表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

【短編版】乙女ゲームのヒロインに転生したら、既に悪役令嬢がちやほやされている世界だった

【連載版】の投稿も始めました!

 

「平民出身のあんたごときが、ラプツェ様を苦しめてるなんて許せない!」


 少女の脳内にありとあらゆる記憶が流れ込んできたのは、水を頭にぶっかけられた時だった。


「……つっめたぁ! ……って、あれ? ここって……」


 水をかけられた少女は、顔にベッタリと張り付いた前髪の隙間から状況を把握する。


 ここは、アワーレ王立魔法学園にある裏庭だ。 

 生徒たちがあまり立ち寄らず、基本的には貴族たちの逢引きに使われる場所だ。


 空になったバケツを持つ女子生徒の周りには、こちらを嘲笑う複数の女子生徒の姿があった。

 彼女たちの顔には見覚えがある。そう、悪役令嬢ラプツェの取り巻きで、彼女の代わりにこうして優秀なヒロインを虐めて学園から追い出そうと──。


「え? 待って? もしかして私がヒロイン?」

「ひろいん? 貴女なにをすっとぼけたことを言っていますの!?」


 少女は目の前の女子生徒を無視して、自身の制服を確認する。

 貴族令嬢がピンクのリボンに対して、差別するように平民出身のヒロインは見たことがないようなくすんだ青色だったのだけれど……。


「この独特な色! やっぱり私ヒロインに転生してる!?」

「ちょっと! 貴女ついに頭がおかしくなりましたの!?」

「あ、すみませんが手鏡を拝借しても?」

「うぎゃーー!!」


 少女の考えが正しいならば、この学園に通う貴族令嬢は、制服の内ポケットに必ず小さな手鏡を入れているはず。

 一応自分の制服の内ポケットは確認したのだけれど、どこにもなかったので、バケツを持っている女子生徒から勝手に拝借し、少女は自身の顔を確認した。


 翡翠色の美しい瞳に、亜麻色の長い髪。鼻は小さくて唇はぷっくり。

 芸能人顔負けのつるりとした陶器のような肌の、絶世の美女だ。


「わぁお……。本当に、ジェシカ・アーダンだ……」


 見間違えるはずはない。鏡に映っている人物こそヒロイン──ジェシカ・アーダン。つまり自分だ。


(……ってことは、ここはやっていた乙女ゲームの世界!? それでもって、私はヒロインに転生したってこと!?)


 ──『魔法を統べし乙女と六人の守り人』


 この世界の元となる乙女ゲームの名前である。略して『マホロク』だ。


 貴族だけが魔力を持つ世界に、突如として生まれた膨大な魔力を持つ平民のヒロインが、王立魔法学園に入学するという設定だ。

 魔法の勉強をしながら、六人の攻略対象と恋愛を楽しめるというシミュレーションゲームである。


(つまり、そのヒロインに転生したということは、もしかして攻略対象たちに会える!? 近くであの美しい姿を見られる!? あ、あわよくば……ちょっとくらいは話せたりして!?)


 思い出される、このゲームをしていた時の当時の記憶。


 ジェシカは前世、超絶ブラック企業に勤めるOLだった。

 毎日終電で帰るのは当たり前。しかも安月給。平均睡眠時間は三時間から四時間。

 これが一週間続くと、どうやって職場に行ったか覚えていないくらいには頭が働いていなかった。


 この世界にいるということは、もとの世界では死んだのだろう。水をかけられて記憶を思い出したので、おそらく、帰宅後にお風呂に入って『マホロク』をしていた時にでも意識を失ったのだろうか。


 ……ともかく。どれだけ仕事が忙しくても、『マホロク』をプレイすることをやめられないくらい、このゲームが好きだった。

 学びに対してひたむきなヒロインが、徐々に攻略対象たちと距離を詰めていくのがたまらなく好きで、何度も何度もプレイした。


(唯一の心残りは、隠しキャラにもう少しで会えるってところで叶わなかったこと……。多分そのタイミングで死んじゃったのよね……。って、待って! ここは『マホロク』の世界で、私はヒロインなんだから、隠しキャラを探し出せる可能性あるよね!? 頑張ろう……!)


