107. 真実の愛が呪いを解くのです
唇が触れ合った瞬間、私たちを眩い黄金色の光が包み込む。
それは心地よい魔力の奔流。
力強くて、優しくて、あたたかいもの。
唇が離れ、光の奔流が収まった後も、魔力の残滓は、ぽわぽわと辺りに舞い続けている。
まるで黄金色の雪のように、私たち二人の周りを淡く照らしていた。
「ティーナ――」
女神様の魔力と同じ、美しい黄金色の瞳。甘く潤んで、私を愛おしげに見つめている。
感極まったように掠れ震える囁き声が、私の耳を優しくくすぐる。
「呪われた私を受け入れてくれて――愛してくれて、ありがとう」
ギル様の腕が、私の背中を包み込む。私も、彼の背に回した腕に力を込める。
「愛しているよ、ティーナ。心から、君を愛している」
再び、ギル様のかんばせが近づいてくる。
私はそっと目を閉じて、先ほどよりも長く深く、彼と熱を分かち合った。
*
ギル様が私を解放してくれたのは、しばらくして、女神様の魔力の残滓も消え去った頃だった。
彼は酸欠でくらくらする私を支え、膝裏に手を入れて、そのまま横抱きにした。
「お、重くありませんか……?」
「いいや、羽のように軽いよ」
「で、でも」
「私がこうしたいんだ。少しの間、このままで許してくれ」
ギル様はこの上なく嬉しそうに微笑みながら、ゆっくりと歩き始めた。玄関扉の方へと向かっているようだ。
「お外に出るんですか?」
「少し確かめたいことがあるんだ」
「確かめたいこと?」
「ああ。――見ての通り、今の私は、普段の姿に戻っているだろう?」
「あれ? そういえば」
私は、ギル様の腕の中から彼の顔を見上げる。
その瞳孔はもう縦長ではなく、いつの間にか普段通りのまん丸に戻っている。
肌の鱗模様も消えているし、二本の角も、触り心地の良さそうな翼もなくなっていた。
私は首を傾げた。ギル様の話によると、メリュジオンの呪いは日が昇るまで継続するはずだ。
今はまだ日が沈んで間もなく、夜が更けてすらいないのだが――。
内心の私の疑問にをよそに、ギル様は私を横抱きにしたまま、玄関扉を器用に開ける。
ひんやりとした夜の香りが、火照った肌に心地良い。風も月もない、暗く静かな夜だ。
「外の空気が、気持ちいいですね」
「ああ、そうだな。……こんなに穏やかな気持ちで大地の日を迎えられる時が来るなんて、想像もしていなかったよ」
ギル様はくすりと笑みをこぼす。
月のない空を見上げながら、彼は言葉を続ける。
「大地の日はいつも、暴れ出す呪いの力によって身体が強引に作り変えられ、自分の意思に反して魔力の噴出が続く。それに伴って、一晩中強い痛みに苛まれていたんだ。だが今は、あれほど暴れ狂っていた女神の魔力が、私自身の魔力と完全に一体化している」
そう言ってギル様は、私を地面に優しく下ろした。
「人の気配はないな。……私自身は好きではないが……、以前、君が触りたいと言っていたから。今なら実体を出せる」
照れくさそうに呟いて、ギル様は黄金色の魔力を背中に集中させる。
ぱあっとギル様の背中部分が光り輝き、あっという間に女神様の翼が顕現した。
「わぁ……! 翼! 触ってもいいんですか?」
「ああ。君の気が済むまで、いくらでも」
「わわ、嬉しいです……! なら、お言葉に甘えて……」
細かな羽毛に覆われた翼の内側に、そっと指を這わせる。
そこは予想よりも滑らかで柔らかく、そして温かかった。
「わぁ……ふかふかで、あったかくて、気持ちいいです……!」
「ふ、何だかくすぐったいな」
このままいつまででも触っていられそうだが、それではギル様が困ってしまうだろう。
私は名残惜しく思いながら、翼から手を離す。
「ギル様、ありがとうございました」
私がお礼を言うと、ギル様の背中に顕現していた翼は、黄金色の細かい粒子を放ちながら消えていった。
ギル様と目を合わせれば、彼は心底嬉しそうに頬を緩めた。その甘さに、私の胸はどきどきと高鳴ってしまう。
「これからは二人きりのとき、君が望むならいつでも触らせてやれる。だから、そんな顔をするな」
