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無能聖女の失敗ポーション  作者: 矢口愛留
第五部 聖女誘拐編

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105. それぞれの変化


 上級ポーションの精製で魔力をたくさん使った私は、ギル様の厚意に甘えて、少し休ませてもらうことになった。


 精製を終えた時には雨はもう小降りになっていたが、どんよりと重く暗く立ちこめる雨雲の様子からして、まだまだ止む気配はない。

 薬液の調合にもけっこうな時間を使ってしまった。途中でお昼休憩も取ったし、グレイさんへの二度目の尋問も、調合の合間にギル様が一人で対応していたようだ。


「ギル様、救援の状況はどうなっているのですか?」

「ジェーンからの連絡によると、騎士団の馬車はもうこの山の麓まで来ていて、雨が止むのを待機している状況のようだ」

「そうなのですね。でも……雨、止みませんね」

「ああ……そうだな」


 ギル様は憂いを帯びた顔で、窓の外を見やる。外は、やはり細かい雨が糸のように降りしきっていた。


「今は小雨になっているが、昼頃までの豪雨で、山道は馬車が通るには危険な状態だ。雨が止みさえすれば魔法で土砂を固めることも可能だが……当面の間は、登山も下山も難しい」


 私たちだけだったら、かつギル様が万全の状態であれば、ギル様の風魔法を利用して安全なところまで下りることもできたそうだ。

 だが、ここには捕虜が複数人いる。証拠品や貴重な魔法薬素材、精製した上級ポーションなども置かれたまま。


 そして何より、ギル様がゆっくりと休める状況にないため、彼の魔力も回復しきっていない。休むにしても内外の安全に警戒しなければならず、探知用の微弱な結界を張りながら休息しているためだ。


「せめて麓まで飛べるぐらい、魔力が回復していればな……。窮屈な思いをさせてすまない」

「いいえ。こちらこそあまり力になれず、ギル様にばかりご負担をおかけして、ごめんなさい」

「決して負担だなどということはないよ。君がこうして無事で、私のそばにいてくれるだけで、私は誰よりも強くなれるのだから」


 ギル様はそう言って優しく微笑むが、その顔にはやはり疲れと――隠しようもない焦りが滲んでいる。


「早く止むといいですね……」

「……ああ。本当にな」


 私もギル様も言葉にしないが、明日は大地の日。

 できることなら、今日中に片を付けたいと思っているはずだ。


 ――私たちの思いとは裏腹に、雨は夜遅くまで、しっとりと降り続いたのだった。





 そして、翌朝。

 昨日の大雨が嘘のように、外は爽やかな青い空が広がっていた。


 埃を洗い流したかのように澄んだ空気に、雨上がりの土と草花の匂い。

 なんだか久しぶりに、気分が上向きになるのを感じる。


「おはよう、ティーナ」

「あっ、ギル様、おはようございます! 綺麗に晴れましたね」

「ああ。気持ちの良い朝だな」


 窓を開けて外の風を感じていた私の隣に、ギル様がやって来た。

 彼も私と同じように窓枠に肘を乗せると、そのまま頬杖をついて、私と肩を並べる。

 私がにこりと微笑むと、ギル様も柔らかく目元を細めた。


「先ほど、良い知らせがあった」

「もしかして、騎士団の救援ですか?」

「ああ。日が昇ってすぐに、道を整備する作業に入ったようだ。安全の確認が取れ次第、馬車を向かわせるとのことだ」

「良かった……! ようやくですね」


 頷くギル様の表情も明るい。


「それだったら、どうにか夕方までには麓の街に下りられるでしょうか」

「……どうだろうな。道の具合にもよるだろうから、何とも言えないな」

「え、でもそうしたら……」

「まあ、心配するな。何とかなるさ――きっと」


 私の不安をよそに、ギル様は遠くの青空に視線を流し、淡く微笑む。

 考えてあるとか問題ないとかではなく、きっと何とかなるだなんて不確実なことを言うギル様が珍しくて、私は彼の横顔をじっと見つめた。

 静かでゆらぎのない黄金色の瞳は、祈るように遠くの空を仰いでいる。


「騎士団が到着したら、まずは冒険者二人と聖女アリエルを中央の街(セントラルシティ)に送り届け、それから罪人共の護送に入る。私は冒険者たちに話をしてくるから、君はアリエル嬢に、今日中に馬車が到着しそうだと伝えてきてくれるか?」

