117. 持たざる者、なのだそうです
筆頭聖女セレスティア様は、諦めたように語り始めた。
「わたくしには、姉と妹がいるわ。三姉妹の次女、そして三姉妹の中で唯一、何も持っていなかったのが、わたくしだったのよ――」
曰く。
筆頭聖女様の姉は、マクファーソン侯爵家の次期当主だ。
当主教育が施され、父も家令もそのように扱い大切に目を掛けて育ててきた。
生まれつき頭の出来が良かった姉は、当主教育に大して苦労するさまも見せず、いつも快活に笑っていた。
教育の傍ら仕事を次々と任せられるようになり、今は公私ともに支えてくれる素晴らしい夫を迎え、領地で悠々自適な生活を送っている。
筆頭聖女様の妹は、王太子殿下と同い年だった。
そのため幼い頃から妹は王太子殿下の婚約者候補として扱われ、ザビニ商会で取り扱っている綺麗なドレスや宝石を与えられて、しょっちゅうお茶会に呼ばれていった。
いつしか王太子殿下も妹と仲良くなっていき、妹はあっさりと王太子殿下の婚約者の座におさまった。
生まれた年が同じだった、ただそれだけで。
「二人に引き換え、わたくしには、生まれ持ったものなど何もなかったわ。成人したらザビニ商会の次期会頭となる男と結婚させると言われ、自分では夫になる人も選べない。妹のように最新のドレスを与えられることもなく、姉のように優秀な頭でもないのに読み書き計算、経理の勉強……もう、たくさんだったわ」
そんな筆頭聖女様が十歳となったある日のこと、彼女に転機が訪れる。
侯爵邸の三階にあるバルコニーから足を滑らせ、転落するという事故が起きたのだ。
「下は石畳。頭から落ちて、あわや大惨事のはずが、わたくしは怪我一つしなかった。クリスティーナ……あなたなら分かるわよね? 同じように、死に瀕した状況から無傷で生還したあなたなら」
「え……死に瀕した状況、ですか?」
「覚えていないのね。ならいいわ。とにかく――わたくしは、そのときに聖魔法の力を発現したの」
私の過去のことを筆頭聖女様が何故知っているのか、その日私の身に何があったのかは疑問だが――それは後だ。
今は私の話を聞くべき時ではない。私は上級ポーションの精製を続けながら、首を傾げるに留めた。
とにかく、事故がトリガーになったのか、筆頭聖女様は聖魔法を発現して、神殿に入ることになった。
筆頭聖女様は、すぐさま聖魔法の訓練を始めたが、なかなか同年齢の聖女たちに追いつくことはできなかった。
通常なら九歳から聖魔法の練習が始まるが、彼女は十歳。一年の遅れがあったのだ。
ここでも、彼女は『持って』いなかった。
「わたくしは、本当に嫌気が差したわ。でも、神殿にいた聖女たちの中で、一番家格が高かったのがわたくしだったの。なら――せめてわたくしが持っているものを使って、少しぐらいズルをしたっていいのじゃないかって思ったわ」
そうして、筆頭聖女様は父親にお願いをした。自分の立場が良くなるように。
マクファーソン侯爵は、筆頭聖女様の雑事の割り当てをなくし、上級聖女から個人授業が受けられるよう手配した。
あわよくば、自分も上級聖女になれたら――なんて思っていたら、父親の野心は彼女が思っていた以上に高く、彼女はあっという間に、本当に上級聖女になってしまった。
「最年少で上級聖女になったことで、わたくしは生まれて初めて、皆から敬われるようになったわ。わたくしが十一歳の頃のことだった。その頃から、新人聖女の面倒を見るという仕事も割り当てられるようになって……わたくしは、あることに気がついたの」
筆頭聖女様は、ある日、聖女の一人が誤って薬液ではなくただの水に魔力を注ぎ、ポーションを精製しようとしていた所を目撃した。
余程疲れていたのだろう、彼女はしばらくそのまま気がつかなかったのだが、同僚が横から指摘し、本来の薬液を混ぜると、一気に精製が進んだのである。
それを見て、筆頭聖女様は、魔力のこもった水を掻き集めて、上級ポーションの薬液に注いでいけば、魔力の弱い自分でも上級ポーションが精製できるのではないかと考えた。
「自分の魔力だけでは足りないなら、持っている人から借りればいい。けれど、上級ポーションが精製できるほどの魔力を持った人は現役の聖女にはいなかったし、そもそも怪しまずに魔力水を作ってくれるわけがないわ。なら――何も知らない新人聖女から、見つけ出して奪ってしまえば良い」
そうして、筆頭聖女様は新人教育の傍ら、強い魔力を持つ聖女を探し始めて――私を見つけた。
「あなたには教育が始まる前から一目置いていたから、わたくしの求める高濃度の魔力水を作ったのを見て、やはりと思ったわ。それと同時に、力も美貌も尊き血も、何もかも持っている人間が目の前にいて――なのにわたくしの一言で容易に転落させることができる。わたくしはそのことに仄暗い喜びを覚えたわ」
「尊き血……? 私は、父も母も分からない孤児ですよ?」
「本当に何も覚えていないのね。まあ、そのおかげでわたくしも最高の家格だと嘯いて、大きい顔が出来たのだから良いんだけど」
「えっと……どういう……?」
筆頭聖女様は、首を横に振るだけで答えてはくれなかった。
「……セレスティア。もう一つ聞きたいのだけど」
王太子殿下が、低く平坦な声で尋ねる。
「君は、上級ポーションの功績を引っ提げて、筆頭聖女の座にのし上がった。そして、叔母上にその功績を直訴し――『マクファーソン侯爵令嬢』と僕との婚約を、君と僕との婚約だという噂に挿げ替えてしまった」
私は王太子殿下の言葉を聞いて、先ほど筆頭聖女様が、確かに「妹が王太子殿下と婚約を結んだ」と言っていたことを思い出した。
殿下は、感情を殺したような声音で続ける。
「ねえ、君が妹のアリスティア嬢から、僕の婚約者という立場を奪ったのはどうしてだい? 君は、僕自身に対して、好意どころか興味すら持っていないだろう?」
「あら、そんなことはないわよ? 少なくともザビニ商会の会頭候補の男より、ずっと素敵だと思っていたわ」
「いいや、違うね。君が興味を持っていたのは、僕の地位、それから君自身が得られるであろう権力だ。王太子妃、ゆくゆくは王妃になれば、気に入らない人間でも誰でも傅かせることができるから」
筆頭聖女様は、こんな状況にもかかわらず、唇の端をにぃ、と吊り上げた。
王太子殿下は、はぁ、と深くため息をつく。
「最初から、感じていたよ。君は、僕自身を見る気なんて微塵もなくて、他者の上に立つことにしか関心がなかったんだ。もしも僕が王太子ではなかったら、それでも君は僕と結婚したいと思えた?」
「……それは……どうかしら。あなたは妹の婚約者だったもの」
「は、潔いほど下衆な考え方だな。僕の身分がどうであれ、僕を奪えばアリスを悲しませることは出来るもんね?」
心底ゾッとするやり口だ。
殿下の後ろにいた女性使用人も、相当不快に思ったらしく、うつむいて裾をきゅっと握り、プルプルと震えている。
「でも、それももう終わり。君にはもう、僕の妃になる資格がない。たった今、君の嘘が証明されてしまったからね――ほら」
「おお……」
「これは……」
周囲で見守っていた貴族たちから、感嘆の声が上がる。
「――完成しました」
少し集中力の乱れる場面もあったが、私はどうにか、上級ポーションの精製を完了したのだった。




