装備できる。その12 セレアイラ視点
――セレアイラ。
それが、私の名前。名字もあったらしいのだけど、物心つく前にここに預けられたので、それについては、私自身も知らない。
育ての親ともいえる、ドゥラマ神殿長。
基本的には温和で、優しくて、私を今日まで育てて、養ってくれた、大恩人。
でも、職務には厳格で、ルール違反を許さないような気質。
それがこれまでの、私の認識だった。
さっき、ヘスティー様がお風呂で話した、神官廃止論が上がったときの、枢機卿たちとの政治的取引があったのかもという陰謀論。
かもしれない。もしかしたら。そんな、たらればの話だと唾棄できるような、根も葉もない噂話程度の疑い。
でも、それを言ったのが神様だったからか、私の中に眠っていた、元からあった疑念だったからなのか、その話を聞いてから、私の頭の片隅で、ずっとその言葉を反芻してしまっている。
だから私は、下手な言い訳で二人と別れた後、就寝時間を過ぎているにもかかわらず、神殿長のお部屋へと足を運んでしまった。
もう見切りをつけられるからと、ヘスティー様たちに色々と秘密を話してしまってはいたけれど、心の何処かでは、まだ、神殿長から、新しいお役目を与えてもらえるのではないかと、期待してしまっている自分もいた。
だから今も、神殿長に対する態度がハッキリとしない。
自分を見限る人は、それをしても許される崇高な善人であってほしい。
だから見限られても、それは私が悪いだけで、仕方のないことだと納得したい。
そんな利己的な想いで、神殿長のお時間を浪費させるのは申し訳ないと思いつつも、それでも、足は止められなかった。
神殿長の私室の前で、深呼吸をする。こんな時間に訪ねる自分の罪悪感とかを飲み込む。
ノックをしようと、一歩近づくと、扉の向こうから声が聞こえてきた。それは紛れもなく神殿長のものだった。
まだ起きていらっしゃることは行幸だったけれど、誰かと何かを話しているようでもあったので、それが終わるまでは待とうかと、扉に、静かに耳を当てた。
十年来聞いてきた、神殿長の、その安心できる声音に集中する。
「はい。はい――ええ。召喚はなされました。ゼムキルはやられたようですが、ええ、はい。勇者は死にました。ゼムキルを倒した者ですか? いえ、まさか。ただ、たまたま強かった旅人かと。はい。ゼムキルはその程度の強さでしょう。とにかく、障害は無くなったわけです。ええ。ですから、問題ありませんよ――魔王様」
――!?
今、神殿長は、何て言った!?
魔王、様? 聞き間違いでなければ、たしかにそう聞こえた。
その前の話では、勇者――ソーヤや、倒されたゼムキルについての話をしていたから、教会関係者との話かと思っていたら、魔王様? 魔王って、あの魔王の話?
誰が誰と、魔王について……いや、神殿長が、魔王について――違う。
神殿長が、魔王と話していた……!?
だめだ、頭が混乱してる……。どういうことなの!?
――カタンっ!
「――!?」
誰がこんなところに置きっぱなしにしたのか、後ずさった私の足が、立てかけられていたモップを倒してしまっていた。
「誰か、そこにいるのですか?」
そんな言葉に続いて、コツコツと、足音が近付いてきた。
どうしよう……隠れなきゃ……見つかったらまずい。
そう本能的に感じた私は、礼拝堂の長椅子の群れの中に紛れるように、急いで身を潜めた。
スッと扉が開き、中から神殿長が出てきた。私は息を潜めつつも、神殿長の様子をうかがう。
「ふむ。鳴子にはかかったようですが、逃げ足の速いことです。まぁそれでも、そこまで遠くは行っていないでしょう。ここの何処かで聞いているのでしょう? 出てきては如何ですか?」
私は地面に這いつくばって隠れた。
鳴子? あのモップは、つまり……神殿長自らが仕掛けていた、罠?