「……はい!」


 彼が昨日見せていた、憂いも焦りも不安さえも、雨に流されてどこかへ行ってしまったみたいだ。

 一体何がギル様に心境の変化を齎したのかはわからないが、甘く優しい微笑みは、変わらず私に向けられている。

 ならば、私は彼の想いに、彼の決断に、心を尽くして寄り添うだけである。




 昨日からアリエルは、キッチンではなく調合室で過ごしている。

 一昨日の晩は調合室の鍵が開いていなかったため、彼女はキッチンで寝泊まりしていたが、調合室の方がまだ落ち着くと言っていた。

 慣れ親しんだ魔法薬素材の匂いや、静謐な空気感が、教会を思い出させてくれるのだとか。


「アリエル、起きていますか?」

「起きてるわよ。どうぞ」


 私がノックをしながら声をかけると、中からアリエルの返事が聞こえてきた。

 扉を開けると、アリエルは机に向かって、何か書き物をしているところだった。


「何か用?」

「はい。雨が止んだので、辺境騎士団の馬車が今日中に来れそうなんです」

「そう。ようやく帰れるのね……長かったわ……」


 アリエルはそう言って、机に向かったまま、こちらを振り返ることなく窓の方を眺めた。


「それだけお知らせしに来ました。じゃあ、また後ほど」


 よほど大切な書き物のようだ。あまり長居をして、邪魔しない方がいいだろう。


「待って。クリスティーナ、今ちょっと時間ある?」

「え? はい、何でしょう?」


 私は扉を閉めて立ち去ろうとしたのだが、アリエルが呼び止める。

 彼女はそれまで何か書きこんでいた紙束を手に持つと、それを揃えて立ち上がり、私の方へ差し出した。


「はい、これ。上手に使って」

「これは……?」


 アリエルから手渡された紙束には、解毒ポーションや気付けポーション、石化回復ポーション……様々なポーションの薬液レシピが、イラスト付きで丁寧に描かれていた。

 上級ポーションのレシピと同様、びっしりと注釈もついている。どのレシピも、上級ポーションに比べて圧倒的に簡単だ。

 ギル様に見てもらいながらだったら、調合初心者の私でも、すぐに調合できるものもあるかもしれない。


「わああ……! すごいです!」


 私は目を輝かせて、感嘆の声を上げた。アリエルは私から視線をそらし、ぽりぽりとこめかみの辺りを指で掻いている。


「罪滅ぼしってわけじゃないけど……あなたのことを誤解してたのと、虐められてるのを見て見ぬ振りしてたお詫び」

「アリエル、嬉しいです! 本当にありが――」

「ストップ。ただ単に私の暇つぶし兼自己満足だから、お礼なんて言わないで」


 アリエルは私の口元に人差し指を近づけ、制止の言葉をかけた。

 私が言葉を呑み込み、けれど感謝の気持ちを伝えようと何度もこくこく頷くと、彼女はぷっと吹き出した。


「そんなに激しく頷いたら、首がもげるわよ。本当は、浄化と治癒以外の魔法も教えてあげられたら良かったんだけど……さすがにそこまでの時間は取れなかったわ。魔法は調合と違って、紙に書けば習得できるってものでもないし」

「充分です……! アリエル、親切にしてくれて本当に」

「だからお礼はいらないって。これは私の自己満足だって言ったでしょ? それでももしお礼を言いたいなら――」


 アリエルはそう言って、不敵に笑う。


「私が中央の街(セントラルシティ)の教会に戻って、クリスティーナの身の回りも落ち着いたら、私のところを訪ねてきてちょうだい。そうしたら、聖魔法(いいコト)をたくさん教えてあげる。そのお礼だったら、受け取らないこともなくってよ?」

「――はい! 必ず!」


 私が目を潤ませながら返事をすると、アリエルはふっと優しく目元を細めた。


「……ふわぁ、なんか眠くなっちゃった。馬車が来るまで寝るわ。到着したら起こしに来て」

「はい。おやすみなさい!」


 アリエルは片方の手のひらを口元に当てながらそう言い、もう片方の手をひらひらと振った。


 私は扉を閉め、その外側でしばらくの間、頭を下げた。

 アリエルからもらった宝物を、大切に抱きしめて。



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