 せっかくヒロインに転生したのだ。

 攻略キャラとの恋愛なんて恐れ多いからそれは望まないにしても、攻略キャラたちと接点を持ちたい。

 なにより、プレイヤーだった頃は出会えなかった隠しキャラに出会い、彼がどんな人物なのかを知りたい。

 まずは、情報収集だ。


「鏡ありがとうございました……! では!」

「は!? ちょっとお待ちなさい──……」


 思い立ったら即行動。ジェシカは虐めてきていた女性生徒たちに別れを告げる。


 それから、ゲームの知識と今までのジェシカが魔法の授業で学んだ知識を踏まえて呪文を唱え、風魔法と火魔法とで濡れた体を乾かした。


「おお……! さすがジェシカ……! 本当に魔法が使えた! しかも複数の属性の魔法を同時に使うのはとても魔力を使うのに! さすが……!」


 ──ビバ、ジェシカ! ビバ、ヒロイン! 


 今までのジェシカの努力を無駄にしないよう、魔法の勉強ももっと頑張ろう。

 そして、充実した学園生活を送るんだ、とジェシカはそう思っていたというのに……。



 ──放課後。

 隠しキャラを抜いた、攻略キャラは五人──この国の第一王子、筆頭公爵家の息子、騎士団長の息子、宰相の息子、筆頭魔法使いの息子は、皆生徒会に属している。

 彼らが放課後に生徒会室でお茶を嗜みながら会議に花を咲かせているということを知っていたジェシカは、急いで生徒会に向かった。


 もちろん、乗り込むためじゃない。迷惑をかけるつもりも、ましてや話しかけるつもりもなかった。


 ただ、ひっそりと。本当に攻略キャラたちがいるのかと、その目で確認したかっただけ、なのだけれど。


「ジェシカ・アンダー! またラプツェを虐めにきたのか!? 平民ごときがこの学園にいるだけでも不快だというのに、貴様という女は……本当にクズだな!」

「え?」


 偶然にも生徒会室を見ていることがバレてしまったジェシカに待っていたのは、第一王子からの突然の罵詈雑言だった。

 そんな第一王子──アーサーの後ろには隠しキャラを除く他の攻略者たち。

 そして、アーサーの隣には、瞳を潤ませた悪役令嬢──ラプツェ・フリントンの姿があった。


(どういうこと? なんで悪役令嬢のラプツェが、アーサー様たちと一緒に……)


『マホロク』においてラプツェの立ち位置というのは、ヒロインと攻略対象の恋路の邪魔をするというものだ。

 その過程でラプツェは、ヒロインであるジェシカを取り巻きを使って虐めさせたり、悪評を流したり、公爵令嬢という権力を使って様々な意地悪をしたり、果てには暗殺者を送ったりする。


 しかし、ジェシカと攻略キャラは困難に負けることなく互いを愛し、ラプツェはいくつかの方法で断罪される……はずだったのだが。


(こ、この状況って、むしろ私が悪役令嬢で、ラプツェがヒロインでは?)


 いや、そもそもジェシカはラプツェを虐めていないのだけれど。

 自分が転生する前のジェシカがどのように生きていたかはまだおぼろげな部分はあるものの、彼女が真面目に、そしてひたむきに生きてきたのかだけはしっかりと覚えているので、それは間違いない。


「アーサー様、それに皆様も……。ジェシカ様をあまり睨まないであげて……。きっと、ジェシカ様は皆様と仲良くなりたかっただけですのよ。ほら、皆様って、とっても素敵な殿方ばかりだから……。だから、私に嫉妬して……」

「ああ、ラプツェ……なんて優しいんだ」

「ラプツェさんは本当に素晴らしい女性ですね……あの女と違って」


 ほろり。ラプツェの頬に涙が伝う。

 それを目にしたジェシカは、おぼろげだった部分の記憶が完全に蘇った。


(そうだ……。この世界のラプツェは……。こんな大事なことなんで忘れたんだろう)