「――はぁ、黙りですか。ですが、問題ありません。かくれんぼの探し役は得意なのですよ、私は――」
魔力の収束を感じる。神殿長が魔法を使おうとしていた。
「光よ――彼の者の痕跡を辿り、示せ……『光追線』」
神殿長は、私が聞いたこともない魔法を発動させた。
魔力が光に変換され、細く長い線になって天井まで伸び、それはやがて神殿長の足元へと収束していった。
これから何が起こるのかと、思ったその瞬間、パッと、目の前が一瞬、真っ白になった。
何かが起こったのは間違いない。でも何が……。
私がそれに気づくのに、時間はかからなかった。
なぜなら、私の足から、光の線が伸びていることに気づいたからだ。
その光の線は、私が、ここまで来る道をなぞるように床を這っていた。即ちそれは、私の足跡が神殿長にも丸分かりなわけで……。
「そこですね。隠れている場所は分かりましたよ。観念して出てきなさい」
そう、ですよね……そうなりますよね……。
私は、神殿長の言う通り、立ち上がって姿を晒した。
「セレアイラ、貴女でしたか。就寝時間は疾うに過ぎていますよ」
「も、申し訳ありませんでした、神殿長……。ですが、明日明後日にはここを去る身として、お伺いしたいことがありまして……」
「それで人の部屋の前で立ち聞きですか? 感心しませんね」
「もも、申し訳ありません! 通信か何かでお話しているようでしたので、邪魔をするのも忍びなく、終わるまで待とうと聞き耳を……」
そこで神殿長は、大きな溜息を吐いた。
「貴女らしい理由と言えばそうなのでしょうね。慎ましく、優しく、他人を思いやる。よくできた娘です。ですが、それで――何を、聞いたのですか?」
「――ひッ!?」
過去、これほど神殿長を恐ろしいと思ったことはあっただろうか――いや、無い。
いつもの笑顔を浮かべたその顔が、今は死ぬほど恐ろしい。
なにか話を逸らさなければ。
何も聞かなかった。そう言えばいい。
「な、何も……き、聞いてません……。聞こえませんでした! か、辛うじて声が聞こえて、何かを話している、ということくらいしか……」
「そうですか……。まぁ良いでしょう。どうせ最後になるのです、今回はそういうことにしましょうか」
私はホッと胸を撫で下ろした。
「それで、私に聞きたいこととは?」
そうだ。これで、私も本来の質問ができる。
私は、神官廃止の声が上がったときに、神殿長が何をしていたのかを尋ねた。
そのとき、さっき聞いた、魔王様という言葉が脳裏をちらついたが、必死に意識外に飛ばした。
大丈夫。それとは関係ないし、疑惑もきっと杞憂に過ぎない。心の中で自分に言い聞かせて、神殿長からの答えを待った。
「ふふ、ふふふふふ……」
なぜか、神殿長は笑い始めた。とても愉快そうに、その声は次第に大きくなっていく。
「ククク……はーっはっはっはっはっはっは!」
神殿長は一頻り笑うと、咳払いを一つしてから、答えた。
「失礼。まさか、そんなことが聞きたいこととは、全く思いもよらなかったもので、ツボに入ってしまいました」
あぁ、そうなんだ……。でも、なんだろう? この違和感。
「ですが良い着眼点ですよ、セレアイラ。やはり貴女は優秀ですね。――少々……優秀過ぎる気もしますが、ね?」
「え?」
神殿長は、手を後ろに組んで、私に尋ねた。
「セレアイラ。私が五〇年前に、どう呼ばれていたか、ご存知ですか?」
そんなものは当然知っている。基礎も基礎だ。
「神童、ですよね?」
「ええ。まぁ、その頃の年齢はもう二十代でしたので、『童』などと付けられた名称で呼ばれるのは些か気恥ずかしかったものですが、それはいいでしょう。……では、当時若くして司祭となった私が何をしていたのかを、知っていますか?」
神殿長が、神殿長になる前……。
わずか二十代にして、司祭にまで出世した、才ある聖職者が何をしていたのだろうか?
私には到底想像もできない。
私は首を横に振った。
「でしょうね。では答えですが……。私は、神官だったのですよ」
「ええ!?」
神殿長は、神官をしていた!?
つまり、廃止論における当事者だった……。
ああ、そうか。なら、やっぱりヘスティー様が言っていたことは杞憂だったんだ。
だって、神官廃止の当事者が、政治的取引で引き下がるなんてことするはずが無い。なんと言っても、神殿長は、そういうことに厳しい方だもの。
もうこれだけで充分だ。神殿長はやはり、高潔な方だったんだ。さっき聞いた魔王様という言葉も、きっと何かの聞き間違いに違いない――
「そして――」
「え、そして?」
「神官廃止を王に奏上したのは、何を隠そう、この私なのですよ、セレアイラ」
「…………ぇ?」




