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無能聖女の失敗ポーション  作者: 矢口愛留
第五部 聖女誘拐編

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107. 真実の愛が呪いを解くのです


 唇が触れ合った瞬間、私たちを眩い黄金色の光が包み込む。


 それは心地よい魔力の奔流。

 力強くて、優しくて、あたたかいもの。


 唇が離れ、光の奔流が収まった後も、魔力の残滓は、ぽわぽわと辺りに舞い続けている。

 まるで黄金色の雪のように、私たち二人の周りを淡く照らしていた。


「ティーナ――」


 女神様の魔力と同じ、美しい黄金色の瞳。甘く潤んで、私を愛おしげに見つめている。

 感極まったように掠れ震える囁き声が、私の耳を優しくくすぐる。


「呪われた私を受け入れてくれて――愛してくれて、ありがとう」


 ギル様の腕が、私の背中を包み込む。私も、彼の背に回した腕に力を込める。


「愛しているよ、ティーナ。心から、君を愛している」


 再び、ギル様のかんばせが近づいてくる。

 私はそっと目を閉じて、先ほどよりも長く深く、彼と熱を分かち合った。





 ギル様が私を解放してくれたのは、しばらくして、女神様の魔力の残滓も消え去った頃だった。


 彼は酸欠でくらくらする私を支え、膝裏に手を入れて、そのまま横抱きにした。


「お、重くありませんか……?」

「いいや、羽のように軽いよ」

「で、でも」

「私がこうしたいんだ。少しの間、このままで許してくれ」


 ギル様はこの上なく嬉しそうに微笑みながら、ゆっくりと歩き始めた。玄関扉の方へと向かっているようだ。


「お外に出るんですか?」

「少し確かめたいことがあるんだ」

「確かめたいこと?」

「ああ。――見ての通り、今の私は、普段の姿に戻っているだろう?」

「あれ? そういえば」


 私は、ギル様の腕の中から彼の顔を見上げる。

 その瞳孔はもう縦長ではなく、いつの間にか普段通りのまん丸に戻っている。

 肌の鱗模様も消えているし、二本の角も、触り心地の良さそうな翼もなくなっていた。


 私は首を傾げた。ギル様の話によると、メリュジオンの呪いは日が昇るまで継続するはずだ。

 今はまだ日が沈んで間もなく、夜が更けてすらいないのだが――。


 内心の私の疑問にをよそに、ギル様は私を横抱きにしたまま、玄関扉を器用に開ける。

 ひんやりとした夜の香りが、火照った肌に心地良い。風も月もない、暗く静かな夜だ。


「外の空気が、気持ちいいですね」

「ああ、そうだな。……こんなに穏やかな気持ちで大地の日を迎えられる時が来るなんて、想像もしていなかったよ」


 ギル様はくすりと笑みをこぼす。

 月のない空を見上げながら、彼は言葉を続ける。


「大地の日はいつも、暴れ出す呪いの力によって身体が強引に作り変えられ、自分の意思に反して魔力の噴出が続く。それに伴って、一晩中強い痛みに苛まれていたんだ。だが今は、あれほど暴れ狂っていた女神の魔力が、私自身の魔力と完全に一体化している」


