3 人質救出と熱中症
空の報告を受けた博は、即座に警官隊を突入させ、同時に小声でビートに指示を与える。
警官隊は西門を突破し、空が開錠した大扉を開けると内部に入った。
ビートも博の肩を離れて飛び立つ。
その頃、空は通路の突き当りにいた。足元には、既に制圧されている男が2人。
空が突き当りの手前まで来た時に、異変を感じたらしい男たちが飛び出してきたのだ。
狭い通路でウィップは使えず、空は立ち回り速度の優位で、男たちのこめかみに銃のグリップをあっさり叩き込んだ。
右と左に同じような通路が伸びているのは見取り図で確認済みだ。気配を窺うと、右側からは何も感じない。残留する臭いさえ無いので、そっちは使っていないと判断できた。
(あと4人いる筈ですが・・・)
通路での乱闘で物音は聴こえている筈だが、出てくる気配はない。通ってきた倉庫のドアの向こうから、大扉が開くような振動が伝わって来る。真たちは直ぐに救出されるだろう。
空は念のため、床で昏倒している男たちの頸動脈を探り、きっちり行動不能にすると 左側に曲がって歩を進める。
『3人制圧 残りは外に1人、室内に3人』
空は歩きながら、インカムに向かって伝えた。
その報告を聞いた橋本警部補は、博に向かって怒鳴る。
「人質の無事が確認されたなら、後はこっちでやります。彼女を引き上げさせてください!」
たった1人の捜査官に、全て制圧されたら面目が立たないとでも言いたいのだろうか。しかし博は、そんな怒鳴り声の中に心配そうな響きが含まれることを感じる。彼も、空を気にかけているのだろう。
けれど博は、少しばかり辛そうな表情で答えた。
「彼女は耳が聞こえません。こちらからは何も指示出来ないんです」
そして博の優れた聴覚は、空の報告の声に潜む異常にも気が付いていた。
(・・・息が上がっています。無理をしていないと良いのですが・・・)
数メートル先に外に出る扉があり、その手前の右側にもう一つドアがあった。空は外に出る方の扉の鍵を内側からそっと閉める。このドアの外に西側の門を見張る男がいたことを、ビートが撮ってきた映像で知っていた。
(外は任せましょう。あと3人・・・ドアの中ですね)
その頃ビートは、西側の見張りをする男の前に舞い降りていた。
「ん?・・・カラスにしちゃ色が白っぽいか?」
そんな男の前で、ビートはクイクイと首を傾げながら声を出す。
《 オナカヘッタ~~ 》
「うぉっ! しゃべった!・・・つぅことは、オウムかこりゃ。どっから逃げてきたんだ?」
《 オナカヘッタ~~ 》
ビートはもう一度声をかける。
「へっ、可愛いじゃねぇか」
男は朝食用に買っておいたパンを袋から取り出すと、ちぎってビートの方に投げる。しかしビートは数メートルほど後方へ飛んで逃げた。
「ナンだよ、怖かねぇって。・・・仕方ねぇな」
男は立ち上がって投げたパンを拾うと、もう一度投げる。ビートはまた逃げた。
そんな繰り返しで、男はいつの間にか門の近くまで来ていた。
そこに博から指示を受けていたSATのメンバーが、門の外から躍り出て男を取り押さえる。
これで残りは、室内にいる3人だけになった。
ソラ自身も、自分の状態はよく解っていた。とりあえず呼吸を整えながら、ドアの中の気配を窺う。
(このまま、応援を待ったほうが良いでしょうか・・・)
そう思った時、ドアの向こうから何かを破壊するような振動を感じた。
(証拠隠滅?)
その瞬間、空はドアを開け放つと、床に身体を投げ出すように飛び込む。中にいる男たちが銃を構えているのを見て取り、床に転がりながら先に撃った。男たちはそれぞれ肩を撃ち抜かれ、持っていた銃を落した。
そこに、通路の方から近づいてくる沢山の足音。
1人残っていた男は、手に持っていたハンマーを投げ捨てると、テーブルの上の銃を取り上げて自分のこめかみを撃ち抜いた。男の前のテーブルには滅茶苦茶に破壊されたノートパソコンがある。ソラが立ちあがる前に、男は絶命していた。
『2人制圧 1人自殺 これで倉庫内は無人だと思われます』
空は呻いている男たちの銃を拾い上げると、インカムで報告し通路に出た。通路の床に2つの銃を置き、自分の銃はホルスターに収納する。警官隊は直ぐにここに到着するだろう。空は表に出るドアの鍵を開けてゆっくりと扉を押し わざとのんびり外に出た。
その瞬間SATの銃口が空に向けられた。
空は静かに両手をあげると、ニッコリと笑った。
「お疲れ様です」
そこに、待っていたビートが肩の上に舞い降りてくる。
《 ソラ オワッタ~? 》
空がパンツの尻ポケットから身分証を取り出して提示すると、SATの銃口は下げられたが、彼らの顔は呆気にとられている。
「後はお願いします」
軽く頭を下げ、空はSATの面々の間を通り抜けた。
(あれがFOI捜査官?)
(・・・クォリティ高いな)
(女1人で制圧したのか?)
