支えてやってくれ」
打って変わって柔らかい声色でギル様が告げると、騎士たちもホッとした様子で緊張を緩めた。
ギル様が私の方へと優しい視線を向けたので、私は微笑んで淑女の礼をとった。
ギル様はふっと微笑んで、会場へと視線を流す。
「私からは以上だ。それでは、諸君。思う存分、飲んで食べて、英気を養ってほしい」
そうして挨拶を締めくくり、ギル様が着席すると、パーティーの参加者たちも思い思いに動き始める。
食事やお酒を手にして、気の合う仲間たちと集まって、すぐさまパーティーは賑わいを増していった。
「ギル様、ありがとうございます。色々と、本当に、何と言ってお礼をしたらいいか……」
「ふ」
私がお礼を言うと、ギル様は、とびきり甘い笑顔で微笑む。
そのまま彼は、私の髪を一房手に取ると、毛先にちゅっと口づけを落とした。
私たちには、当然注目が集まったままだから、ギル様のこの仕草にもどよめきが上がる。
「ギ、ギル様……っ」
「礼なら、ここに欲しいな」
あろうことか、ギル様はテーブルで隠れて見えない場所で、自身の左手を差し出し、その薬指を指さしている。
これは、左手の薬指にキスをしろということだろうか。
「ほら、早く。私たちが想いあっていて、仲が良いというところを、皆に見せつけておかないと」
「……っ」
ギル様は甘い声でそんなことを囁き、私に彼の左手を取らせて、テーブルの上まで持ち上げる。
想いが通じ合った途端にこれでは、心臓がもたない気がする……ギル様はこんなに甘くて意地悪な人だっただろうか。
私は、恥ずかしすぎて変な汗が出てきそうになりながらも、なんとかギル様の左手薬指の根元あたりに、唇を寄せた。
「ふふ、嬉しいよ、ティーナ。愛しているよ」
「わ、私も、お慕いしてます」
「――ありがとう。だが、これ以上はやはりやめておこう。自分で言っておいて何だが、君の可愛い表情が、皆に見られてしまうのは、少し気に入らないからな」
ギル様はそんなことを言いながらも、私の左手薬指にも流れるようにキスを落とした。
「パーティーが終わったら、正式に婚約の書類を用意しよう。それから、この指にぴったりの指輪を贈って、結婚の日取りも決めて――ああ、楽しみだな」
ギル様の嬉しそうな笑顔を見ていると、私も幸せな気持ちになってくる。
「ふふ、私も楽しみです」
私がそう言って微笑むと、ギル様は蕩けるように目元を細めた。
私は、確かにこの表情を他の人に見られるのは少し嫌かもなんて思ってしまい、ギル様が先ほど言った、普通なら重たくも感じられる言葉の意味が、ちょっぴり理解できてしまったのだった。