「えっ!? わ、私どんな顔してました!?」
「ふ。物欲しそうな顔、かな」
「そそそんな顔してましたか!?」
「はは」
ギル様の微笑みがやけに色っぽくて、私はどぎまぎしてしまった。
そんな私を見て、ギル様はおかしそうに笑う。今度の笑顔は無邪気で、純粋で――私にとっては、どちらも愛おしく感じられる笑顔だ。
「これで、確信したよ。――メリュジオンの呪いは、ついに解けた」
ギル様は、私の頬にそっと手を添えた。彼は私を愛おしげに、潤んだ瞳でじっと見つめている。
「ティーナが、私を真に愛してくれたからだな。――ありがとう、愛しい人。唯一無二の、私の番」
私は、頬に添えられているギル様の手に、自らの手のひらを重ねる。ギル様の手は、私のものよりずっと大きくて、あたたかい。
「ふふ。……でも、それだけじゃない、と思います」
私は、微笑みながら小さく首を横に振る。
ギル様は、ゆっくり一度だけまばたきをして、私の言葉を待った。
「呪いが解けたのはきっと、ギル様が、私を心から深く愛してくれたからです。ギル様が、私を信じてくれたから。ギル様にとっては、打ち明けるのが辛い真実だったはずなのに、ギル様が勇気を出して、包み隠さず私に全てを見せてくれたから。だからきっと、これは女神様からギル様へのご褒美です」
「……ふ。ご褒美、か」
ギル様は私の言葉に目を見開くと、面白そうに頷いた。
私は微笑んで頷き、頭に思い浮かんだあの歌を口ずさむ。
「――愛は巡る、自らへ還る。命も巡る、とこしえに巡る」
母が残したただ一つの思い出を口ずさむと、心がぽかぽかと暖かくなる。
歌が上手いわけではないけれど、今、どうしてもこの歌を歌いたくなった。
ギル様は、最後のフレーズを歌い終わるまで、静かに耳を傾けてくれていた。
「――いい歌だな」
聴いてほしかった部分を歌い終え、ギル様の方を仰ぎ見る。
ギル様は優しくあたたかく、何かを懐かしむような表情をしていた。
「これは、私が唯一覚えている、小さい頃の記憶なんです。この世の全ては、巡り巡っているのだと――そう言って、母が歌ってくれました」
神官様に拾われ、神殿に入るよりも前の、遠い遠い記憶。
あたたかくて、心地良かったことだけは、覚えているのだが。
「もう、顔も覚えていないんです」
記憶の糸をたぐり寄せても、母と父がどんな人だったのかも、どんな家に住んでどんな暮らしをしていたのかも、私に兄弟がいたのかどうかも、一切何も思い出せない。
「でも、優しい声と、この歌だけはずっと記憶に残っていて。何となく、今、ギル様にも聴いてほしくなったんです」
「愛は巡る、か――私が君を愛したから、君は私を愛したと?」
「うーん、それも少しあるかもしれないけど、始まりはそうじゃない……と思います。それに、与えて返ってくるっていうのとはまた違くて……何て言うんだろう。そう――出会うべくして出会って、惹かれるべくして惹かれたというか」
「巡る因果、あるいは運命、か。そうだな……私にも、何となく分かるよ」
そう言ってギル様は、遠くの空を仰ぎ見る。
月が出ていないかわりに、紫紺の空には満天の星が瞬いていた。
晩夏の山奥、美しい星空の下――もっと見ていたいが、少々長く外に居すぎたようだ。私はふるりと小さく身震いした。
「……肌寒くなってきたな。ティーナ、一度部屋に戻ろう。ジェーンが持ってきた荷物の中に、あたたかい服装があっただろう? それに着替えておいで」
「はい。わかりました」
「私も、別の服に着替えてくる。着替えが済んだら、行きたい場所があるんだ。付き合ってくれるか?」
「もちろんです。どこまででもお供します」
私は頷き、早速部屋に戻って新しい服に着替えたのだった。
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次から第六部、物語は最終章へと入ってまいります。
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