(美人さんだ・・・)
胸中で呟きながら、SATは次々にドアの中に入って行った。
表門を出た空は、博たちが待機する場所に向かって歩き出す。
「ビート、先に戻ってください」
《 ハ~~イ 》
パートナーのヨウムは、役に立った喜びを全身に表すように 明るく返事をして飛び立った。
けれど空は、自分の不調を確かに感じていた。
(支局に帰るまで、もたせないと・・・)
キュッと口元を引き締め、博に任務終了を報告するために足に力を入れた。
その頃、博や橋本警部補たちは入ってくる情報の対応に忙しかった。
真と小夜子は、救急車でFOIの附属病院へ搬送された。真は意識を取り戻し治療を受けているという。
警官隊とSATの倉庫への突入は着々と進み、容疑者たちは連行・・・というか、担ぎ出されている。
ひとまずホッとした博は、田所春香特別捜査官に辞令に対する返事を伺う。
「ありがたくお受けします・・・私なんかでよろしければ」
若干内気そうに見える春香は、緊張しながらそれでもしっかりと答えた。
「貴女のサイバー捜査官としての専門知識が、僕たちのチームに必要なんです。受けてくれて、ありがとうございます。では、早速ですが今から手伝ってもらえますか?」
ハイ!と元気よく答えた春香は、手早く自分の荷物やノートパソコンをまとめ始める。その近くで、橋本警部補は思い切り苦々しい表情になっていた。引き抜かれるのが3人目なら、それも仕方がないだろう。
そしてビートが、博の肩に舞い降りる。
《 オワッタヨ~ ソラ モウスグクルヨ~ 》
博が振り返ると、近づいてくる空の姿があった。
「任務終了 報告します」
しっかりと告げた空は、そっと息を吐いた。やらなければいけない事は、これで1つ完了した。
けれど呼吸はなかなか整わず、体温が上がっているのが解る。頭痛と吐き気も少しずつ強くなる。
その様子に気づいた博は、急いで帰ろうと口を開きかけたが、その時傍に橋本警部補が来た。
「お疲れ様でした。・・・あの・・」
そう言えば、紹介がまだだったと気付いた博が、早口で二人に告げる。
「こっちが菊池空、うちの専任捜査官です。空、橋本警部補です」
「初めまして、空とお呼びください。今回は、横から出しゃばるような形になり 失礼いたしました」
空はそう言って、優雅に頭を下げる。そして真っすぐに、橋本の顔を見つめた。
失礼の無いよう、きちんと相手の唇を読むための行動だが、その頬は桜色に染まり眼も潤んでいる。体調の悪さゆえの顔なのだが、そんな美人の表情はある意味凶器かもしれない。
「あっ・・・は、はい。こっ・・こちらこそ、よろしくっ」
先ほどの苦々しい気分と表情はどこへやら。
橋本警部補は、真っ赤になってドギマギと返事をするのだった。
そんな彼の様子を気にも留めず、博は空の腕を掴み少し移動する。手に伝わる体温は、はっきりと高い。アイカメラからの音声も彼女の異常を告げている。
博はそのまま、空の身体を救い上げるように抱きかかえた。
「あ、あの・・・歩けますが?」
戸惑う空の声。
「歩いて倒れて病院に運ばれるのと、運ばれて車で支局に帰るのとでは、どちらが良いですか?」
あっさりと聞いてくる博の言葉。
「・・・後者です」
致し方なくいわゆるお姫様抱っこを受け入れた空だが、唖然とする橋本警部補を見る余裕はなかった。博は春香に空のバッグも持ってもらい、さらにガイドして貰ってレンタカーに戻る。
「すみませんが、空のバッグからキーを出して運転してください。支局までお願いします」
博はそう言って空の身体を後部座席に座らせると 反対側のドアから自分も乗り込む。
車が走り出すと、まだ辛そうな空の肩を抱いて引き寄せ、その頭を膝の上に置かせる形で横にさせた。先ほどより更に体調が悪くなっているらしい空は、目を瞑ったまま大人しく従った。
「これで我慢してくださいね。真だったら『美女の膝枕』の方が良いといいそうですが」
「・・・博は、真の方が良かったのですか?」
「えっ!・・・いえ、そんな趣味は全くありませんが・・・柔らかいほうが良いだろうという話で」
「・・・美女の膝枕は、私には経験が無いので 柔らかいのかどうかも解りません・・・」
(何だか妙にかみ合わない会話・・・かなぁ?)
