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三話 職業

 午後一時くらいの公園、今日も例によって公園のベンチにハヌルとソラが座っている。

 ハヌルはじっと前を眺めているし、ソラは前のように台本を見ている。


「今日は練習相手いらないんですか」


 ハヌルがあくびをしながらソラに聞いた。


「はい、今日は大丈夫です。オーディションの時は一人でやらないといけないので」

「そうですか」


 だけ言ってハヌルはまた公園の風景の方へ顔を向ける。この公園いつ来ても人がいない静かだ。


「そういや」


 静かさの中でソラの声が響く。


()さんは仕事しないんですか」


 ハヌルがあくびする姿を見て、ソラは急に気になった。

 この人時間潰しでほぼ毎日この公園に来るのに、ちゃんとした職場はあるのかな。

 一旦、会社に通っているようには見えない。毎日、昼から公園に来る人が会社に通っているはずがないだから。

 じゃあ、一体ハヌルの職業はなんだろう、とソラは気になった。ソラは会社に通ってなくても働ける職場を考えたが、思い浮かぶのはあまりなかった。ソラは自分と同じ役者ではないかとほんの一瞬思ったが、先日のハヌルの演技が思い出して役者は除外した。

 ソラが考え込んでいる中、ハヌルが口を開いた。


「僕の職業が気になるなら教えてあげますよ。僕、働いていないんです」

「え?」


 一瞬、ソラは聞き違えたと思って聞き返した。


「僕は今何の仕事もしていません。いわゆる無職です」


 ソラはハヌルの返事に頭の中が混乱すぎた。


「それじゃお金は? お金はありますか」


 ソラの頭の中から最も最初に思い浮かんだのは金の問題だった。金がなければまともな生活ができない。しかも、韓国人であるハヌルなら尚更。

 心配で深刻になったソラとは裏腹に、ハヌルはあっけらかんとしている。


「大丈夫ですよ。お金ならあるから」

「どのくらい?」

「詳しくは言えないけど、あと数十年間働かなくても問題ないくらいあります」


 とハヌルが照れながら言った。ソラがびっくりして何の言葉も出てこなかった。


「実は働いていないってことは今の状態ですよ。僕こう見えても昔はちゃんと働いていました。そしてその時、お金を結構貯めて今は休んでますよ。日本に来た理由もそのためですよ」

「ふぅ」


 ソラが一度安堵のため息を吐いた。もし金がないと言われたら、どうすればいいか。


「もーう、それを先に言いなさい。無職だと言われて本当にびっくりしたじゃないですか」

「はは、すみません」

「ところで、()さんはどんな仕事をしたんですか。あと数十年働かなくても問題ないくらいのお金ならかなり大きい単位だと思うですけど」


 あと数十年を働かずに暮らすためには莫大なお金がなければならない。ソラが思うにはサラリーマンでは絶対無理だ。サラリーマン以外にもさまざまな職業を考えてみたが、あと数十年働かなくても問題ないくらいのお金を稼げる職業はなかなか思いつかなかった。


「教えてください。気になりますよ。一体、どんな仕事で稼ぎましたか」


 ソラがハヌルの目を凝視してハヌルの返事を待った。すると、ハヌルが目を半分ぐらい閉じて微笑んだ。


「残念ながらそれは秘密ですよ」

「え? 何で?」

「うむ、あまり言いたくないから・・・?」


 ソラが拗ねて唇を尖らせた。


「私は私の職業すぐに言ってくれたのに」

「あれは言ってくれたより、愚痴の方へもっと近かったですね」

「うっ、それはそうですけど、何がどうであれ教えてくださいっ!」


 ソラがハヌルの腕を掴んで駄々をこねったが、


「秘密です」


 やっぱり返ってくる返事は同じだった。

 しかし、それでもソラは諦めずに「教えてください。ね、教えてください」と繰り返した。

 ソラはどうしてもハヌルについてもっと知りたかった。ハヌルの国に関する情報はググってみればいいんだ。しかしハヌルの元職場とか好み、過去についてはいくらググってもネットに書いていない。だからハヌルに直接聞くしかなかった。

