106. 真実の姿に、真実の愛を
辺境騎士団の馬車が山奥のロッジに到着したのは、正午を少し回った頃だった。
「遅くなってしまい、申し訳ございません」
そう言ってギル様と私に深く頭を下げているのは、ジェーンだ。
ジェーンの連れてきた騎士たちは、頭を下げる彼女の背後で、慌ただしく捕虜たちを馬車へ連行している。
もちろん、ギル様とは連絡をきちんと取っていたらしく、二人の冒険者と聖女アリエルのことは丁重に扱っていた。
「彼らを乗せたら、一台目と二台目の馬車はただちに出発いたします。その後、残った騎士でロッジ内の捜索と押収品等の荷物をまとめさせていただき、三台目、四台目の荷馬車へ積み込みます。座り心地は少々悪うございますが、主様とクリスティーナ様も、三台目の荷馬車にてお戻りいただく形でよろしゅうございますか?」
「いや……私にはまだやることが残っている。戻りは明日以降だ」
私はギル様の返答に驚いたが、ジェーンは意を得たりと頷いている。
「騎士は残しますか?」
「不要だ。それから……ティーナ、君は私と一緒に残ってくれるか?」
「えっ?」
ギル様の提案に私はさらに驚いた。なぜなら、今日は大地の日だ。
戻りが明日以降ということは、いつもギル様が人目を避け、私のことも決して近寄らせなかった、大地の日の夜を越えることになる。
私はためらいがちに頷いた。
「はい……でも、あの、私が一緒にいてもいいのですか?」
「ああ。――もう、逃げないと決めたんだ」
そう答えるギル様の瞳には、静かなゆるぎない決意の光が宿っている。
何か、私たちの運命が大きく変わるような……そんな予感を覚えて、私の心は小さく震えた。
「――わかりました。ぜひご一緒させてください」
まっすぐにギル様の瞳を見つめ、意思を込めて返答をすると、ギル様はわずかに口角を上げて頷いた。
*
全ての作業が終わり、ジェーンへの引き継ぎも終えて、騎士たちも全員引き上げたあと。
先ほどまで人の気配に満ちていた山奥のロッジは、ギル様と私の二人を残すだけとなり、しんと静まりかえっていた。
日暮れまでは、まだ少しだけ時間がある。
人がいなくなったリビングルームで、私とギル様は向かい合って座っていた。
テーブルの上には、先ほど用意した温かい琥珀珈琲が、良い香りの湯気を立ち昇らせている。
「ティーナ、改めて……君が無事で本当に良かった」
「ご心配をおかけしました。ギル様、助けてくださって、ありがとうございます」
「助けられて良かった。もしも君に何かあったら、私は理性を失い、全てを壊し、魔物の如く暴れ回って――今頃はもう、この世にいなかったことだろう」
「そんな、大袈裟な」
「大袈裟ではない。事実だ」
きっぱりと言い切るギル様の表情は真剣そのもので、嘘をついているようには思えない。
けれど、私にも少しだけ思い当たるところがあった。
普段私の前でだけ見せる優しく甘い一面や、厳しく立派な領主としての一面を見ていると、とてもそうは思えないが――このロッジで、ギル様は、冷酷で非情な一面も覗かせていた。
それが私や辺境騎士団の仲間たちに向くことがないと分かってはいるが、もしも私の身に何かあったら、私の誘拐に関与した人たち全員に容赦なく鉄槌を下したであろうことは、容易に想像ができる。
ただ――最後の一言、彼がもうこの世にいなかっただろう、という言葉にだけは納得がいかない。
「ギル様……この先もしも、私や大事な人に何かあったとしても、自分のお命は、絶対に大切にしてください。ギル様がいなくなったら困る人は、たくさんいるんですから」
しかし、ギル様は切なげに眉尻を下げて、首を横に振る。
「ギル様……!」
「……いや……私もかつては、そのようなことが自分の身に起きるはずはないと思っていた。私の叔母が自ら命を絶ったと聞いても、全く理解できなかったし、領民や国民に対する冒涜だと……叔母は己の本能に抗えない愚か者だったのだと、そう思っていた」
「……叔母様、ですか? 前フォレ公爵の?」
ギル様は、瞼を伏せて頷いた。
長い睫毛が、夕陽に照らされオレンジ色に染まった頬に、影を落とす。
「――メリュジオンの呪い子」
ぽつりと低く呟いたその言葉が、静かなロッジに、ずしりと重く小さく響く。
「私も、叔母も――代々のフォレ公爵は、メリュジオン王家の、呪い子なのだ」
そうして、ギル様は、ゆっくりと語り始めた。
メリュジオン王国に伝わる建国神話と、初代王妃の母である女神が、王家の血筋に残した呪いのことを――。
*
ギル様が王家の呪いについて話し終えた頃には、夕陽のオレンジもかすみ、夜の端が空を紫色に染め始めていた。
ギル様はテーブルの上のランプに灯をともし、全てのカーテンを隙間なく閉めていく。
そして――ギル様の身体から、黄金色の光の粒が淡く舞い始めた。
「……そろそろ、始まる。私は目を瞑っているから、ティーナが受け入れられないと思ったら、すぐに、別の部屋へ移動してくれて構わない。だが、もしも受け入れてくれるのなら――どうか、君の方から、私に触れてほしい」
ギル様はそう言って、不安を隠したまま、ゆっくりと瞼を閉じていく。
私は、彼の姿が徐々に変化していくさまを、強くなる黄金色の光の中で、目の当たりにした。
光り輝く黄金色の翼が、ばさりと広がる。
以前見たものと見た目は同じだが、今日は実体があるらしい。騎士服の生地がびりりと破ける音が聞こえてくる。
芸術品のように美しいかんばせにかかる、紺色の髪の毛。
その前髪の合間から伸びてきたのは、これまた芸術品のように流麗で立派な二本の角。
マントで隠れた腰の方からも、すらりと長い尻尾が現れた。
いつか王都別邸で見た、ギル様の部屋のカーテンに映った影――当時はペットだと思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
そして、騎士服の間からのぞく手の甲や首筋、頬のあたりまでも、黄金色のなめらかな鱗に覆われている。
女神様の魔力に覆われ、きらきらと美しく光り輝いていた。
私がぼうっと眺めているうちに、ギル様の変化も止まったようだ。
翼に、角に、尻尾に、鱗――確かに驚くべき変化だ。
けれど、そのどれも、決してギル様の魅力を損なうものではない。
私は、瞼を閉じて静かに佇むギル様の方へ、吸い寄せられるように近づいた。
そして――。
「ギル様。いつものお姿も、今のお姿も――どちらもすごく素敵だと、私は心から思います」
黄金色の光をまとう、大好きな人の胸の中に飛び込んで。
背中に手を回し、ぎゅっと抱きつき頬を擦り寄せながら。
「ギル様、大好きです」
私は素直な気持ちを彼に囁き、その秀麗なかんばせをそっと見上げた。
彼の瞼が、ぴくりと震えて開かれていく。
その瞳孔は蛇のように縦長に伸びているが、それすらも魅力的に思えてしまうのは、大好きなギル様の瞳だからだろうか。
「ティーナ――」
「――愛しています」
少し緊張しながらも、私は初めて、自分から彼に唇を寄せた。
――そうして、ギル様と私の唇が触れ合った、その刹那。
これまでとは比べ物にならない、強く眩く、けれどあたたかな黄金色の光が、突如私たちを包み込んだのだった。