 そう言ってギル様は、私を地面に優しく下ろした。


「人の気配はないな。……私自身は好きではないが……、以前、君が触りたいと言っていたから。今なら実体を出せる」


 照れくさそうに呟いて、ギル様は黄金色の魔力を背中に集中させる。

 ぱあっとギル様の背中部分が光り輝き、あっという間に女神様の翼が顕現した。


「わぁ……! 翼! 触ってもいいんですか?」

「ああ。君の気が済むまで、いくらでも」

「わわ、嬉しいです……! なら、お言葉に甘えて……」


 細かな羽毛に覆われた翼の内側に、そっと指を這わせる。

 そこは予想よりも滑らかで柔らかく、そして温かかった。


「わぁ……ふかふかで、あったかくて、気持ちいいです……!」

「ふ、何だかくすぐったいな」


 このままいつまででも触っていられそうだが、それではギル様が困ってしまうだろう。

 私は名残惜しく思いながら、翼から手を離す。


「ギル様、ありがとうございました」


 私がお礼を言うと、ギル様の背中に顕現していた翼は、黄金色の細かい粒子を放ちながら消えていった。

 ギル様と目を合わせれば、彼は心底嬉しそうに頬を緩めた。その甘さに、私の胸はどきどきと高鳴ってしまう。


「これからは二人きりのとき、君が望むならいつでも触らせてやれる。だから、そんな顔をするな」

「えっ!? わ、私どんな顔してました!?」

「ふ。物欲しそうな顔、かな」

「そそそんな顔してましたか!?」

「はは」


 ギル様の微笑みがやけに色っぽくて、私はどぎまぎしてしまった。

 そんな私を見て、ギル様はおかしそうに笑う。今度の笑顔は無邪気で、純粋で――私にとっては、どちらも愛おしく感じられる笑顔だ。


「これで、確信したよ。――メリュジオンの呪いは、ついに解けた」


 ギル様は、私の頬にそっと手を添えた。彼は私を愛おしげに、潤んだ瞳でじっと見つめている。


「ティーナが、私を真に愛してくれたからだな。――ありがとう、愛しい人。唯一無二の、私の番」


 私は、頬に添えられているギル様の手に、自らの手のひらを重ねる。ギル様の手は、私のものよりずっと大きくて、あたたかい。


「ふふ。……でも、それだけじゃない、と思います」


 私は、微笑みながら小さく首を横に振る。

 ギル様は、ゆっくり一度だけまばたきをして、私の言葉を待った。


「呪いが解けたのはきっと、ギル様が、私を心から深く愛してくれたからです。ギル様が、私を信じてくれたから。ギル様にとっては、打ち明けるのが辛い真実だったはずなのに、ギル様が勇気を出して、包み隠さず私に全てを見せてくれたから。だからきっと、これは女神様からギル様へのご褒美です」

「……ふ。ご褒美、か」


 ギル様は私の言葉に目を見開くと、面白そうに頷いた。


 私は微笑んで頷き、頭に思い浮かんだあの歌を口ずさむ。


「――愛は巡る、自らへ還る。命も巡る、とこしえに巡る」


 母が残したただ一つの思い出を口ずさむと、心がぽかぽかと暖かくなる。

 歌が上手いわけではないけれど、今、どうしてもこの歌を歌いたくなった。


 ギル様は、最後のフレーズを歌い終わるまで、静かに耳を傾けてくれていた。


「――いい歌だな」


 聴いてほしかった部分を歌い終え、ギル様の方を仰ぎ見る。

 ギル様は優しくあたたかく、何かを懐かしむような表情をしていた。


「これは、私が唯一覚えている、小さい頃の記憶なんです。この世の全ては、巡り巡っているのだと――そう言って、母が歌ってくれました」


 神官様に拾われ、神殿に入るよりも前の、遠い遠い記憶。

 あたたかくて、心地良かったことだけは、覚えているのだが。


「もう、顔も覚えていないんです」


 記憶の糸をたぐり寄せても、母と父がどんな人だったのかも、どんな家に住んでどんな暮らしをしていたのかも、私に兄弟がいたのかどうかも、一切何も思い出せない。


「でも、優しい声と、この歌だけはずっと記憶に残っていて。何となく、今、ギル様にも聴いてほしくなったんです」

「愛は巡る、か――私が君を愛したから、君は私を愛したと?」

「うーん、それも少しあるかもしれないけど、始まりはそうじゃない……と思います。それに、与えて返ってくるっていうのとはまた違くて……何て言うんだろう。そう――出会うべくして出会って、惹かれるべくして惹かれたというか」

「巡る因果、あるいは運命、か。そうだな……私にも、何となく分かるよ」


 そう言ってギル様は、遠くの空を仰ぎ見る。

 月が出ていないかわりに、紫紺の空には満天の星が瞬いていた。


 晩夏の山奥、美しい星空の下――もっと見ていたいが、少々長く外に居すぎたようだ。私はふるりと小さく身震いした。


「……肌寒くなってきたな。ティーナ、一度部屋に戻ろう。ジェーンが持ってきた荷物の中に、あたたかい服装があっただろう? それに着替えておいで」

「はい。わかりました」

「私も、別の服に着替えてくる。着替えが済んだら、行きたい場所があるんだ。付き合ってくれるか?」

「もちろんです。どこまででもお供します」


 私は頷き、早速部屋に戻って新しい服に着替えたのだった。



 お読みくださり、ありがとうございます!

 次から第六部、物語は最終章へと入ってまいります。

 引き続きお楽しみいただけましたら幸いです♪

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