 その結果、約五分後、結局ハヌルはため息をつきながらソラに両手を上げた。


「はぁ、わかりました。じゃあ教えてあげます。僕は出版業界で働いていました」

「出版業界なら本を作る職業のことですか。そこそんなにお金をたくさん稼ぐことができますか」


 ソラが首を捻った。出版業界についてはよく知らないので、出版業界の方々がいくら稼いでいるかわからない。だが、どう考えても出版の仕事だけで数十年分のお金を稼ぐのは不可能だと思う。


「じゃあ、そこでどんな職責だったのか言ってください」

「そこまではちょっと、僕の話はここまでにしましょう」


 ハヌルが勝手に話を終わらせた。ソラはまた駄々をこねろうとしたが、ハヌルの表情を見てすぐやめた。以前は見られなかった表情だった。確かに微笑みだが、どこか少し苦しげに感じられた。

 流石にその表情を見ても問い詰めることなんてできなかった。


「はい、わかりました」


 とソラがしょんぼりした声で言った。

 でも、初めてハヌルの元職業のこと聞いたから満足はした。満足はしたが、わからない。

 ハヌルのあんな姿を見ると、ハヌルを慰めたりハヌルの力になりたいけど、事情をわからないから慰めも力になることも何一つもできない。

 結局、ソラは何もできず、台本に視線を移した。


「そういや」


 しばらく後、ハヌルはソラに顔も向けて言った。


「そのオーディションというものはいつですか」

「私も秘密ですよ」


 ソラがふてくされてような声で言った。ソラは拗ねたように顔すら向けないまま頬を膨らませた。


「もし僕のせいで拗ねたんですか。僕が言ってくれなかったから?」

「全然、私ってそんな細かいことに気にする女じゃないですから」

「じゃあ、教えてください」

「秘密ですよ」


 ソラがきっぱりと言い切った。だが、ハヌルは諦めず、しつこく聞いてくる。

 その姿が可愛くて思わず口角が上がった。


「明後日ですよ」


 結局、ハヌルに両手を挙げたソラは小さな声で呟くように言った。


「え? 今何か言いましたか」

「金曜日ですよ、金曜日」

「金曜日なら、明後日ですか? なのにこんなところで練習しても大丈夫なんですか」

「ま、別に練習に場所は構わないと思いますけど。そしてここは人が少ないから練習にはいいと思います」


 ソラが周囲を見渡した。確かにこの公園は人が少なすぎて練習場にぴったりだった。


「でもこんなところよりは練習室とか他にあるじゃないですか」


 ハヌルがソラに顔を向けて心配そうな声で言った。


「私はここがいいです」


 ソラが台本から目を離し、ハヌルに顔を向ける。


「私は練習室みたいなところよりここが落ち着きますよ」


 これは嘘ではなかった。家とか練習室で一人で練習すると、頭の中からハヌルのことが離れなくて練習に集中ができなかった。

 今、彼は何をしているのかな、もうご飯は食ったかな、今は寝るかな、などハヌルのことが頭いっぱいで集中できない。

 その故に今こうやってハヌルの隣で練習するが一番集中できる。


「もちろん、()さんがこの事情を知っているはずがないんだけどね」


 ソラが静かに呟いた。ハヌルが聞き逃さず聞いて「僕が何を」と聞いたが、ソラは「いえ、何も」と平然とハヌルをごまかせた。

 少し後、ハヌルが急にベンチから立ち上がった。


「じゃあ、僕は帰ることにしますよ」

「え、ちょっ」


 ソラがびっくりしてぱっと立ち上がった。


「今帰るんですって? いつもより早いじゃないですか」

「練習中のソラさんに僕は邪魔になると思って」


 とハヌルが真剣な顔で言った。これを聞いたソラはきょとんとした。


「いや、むしろその逆ですよ。あなたがいないとかえって集中できません!」

「はい?」


 ハヌルが訳がわからない顔をした。


「もちろん、お気遣いはありがたい、行かないでください」

「いや、でもオーディションに受かるためには」

「も()さんがここで行っちゃったら、私めーっちゃ気になって集中できませんよ」


 ソラが声を上げた。


「だから早くまた座りなさい!」

「わわかりました」


 ハヌルはソラの勢いに圧倒され早速ベンチへ戻る。


「よし、じゃあ、今日は私と一緒に帰りましょ」


 ソラがはぬるの隣に座った。

 結局、ハヌルは四時間が経ってから、ようやく家に帰ることができた。

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