4 疑問が残る事件の終わり
北村豪が来たことで、メンバー6人が揃った。ミーティングスペースで、早速話し合いが始まる。
先ずは新しいメンバーの春と豪に、最初から先ほどまでの 全ての出来事を伝える。おさらいのようにもう1度すべてを整理したメンバーの頭の中には、色々な疑問が浮かびあがった。
「最初は腐食性毒物混入ビールの方からいきましょう。空、毒物に関して何か意見はありますか」
博の問いかけに軽く肯いて、空が発言する。
「毒物の性質から考えて、殺害目的では無いと思われます。むしろ嫌がらせ的な意図ではないかと」
空の言葉に、それぞれが意見を述べ始める。
「嫌がらせかぁ。つまり誰でもイイからってことか。開局前に不祥事を起こさせたかったから?」
「ビールを使用した目的は解りますが、あの銘柄を選んだことに引っかかりがあります。あまり流通していない銘柄ですが、あれは真の好みの物ですよね」
「あっ!しかも真は、拉致された後、ケガさせられているわ。私は何もされなかったのよ。縛られただけで、目隠しも監禁場所では外されたし」
ゲッと、思わず声が漏れる真。
「え? ただの偶然だろ」
「確かにそうかもしれませんが、真は今後 十分注意した方が良いと思います。動画を撮られていたというのも気に掛かりますしね」
何とも言えない空気が、室内に漂う。
「さっき入った報告ですが、逮捕された男たち6人は、それぞれネットで集められた即席の集団だったようです。ノートパソコンを破壊して自殺した男の方は、身元が解らないそうですが、リーダー的な存在だったと解りました」
見張りの2人はともかく、銃を持たされていたばっかりに、空に肩を撃ち抜かれた2人は割に合わない仕事だったと思っているだろう。
「そして食品会社のほうは、集められた男のうちの1人が、1か月前に入社していたそうです。当日は全く別のところへの配送業務が任されていました」
「・・・1か月前から計画されていたということですか?」
豪が初めて口を開いた。こういったミーティングにも慣れているのだろう。
「ええ、もしかしたらもう少し前からかもしれませんが・・・FOIの公式サイトに、日本支局創設の発表があったのはひと月半くらい前なので」
しかも今回の事件に関しては、かなり綿密に事前調査とこちらの行動予測がされていたように思う。
ビールなどを搬入する日や、メインコンピューターケトルの稼働時期についても、十分な下調べがなされたいたとしか考えられない。
博の言葉に、この事件には根深いものが隠されていそうだと全員が思った。
けれどそれがFOI日本支局に対するものなのか、或いは真個人に対するものなのか。それさえもはっきりしない。今のところは、何も手掛かりがない。
今日はここまでにしましょう、と博がミーティングの終了を告げる。
「明日は、春の引っ越しと豪の部屋の片づけですね」
そう続けた博に、小夜子がハイハイと手を挙げる。
「私、春ちゃんの手伝いするわ」
明日は暇よ、と続けた小夜子に 真は何となく気まずそうに豪に問いかける。
「・・・あ~俺も明日は暇なんだが・・・手伝い要るか?」
「あ、ありがたいです!」
豪は快活に笑って答えた。荷物は事前に送っておいたが、結構量があるのだ。実は豪も、片付けはあまり得意ではない。けれど手伝いを申し出た真の方も、はっきり言って片付けは苦手なのだ。この2人で、果たしてどのくらい時間がかかるのだろう。
様子を見に来るに違いない小夜子の言動は、容易に想像できた。
「そうそう、明日は食堂の管理者と医務室付きの看護師が来ますので、13時にここに集合してください。顔合わせをしましょう」
最後にそう言って、博は解散を宣言するのだった。
翌日13時、メインルームに捜査官たちと、新たに加わる専任スタッフの顔合わせが行われた。
先ずは、食堂の管理者 国藤花子。
管理栄養士の資格を持つ調理士で、パティシエンヌでもある。しかもほぼ全ての食材のスペシャリストとコーディネーターの資格まで持っていて、病人食や療法食の知識もあった。
そんな彼女は、50歳。元気で陽気で世話好きで、料理を作って人を幸せにすることが生き甲斐というおばさんだ。
「食堂のおばちゃん、国藤花子です。急いで皆さんの好みを覚えますから、遠慮なく言ってくださいねぇ。ちなみに、食堂のオープン時間外も、出来る限り対応しますよ。お弁当とかも注文オッケーなのでどんどん食べてよね」
今後、花さんと呼ばれるようになる彼女だが、とても頼もしいと思う6人。
何となく、肝っ玉母さんのイメージがある。ここの「お袋さん」的存在になりそうだ。
続いて、看護士の 杉浦ふみ。