ハンドルを握る春香は、そんな事を思いながらチラッと後部座席を見る。
「あの・・・空さん、大丈夫ですか?」
「ええ、オーバーワークと熱中症の初期だと思います」
博は昨日からの出来事を、春香に説明する。
「そんな職場なのですが、スカウトして良かったでしょうか。危険と隣り合わせの仕事なのですが」
そう言う博は、話しながらずっと空の頭を撫で続けていた。いつの間にか、彼女は眠ってしまったようだ。意識も朦朧としていたはずだが、眠れるくらいの状態ではあるらしい。
「はい、寧ろ光栄です。頑張ります」
今までずっと、その性格ゆえに人の後ろにいることが多かった。仕事は精一杯頑張っていたが、前に出ることが無いので目立たずにいた。そんな自分を見出してくれたのなら、危険などどれほどの物だろうか。春香は、決意を籠めて答える。
「では、これからは春と呼ばせてもらいますね」
これでメンバーは5人になった。
支局のリビングスペースに戻ると、博はそっと空の身体をソファーに寝かせる。まだ起きる気配はない。そして冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出すと、念のためボトルに異常が無いか確かめてから ソファーの傍に膝をついた。24時間飲食できないと言っていたが、少し早いけれど飲ませた方が良い。
「空、水分補給・・・」
彼女の頬にそっと触れて声をかける。
「・・・・・ん・・」
長い睫毛に縁どられた瞼が少しだけ持ち上がる。博は頬に触れた手の親指で彼女の唇を確認すると、スポーツドリンクを口移しで少量流し込んだ。コクリと喉が動いて飲み込んだのを確認すると、またもう1度同じようにして飲ませる。熱い口内が、少しずつ冷えてくる。
それを何度も繰り返し、ある程度の量を飲ませることができると、漸く博はホッと息をついた。
荷物を置いて室内を眺めていた春は、そんな2人をずっと見つめていた。
「・・・あの・・・もしかして・・お二人は?」
車の中でも、博はずっと彼女の頭を愛しそうに撫でていた。
「ええ、僕は空を愛しています。・・・まだ片思いな感じではあるんですけどね」
博は恥ずかしげもなく笑顔でそう言うと、ゆっくり立ち上がった。そして完全に目が覚めたらしい空に、まだ寝ているように言うと、部屋の壁に設置してあるストッカーからタオルケットを出してきた。
「こまめに水分を取って、しばらく安静にしていなさい」
タオルケットを彼女の体に掛けると、彼はポンポンと頭を叩いて優しく微笑みかける。
「・・・すみません、お手数をかけてしまいました」
そんな空の言葉に、博は茶目っ気たっぷりの笑顔で答えた。
「いいえ、お気になさらず。お礼は先にいただきましたからね」
暫くして、小夜子がメインルームに帰ってきた。驚いたことに、その後ろから真も入ってくる。
「聞いてよ、まったくもう。真ったら帰るって聞かなくて・・・まだ輸血が終わってないのに」
開口一番、小夜子は思い切り愚痴をこぼす。
「大丈夫だって言ってんだろ。血の気が多いから、これで充分なんだよ」
おそらくここに戻るタクシーの中でも、何度も繰り返された会話なのだろう。
「で、空は大丈夫?助けに来た時は、ビックリしたわ」
「ええ、後は水分補給して休めば大丈夫なはずです。真ももう少し休んで、夜になったら今回の事件について、ミーティングをしましょう」
そこで病院帰りの2人は、春に気づいた。
「えっ、春香ちゃん!もしかして?」
「はい、今日からこちらでお世話になります。よろしくご指導ください。お2人と一緒に働けることになって嬉しいです」
小夜子の言葉に、心から嬉しそうに答える春は、人懐こい表情になっている。内気だが信頼できる相手には、そんな可愛い顔を見せるのだろう。
春は同じように真にも挨拶をすると、ここを案内するという小夜子に伴われて部屋を出て行った。
やがて夜になり、5人はミーティングスペースに集まる。真も空も、すっかり回復したようだ。
では、と博が口を切った時、メインコンピューターのケトルから声が掛かる。
《 トウロクサレテイタ キタムラゴウ メインルームニイドウチュウ 》
「ん?」
真・小夜子・春にとっては初めて聞く名前だ。頭の上に疑問符を浮かべて待っていると、その男、北村豪が姿を現す。
(でけぇな、おい・・・)
思わず真が目を丸くした相手は、身長が2m近くあり体格もがっしりしている。ラグビーかアメフトの選手のような印象だ。
「北村豪、FOI日本支局専任捜査官に着任します」
はきはきと慣れた様子で、姿勢を正し敬礼する。
「待っていましたよ。よろしくお願いします」
答礼を返した博は、彼を紹介し始めた。
北原豪は日本国籍の日本人だが、A国のFOI本部で捜査官を務めていた。まだ経験は浅いが、ひと通りの訓練を収め捜査官としても将来が期待できる人材だ。そんな彼に、白羽の矢を立てたのが博だった。
「彼は捜査官としても有能ですが、他にも特技がありましてね、機械工学系に強いんです。特に銃器類の知識が豊富なので、僕たちの装備品のメンテナンスをお願いしようと思っています」
各自が持つ銃から、博のアイカメラ、空の補聴器もすべて管理して貰えるので心強い。
パッと目はいかついお兄さんの北村だが、博の台詞で照れたように頭を掻く様子は、どこか可愛らしく見える。
「今後は、豪と呼ばせてもらいますね。では、他のメンバーを紹介しましょう」
そう言って、空・真・小夜子・春に自己紹介を促す。ひと通りそれが終わった後も、豪はチラチラと空の方を見ていたが、それはある意味 仕方がないことだったかもしれない。
こうしてメンバーは6人になり、全員が揃った。