 前世で『マホロク』をプレイしていた時の設定では、ラプツェは何不自由のない暮らしを得ながらも、両親からの愛がもらえなかったことで、承認欲求お化けと化したとあった。そのため、王族を含めた目ぼしい貴族男性の全員に愛されたいと思うようになり、攻略対象たちから愛される、ヒロイン──ジェシカが憎くてたまらなかった、のだと。


 しかし、この世界のラプツェは少し違った。

 風の噂で聞いた話では、学園に入学する二年ほど前までは悪役令嬢そのものだったのだが、ある日突然庇護欲を掻き立てるような女性へと変身したらしいのだ。

 そこから攻略対象たちは一気にラプツェの改心に心打たれ、虜になったようなのだ。


 そして、問題は学園に入学してから。

 ラプツェは入学式の日早々に、ジェシカに悪口を言われただの、ぶたれたなどと嘘をついて、陥れたのだ。

 攻略対象たちは全員ラプツェを信じ、無実のジェシカに罵詈雑言を浴びせた。


(……私に向けるクラス全体の視線が冷たいなと思ったけど、そういうことね。そりゃあ、公爵令嬢のラプツェと、アーサー殿下率いる凄い地位の人たちが私のことを悪と言うなら、そりゃあ便乗するよね)


 それに、女子生徒に水をかけられた時も、彼女はラプツェが苦しめられているといったような発言をしていた。おそらく学園中が、ジェシカの敵なのだ。


(それにしても、二年前にラプツェの態度が急変したことが気になる)


 もしかして、その頃ラプツェの人格も異世界転生してきた人物に入れ替わったのだろうか。

 それとも、何か心境の変化があったのだろうか。


「……ううん、それは今、どうでもいい……」


 ラプツェが改心しようが、異世界転生者だろうが、幸せになりたいだけならば、悪役令嬢としての断罪を回避するだけならば、こうしてジェシカを苦しめる必要なんてない。

 それなのに、今の状況に陥っているということは、ラプツェはジェシカに対して悪意があるのだろう。


「許せない……」

「おい貴様、何をボソボソ言ってる!」


 眉間にしわを寄せる騎士団長の息子に、ジェシカは鋭い視線をぶつけた。


「高圧的に話せばいいと思わないでください。騎士団長である父上には手も足も出ないくせに」

「な、な、な、何を……!?」


 ラプツェに味方する攻略対象たちもだ。

 きちんとした調査もせず、ラプツェの言葉にだけ耳を傾け、ジェシカを苦しませるなんて……。


(『マホロク』はゲームとして大好きだった。でも、ここは大好きだったゲームとは違う。真面目でひたむきな少女に悪意を向けたラプツェはもちろん、傷付けた彼らも許せない……)


 ジェシカは一度深呼吸をすると、軽く頭を上げる。

 それから、ニコリと微笑んで再び彼らに向き直った。


「すみません。ついつい本音が。……でも、平民ごときの戯言なんかに、高貴な方がお怒りになるはずないですよね? そんなに心が狭くないですよね? ……ね? ラプツェ様」

「……っ、え、ええ、そうに決まっていますわ! 皆様、そんなに怒らないであげて……?」

「ああ、ラプツェちゃんは、本当に天使だね……!」

「ラプツェは優しいな……」


 戯言なんて聞いてられないと、ジェシカは「では」とだけ言うとその場をあとにした。


(攻略対象に会いたいだとか浮かれてたけど、それはもうおしまい。私は今この瞬間から、この世界で幸せになれるように動く)


 攻略対象なんて、クソ喰らえだ。



 ◇◇◇



 一ヶ月後。

 既に幸せになれる答えが見つかっているジェシカは、授業の後、一人で校内にある魔法訓練室にいた。


「おお〜! 訓練すればするほど魔法の威力が上がる! 応用技が使える! やっぱり楽しい!」


 その幸せというのは、魔法が上達すること──厳密に言うと、良い就職先を見つけることだ。


(やっぱり、高待遇の職場って、夢よね)