45歳の彼女は、医師免状を持ちながら看護士の資格を有している変わり種だ。医者を初めたが、性格的に看護士の方が自分に合っていると思い、それ以後は看護士として警察病院で働いていた。
自称看護士、資格と技能は医師。そんな彼女は、見た目も若く溌剌とした健康美人だ。結婚歴はあるが、相手を亡くしているので未亡人である。
「杉浦ふみ、医務室に勤務します。捜査官の義務である健康診断もこちらで出来ますので、定期的に顔を出すようにしてください。健康相談も歓迎ですが、怪我や病気で利用することが多くならないよう 気を付けてください。勿論、手当が必要になった時は全力で対応します。ここの医務室で対応できない場合は、FOI附属病院日本分室と連携していますのでご安心ください」
ここの医務室も、医療設備はかなり高度に整ってはいるが、看護士と医師が兼任で1人ではできないことも多い筈だ。FOI附属病院日本分室とは、日本支局の開設が決まる前からできていた病院で、ここから近い警察病院に併設されている。通称FOI病棟と呼ばれていて 優秀なスタッフが日々治療と研究に勤しんでいる。
挨拶が長くなってすみません、と言いながら杉浦看護士はニッコリと笑った。職務に忠実で厳しいところもありそうだが、柔軟なところもあるように思える。
今後、ふみ先生と呼ばれることになる彼女は、懐の深さがありそうだった。
ひと通り自己紹介も終わり、これで局長兼捜査官1人・専任捜査官2人・嘱託捜査官3人・専任スタッフ2人が全員揃ったことになる。
明日は、手の空いている者は全員、医務室と食堂の準備を手伝うことになり、明後日の開局を迎えることとなった。
明日はいよいよ日本支局が開局するという晩、全ての業務が終わって全員が自室に引き取る頃、博は自分の部屋のドアに寄りかかって空が来るのを待っていた。他のメンバーは、全員部屋に入っている。
ややあって、空が階段を上ってくる軽い足音が聞こえてきた。
「・・・何かありましたか?」
博の姿に気づくと、空は小走りに近寄ってくる。何か重要な連絡があるのか、と思ったのだろう。
「いえ先日、珍しい酒を手に入れましてね、前祝に一緒にどうかと思って待っていたんですよ」
マンションからこっちに移って以来、忙しさに紛れて空との関係が一向に進展しないことに苦慮していた博だ。
勿論、折に触れてはハグやキスを仕掛けてはいたのだが、今のまま時間だけが過ぎていけば、ただのセクハラ上司になってしまう。相手が嫌がらないのを良いことに、そんなことを続けていたら、訴えられても当然なのだ。愛しているからといって、何をやっても良いと言うわけでは無い。
彼女を保護した晩、それしか方法が無かったとはいえ抱いてしまったのだが、そんなことは夢だったのかのように、振出しに戻っている状態だ。
「お酒の相手なら、真なのではないのですか?」
確かに彼の研修中は、毎晩酒を酌み交わしていたけれど・・・
「新婚さんの邪魔をするほど野暮じゃありませんよ。それに、今晩飲みたい酒は甘口なんです。真の好みは辛口でしてね」
「そういうことでしたら、お邪魔します」
博の説明に納得した空は、初めて彼の部屋に入った。
「博の部屋は、広いのですね」
部屋の中を見回して空が呟く。入ったところのリビングだけで、空の部屋の2倍以上の広さがあった。
「ええ、真たちの部屋と同じ作りなので」
真たちは夫婦だから、博は局長だから、その措置は当然なのだろうと空は思う。けれど博としては、将来的には彼女と共にここで暮らそうと思っているのだ。何時の事になるのかは、全く解らないけれど。
空をソファーに座らせ、博は酒とグラスの用意をする。
「これはシードルですが、日本産の『ふじ』というリンゴを使っているんです」
そう言って、シャンパングラスに黄金色の酒を注いでゆく。上品に立ち上る泡と共に、リンゴの香りが漂ってくるようだ。
「空は、シードルは飲んだことがありますか?」
「いいえ、お酒自体飲む機会はあまりないので」
そんな言葉を交わしながら、軽くグラスを合わせ静かに口を付ける。空の瞳が一瞬だけ輝いた。アイカメラの音声で解ったが、AIは大分育ったと博は満足する。
「どうですか、気に入りましたか? 好きな味だと良いのですが」
博の言葉に、少し困ったような声音で、空は正直に答えた。
「・・・『気に入る』『好き』というのは。よく解らないのですが・・・」
やはりそうでしょうね、と博は思った。
それでも、『はい、美味しいです』と対人コミュニケーション用の発言をしなかったのは進歩だと思う。解らないと正直に言うだけ、互いの距離が縮まっているのだろう。
先日は、『嫌い』と『嫌』について話をしたが、今度は『好き』と『気に入る』についてだ。博は少し考えて、話を続ける。
「では、空。目の前にオレンジジュースとリンゴジュースがあったら、どちらを飲みますか?」
