100. 無慈悲な提案です
突然笑みを消したギル様に、聖女様は「ひゅっ」と小さく喉を鳴らした。ギル様は容赦なく続ける。
「折角チャンスを与えたのに、結局出てきた言葉は謝罪ではなく自己保身とはな。最初から期待はしていなかったが、失望した」
「あ……っ、その、ごめ……」
「もう遅い。その喧しい口を閉じろ」
ギル様のまとう温度はすっかり下がりきっていたが、私がそっと彼の腕に触れると、小さく長く息を吐きだした。その拍子に、聖女様に向けている鋭利さも、ほんの少しだけ和らいだ……気がする。
「ティーナ、まさか許すなどと言わないだろうな?」
「許すもなにも、まだ聖女様……えっと、お名前何でしたっけ……?」
「……アリエルよ」
「アリエル様ですね。アリエル様はまだ、ご自分のなさったことを、きちんと理解しておられないのではないかと思うんですけど……」
私がそう言うと、アリエル様はうんうんと激しく首を縦に振っている。
ギル様はその仕草も不快だったのか、さらに眉間の皺を深くして、こめかみを押さえた。
「ティーナ、この女に敬称など付けるな。今は君の方がずっと上の立場だ」
「……お言葉ですけど公爵様、私は神殿から派遣されているれっきとした聖女で、こんな無能――」
「うるさい、黙れ。これ以上彼女を愚弄したら、容赦なく斬るぞ」
「……っ!」
聖女様たちは特別な地位を獲得しているからか、プライドの高い人が多いが、アリエルもご多分に漏れずのようだ。
ギル様の言葉が我慢ならなかったのだろうが、この状況で反論するとはなかなか勇気があるなあと感心してしまう。
当の本人は、ギル様にぴしゃりと躱された上、殺気のこもった声で忠告されて、青い顔をしている。
「ギル様、私のことはいいですから、お話を先に進めましょう」
「だが……」
「ギル様?」
「……はぁ、わかった。おい、お前、ティーナの慈悲に感謝するのだな」
アリエルは再びこくこくと頷く。ギル様は一度瞼を閉じて深呼吸をした。
「――ひとまず、今回の経緯について聞かねばならん。お前はなぜここにいる? 中央の街の教会での勤めはどうした?」
「ええと、そのぉ……」
「はっきり喋れ。聞き取りづらい」
「は、はいっ」
先ほどまで冒険者の二人には「あなた」と敬意を払った態度を持っていたギル様だが、アリエルに対してはその必要はないと判断したらしい。名前を知っても、一切呼ぼうとしなかった。
ギル様は腕も足も組んで背もたれに寄りかかり、不機嫌を全身で表しているが……まあ、貴様呼ばわりしないだけマシだろうか。
「……視察があった日の翌朝、私は、伝書屋にお手紙を届けました。宛先はグレイさんで、セレス様が探していたクリスティーナが、フォレ公爵様と一緒に中央の街を訪れたことと、次は西の街の視察へ向かうようだという内容です」
彼女は事前にグレイさんから連絡先を預かっていたらしい。それも、予想通り、視察に訪れるよりもずっと前のことだったようだ。
「お手紙を出したその日の午後、早速グレイさんからマクファーソン侯爵家の家紋入りのお手紙が届きました。明日、侯爵家の馬車を迎えに出すから、それに乗って、セレス様のお手伝いをしに来てほしいって。報酬もたくさんくれるって。このお手紙を神官様に見せれば、お勤めはお休みできるからって……」
「ほう。それで、どのような手伝いを? このロッジでは何をしていたんだ?」
「セレス様が使う、上級ポーション用の薬液を調合してほしいって言われました。どうしてここで調合するのかって聞いたら、近いうちにセレス様がお忍びでこちらにいらっしゃるからって……でも、よくよく考えてみれば、王太子殿下との結婚式も近いですし、嘘かもしれません」
確かにアリエルの言うとおり、筆頭聖女セレス様と王太子ロレンツォ殿下の結婚式は、もう間近に迫っている。こんな時期に王都から離れて、遠いフォレの地に来ることはないだろう。
「ちなみに、ポーションの材料は? ここに用意されていたのか?」
「はい、一部は、そうです。でも、保管条件が厳しい材料は、教会から持ってきてほしいってお手紙に書かれていたので、従いました。あ、勝手に持ってきたわけじゃなくて、神官様にお手紙を見せて、一緒に包んであったお金も渡したので、グレイさんが教会から購入して私が運んだ形になります」
「なるほど」
キッチンを探してロッジをうろうろしていたときに、物置以外にも施錠されたままの部屋があった。
扉の隙間から神殿の薬品庫のような匂いが漏れ出していたから、そこがこのロッジの薬品庫兼調合室になっていたのだろう。
「上級ポーションの薬液は、一般の聖女も調合するのか?」
「はい。神殿にいた頃は、みんな、セレス様に頼まれて時々調合していました。私も何度か作らせてもらったことがあります。自分で上級ポーションの精製に挑戦したのは一回限りですが、私には全然出来なくて……でも、セレス様に使っていただくために、薬液は何度か調合していました」
「ほう」
そこでギル様は興味深そうに片眉を上げた。
「レシピは書けるか」
「え? はい、書けますけど……」
「――では、取引だ」
ギル様はテーブルに両肘をつくと、重々しい声で言った。
「取引……とは?」
「お前が覚えているレシピを、正確かつ丁寧に紙に書け。それを読んで、ティーナが調合を再現することができたら、今回の誘拐事件にお前が関わったという罪については不問にしてやろう」
「……っ、本当ですか! やります! でも……」
アリエルはギル様の持ちかけた取引に即座に乗ったが、不安そうに私の方へ視線を寄越した。
彼女は私が無能聖女として、雑務しか任せてもらえずにいたことを知っているから、不安なのだろう。
「――ティーナが調合できなかったとしたら、それはレシピの不備だ。ミスのないように、注意点も含めて、詳細に、丁寧に書き記せ。口を出すのは良いが、お前が直接、調合の手助けをすることは禁じる。そして、ティーナの調合が成功するまで、お前を解放してやることはない」
「そんな……!」
「もちろん、取引なのだから、断っても構わない。まあ、断ったら、フォレ公爵の婚約者の拉致監禁に関与したという重い罪で逮捕されることになるがな」
「……っ、わかりました、やります」
ギル様の無慈悲な提案に、アリエルは唇を噛み、声をわなわなと震わせながら、首を縦に振った。