 本来ならば、平和な学園生活を望むところなのだろうが、ジェシカはそうはならなかった。 


 相手が相手だけに、自分だけでこの状況を好転させるのはかなり難しいこと。そして、勝手に悪意を向けていたラプツェにも、それを信じている攻略対象や周りの生徒たちにも、ジェシカは怒りを抱いているので、むしろ謝られても仲良くなりたくないと思っているからである。


 だから、卒業するまではできるだけ周りとは関わらないことを決めた。更に、卒業後に幸せになれるように水面下で魔法の上達にいそしむことにしたのだ。


 ラプツェや攻略対象のせいで、この世界でのオタク的な楽しみはなくなり、同時に恋みたいな甘酸っぱいものへの興味は完全に失せたこと。


 更に、前世ではなかなか酷い会社に勤めたせいで、今回こそはいい職場に……! という思いが強かったことからも、意志は固かった。


「もっと頑張ろう……! 魔法検定試験まであと半年しかないんだし」


 魔法検定試験とは、卒業後の就職に大きく影響するものだ。優秀な成績を残すと、より待遇の良い魔法関連の機関に就職することができる。しかも、平民とか貴族とか関係なくだ。


 本来ならば、膨大な魔力を持つジェシカはそれほど頑張らなくても、国で一番と言われる部署に就職が叶うのだが、話はそう簡単ではなかった。


「ラプツェや攻略対象たちが上に働きかけて、私がいい就職先にお世話になれる可能性を潰してくる可能性があるしね……!」


 いくら魔法の素質があっても、王子や地位のある貴族たちがジェシカの就職先に難癖を付けたら、せっかくの就職が白紙になるかもしれない。

 それだけは避けたかった。


「だから私は! ぜっっったい私じゃないとだめだってくらいに魔法を上達して、あの人たちの圧力なんかに負けないような実力者にならなきゃいけないのよ!」

「……ジェシカ、一人でなに喋ってるの?」 

「……! あっ、オーウェン! 今日も来てくれたの!?」


 とぼとぼと魔法訓練室に入ってきたのは、オーウェン・ダイナーだ。

 長い漆黒の前髪で顔をほとんど隠していて、周りから少し不気味がられているが、なんだかんだ頼りになる優しい人。因みにジェシカも彼の顔をしっかりと見たことはない。


(できれば顔を見てみたいけれど、敢えて隠してるなら暴くようなことはしたくないしね。帝国でのルールだったり、きっと事情があるんだろうし)


 彼は、隣国、ハーベリー帝国からの留学生だ。

 ハーベリー帝国とは大陸で最も大きい国であり、国力、人口、軍事力などはその他の国とは比べ物にならないほど。

 そんな帝国の人間が何故この国に来ているかというと、一部の魔法に関しては僅かにこの国が勝っているからだ。

 そのため、何人かの若き貴族令息が留学に訪れているのである。


 オーウェンは『マホロク』にも出てくるヒロインの友人キャラの一人で、なんと今の状況でも変わらずジェシカを大切にしてくれるとっても良い人なのである。


(とはいっても、ゲームではたまにジェシカと会話する程度だったのに。何故かここ一ヶ月は、毎日この部屋に来て、声をかけてくれるのよね。たまに差し入れをしてくれたり、修行に付き合ってくれたりもするし……)


 ゲームのヒロインジェシカより、今のジェシカのほうが危なそうで放っておけないのだろうか。まあ、それは一旦良いとして。


「まーた背筋曲げてる! 身長高いのにもったいないよ!」

「俺はこれでいいの。というか、今日も魔法の練習してるの? 先月、ラプツェ公爵令嬢やその周りのことは一切無視して、高待遇の就職先を目指す! って言い出した時は、ジェシカがそうしたいなら良いと思って止めなかったけど、こうも毎日無理してると、さすがに心配になるよ」