同じ温度、同じ量、他に誰もいなくて、どちらか片方だけを自由に選べるとしたらどちらを選ぶか。
「・・・リンゴジュースでしょうか」
空は少し考えて答える。
「そうすると、空はリンゴジュースの方が好きなのだと考えていいでしょう。では、今まで食べたものの中で、もう一度食べたいと思ったものはありませんか?なるべく近いところで」
「・・・ミニホットアップルパイです。真に買っていただいたものですが」
ああ、あの時の と博は思い出した。真の研修中、彼が誘ったデートを、野暮な父親のように中断させたことがあった。事件の呼び出しだったのだが、あの時戻って来た二人からはアップルパイのいい香りがしていた。博は軽く嫉妬を感じる。
「それと・・・ココアでしょうか。あのホテルでいただいた時がありました」
やはり研修中、生活していたホテルの部屋で、博が淹れてくれたことがあった。
「もう一度食べたいと思うものが2つとも甘いものなので、空は『甘いものが好き』なのでしょうね。リンゴも好きな方に入ると思いますから、シードルは『気に入った』と表現できますよ」
たかが飲む酒を気に入ったかどうかで、長々と分析しなければならないのも大変なことだろうと思うが、博はこの会話を楽しんでいた。
そして空は、博の解説を聞きながら軽く肯いてはシードルを飲み続けている。どこか嬉しそうにグラスを傾ける空は、やはりシードルが気に入ったに違いない。
空のグラスの酒が減るたびに継ぎ足していた博は、やがて瓶の中身が残り少ないことに気づいた。
このシードルのアルコール度数は8%。それほど強い酒ではないが、1人でほぼ1本を短時間で空ければそれなりに酔うはずなのだが、空に全く変化はない。
(アルコールも薬物の一種といえますからねぇ・・・)
薬物耐性訓練も受けている空は、酒類にも相当強いのだろう。
(今回は『好き』を定義することに飲食を絡めたのが、成功につながりましたね)
ほぼ全ての感情に蓋をしている空だが、人の生存に関わる飲食に伴う感情なら、蓋も固くないのではないかと考えたのだ。
「そうやって、好きなものを増やしてゆくと良いと思いますよ。人との会話でも好きなものが色々あった方が自然なコミュニケーションが出来るでしょう。慣れてくれば、考えなくても感じるようになります」
そんな感じで進んでいけば良いと思う。考えずに自然に湧き上がるのが、感情なのだから。
「ところで、空。以前『嫌い』と『嫌』について話しましたよね。今回『好き』について話したわけですが・・・『ハグ』と『キス』はどちらが好きですか?」
空は暫く考えた。飲食するものではないのだから、今回の定義は応用を利かせないければならない。
(もう一度するなら、どちらを選ぶか・・・ということで良いでしょうか)
「そうですね・・・『ハグ』だと思います。何となく、安心した気分になるので。保護していただいた次の朝も、そんな気分を感じたように思います」
「覚えているんですか、あの時の事を!」
あれ以来、空は一度もその時の事について触れたことはなかった。
記憶が無いのかとさえ思っていたのだ。
「はい、断片的ですが・・・口にしてしまって、すみませんでした」
空はそう言って、頭を下げる。
「ちょっと待ってください。何故、謝るんですか?」
謝るのはむしろこちらの方だろうと思う。
「あの夜の事で、博は2回も殴られたわけですし、思い出すのは嫌なことではないかと・・・」
それで、敢えてその事には触れないようにしていたのか、と改めて納得した博である。
「いや、そんなことはありません。僕としては、寧ろ・・・」
いい思い出、と言いたかったがそれはやめておいた。
「嫌では無いので、気にしないでください。・・・それじゃ・・」
博は自分のグラスを、コツンと音を立ててテーブルに置く。シードルの瓶はもうカラだ。
立ち上がって空の隣に座り、ハグをしようと思ったのだが、彼女が動く方が早かった。
「そうですね、ごちそうさまでした」
自分も立ち上がって、博の空いたグラスに手を伸ばす。
「片付けは、私がします」
「あ、いや・・・僕がします。近頃洗い物も上手くなったので、楽しいんです」
こっそりため息をついて、諦めた博だった。
明日は、いよいよFOI日本支局が開局される。
そしてきっと、新しい事件も起こるのだろう。
「Life of this sky」シリーズ3作目「空 黎明」は、ここで完結となります。
日本支局開局直前に起った事件は、多くの疑問と背後の黒幕の存在を臭わせていますが、それらは追々明らかになっていくでしょう。
博と空の関係も、少しずつ進展していきます。
長い話に、やっとスタートの音が響いた程度でしょうかw