 オーウェンの心配げな声に、ジェシカは胸がじんわりと温かくなる。


「やっぱり人の優しさって、沁みるね……」

「…………。本気で心配してるの、伝わってない?」

「え!? とっても伝わってるよ!? 伝わってるの伝わってない!? ん? あれ? 合ってる?」

「はは。合ってる。大丈夫」


 ああ、オーウェンと話すとなんだかホッとする。

 こう、真冬にこたつに入ってぬくぬく〜ってなりながら、寝落ちしてしまう……みたいな感覚になるのだ。


 オーウェンの裏表のない言葉や、気遣いの心、ほんの僅かに口角を上げた控えめな笑い方の為だろうか。


 決して『マホロク』の攻略者たちのような刺激的な言葉も、ドキドキするような展開もないけれど、今のジェシカにはそんなオーウェンがより輝いて見えた。


「ハァ……。将来結婚することができるならさ、絶対オーウェンみたいな人にする」


 ジェシカの言葉に、オーウェンは一瞬言葉を詰まらせた。


「……っ、どうしたの、急に」

「だって、オーウェンといると落ち着く。この学園での唯一の癒やし、オーウェン! マイナスイオン、オーウェン!」


 楽しそうにそう話すジェシカに、オーウェンは小さな溜息を漏らした。


「……はいはい。余計なこと言ってないで、修行続けるなら頑張りなね。俺も手伝ってあげるから。……無茶してたら止めるけど」

「オーウェンってほんとさぁ……。良い人なのにさぁ……。なんで周りが分かんないかなぁ……」


 背筋が曲がっていて、前髪で顔を隠しているとはいえ、何故周りはオーウェンの魅力に気付かないのだろう。大体の生徒はオーウェンを気味悪がり、遠ざけるから。


 こう言っちゃなんだが、どの攻略対象よりも優しいし、人間ができてるし、なによりまともなのに。


「俺は別に、大事な人にだけ自分のこと分かってもらえればいいし」

「え? それはつまり? 私はオーウェンの大事な友だち枠の中に入れてるってことかな!? ありがとう、オーウェン!」

「まだ何も言ってないけどね。まあでも、ジェシカは友だちというより……いや、なんでもないよ。さ、帰りが遅くなるから早く修行をやろう」

「あっ、うん!」


 オーウェンは一体、何を言おうとしたんだろう。


(ま、良いか。何にせよ、オーウェンは私を傷付けるようなことは言わないもんね)


 それに、ここ一ヶ月、オーウェンが頻繁に話しかけてくれるようになってからというもの、彼は前より周りから孤立しているのに、彼はジェシカの側を離れず、支えてくれているのだ。


(オーウェンにいっぱい恩返しできるように、もっともっと頑張らなきゃ。オーウェンは卒業したら帝国に戻るだろうし、それだと会いに行くのにもお金がかかるもんね。やっぱり高待遇の就職先をゲットしないと!)


 ジェシカはコクリと頷いてから、改めてオーウェンを見やる。


「オーウェン、いつもありがとう! 私、頑張る!」

「……どういたしまして。さ、始めよう」



 それからジェシカは、オーウェンの協力もあって、日に日に魔法の技術を向上させた。


 一方、時折ラプツェや攻略対象たちと学園内でかち合うことがあり、罵詈雑言を浴びせられた。

 だが、良いタイミングでオーウェンが現れることが多く、彼が自然とその場から離れられるように誘ってくれたので、大きなトラブルになることも、心が傷付けられることもあまりなかった。


 ──そして、魔法検定試験の当日。


 一人ひとり順番に名前を呼ばれて検定を受ける中、ジェシカは次の番だった。


「はぁ〜意外と緊張する……」


 やれるだけのことはやったが、ここが人生の分岐点だと思うと緊張をしないというのは無理だと思う。


 ジェシカが胸辺りを手を押さえて「きっと大丈夫……いける……いける……」と呟いていると、背後から背中にぽんと叩かれた。


「……! オーウェン!」

「物凄い緊張してるみたいだね」

「ま、まあね? していないこともなくてよ!?」

「急に変な話し方になってるけど……。って、俺が言いたいのはそうじゃなくてさ」


 オーウェンはジェシカの手を控えめに握り締めると、優しい声色で囁いた。


「大丈夫、大丈夫だよ」

「……っ」

「ジェシカの努力は俺が一番知ってる。そんな俺が大丈夫って言うんだから、絶対大丈夫」

「オーウェン……」

「俺の言葉は、信用ない?」

「ううん! ある! 私は大丈夫……!」


 オーウェンには不思議な力があるのだろうか。

 彼にこう言われると、本当に大丈夫な気がしてくるのだ。


「オーウェン、ありがとう」

「……うん。あの馬鹿どもに、ジェシカの凄さを見せつけてやんな」


 そう言ってオーウェンが目配せをした先にいるのは、高いところからこちらをニヤニヤとした顔で見ているラプツェと攻略対象たちだ。


「──次、ジェシカ・アンダー!」

「はいっ!」


 先生に呼ばれ、ジェシカは試験会場の真ん中へと歩いていく。


「ジェシカ・アンダーです! よろしくお願いします!」


 そして、ジェシカは、魔法を発動した。



 ◇◇◇



「なっ……試験の結果、一位はあのジェシカ・アンダーだと!? しかも満点!?」


 試験結果が張り出された壁の前で、王子であるアーサーが驚愕を露わにした。

 その周りにいる他の攻略対象たちも概ねアーサーと同じ反応だ。

 平民でありながら王立魔法学園に入学できたジェシカが、膨大な魔力量の持ち主であることは知っていたものの、ここまで優秀だとは思っていなかったからである。


「いくら素行に問題があっても、ここまで優秀では魔法省の各機関がジェシカ・アンダーを欲しがるかもしれませんね……。僕の父だって……」


 筆頭魔法使いである父を持つ彼がそう話すと、周りの攻略者たちも口々に続けた。


「国王である父も、この結果を知ればジェシカ・アンダーのことを国の中枢機関に入れたがるだろう」

「私の父、現宰相も同じように考えるかと……」

「騎士団長である父も、国力が上がるのならと喜ぶと思います……」


 ラプツェを虐めた人物であるジェシカのことなんて褒めたくない、認めたくないと、彼らの顔には書いてある。

 しかし、今国を動かしている自分たちの親世代が、最高の結果を出したジェシカを、求めないはずはなくて……。


「悔しがってる悔しがってる。……けど、これなら文句言えないでしょ。ね? オーウェン」


 苦虫を噛み潰したような顔をする攻略対象たちを、ジェシカはオーウェンと共に少し離れたところから観察する。

 わざわざ近付いていちゃもんをつけられたくなかったからだ。周りにも他の生徒はいないため、喋り放題だった。


「言えるはずはないよ。この試験で一位……しかも満点だなんて、まさに国の宝だからね。もしも国王陛下やその周りが、“ジェシカはラプツェを虐めている”という嘘を信じたとしても、それだけでジェシカを窓際の部署に追いやるなんて勿体ないことはしないよ」

「はぁ〜良かった! これもオーウェンのおかげ! 改めて、本当にありがとう」


 オーウェンは少しだけ顔を伏せる。その際、漆黒の髪の毛から覗く耳が少しだけ赤いことに、ジェシカは気付いた。


「……もう! オーウェン照れてるの!? 可愛すぎない!?」

「……可愛くないから。あと照れてもない。……試験で汗かいたから顔洗ってくる。大人しく待ってて」

「ふふ。はーい」


 絶対に照れ隠しだ。オーウェンって可愛い。

 ジェシカはそんなことを思いながら、改めて試験が無事終わったことにホッと胸を撫で下ろした。


「ほんとに良かったぁ……」


 無事に試験で一位を取れたことで、就職の心配はほぼなくなった。

 攻略対象たちの悔しがる顔も見られて満足だし、後は卒業するまでこの環境に耐えるだけだ。


(ま、耐えるって言っても、ラプツェも彼らも無視するんだけどね。……ていうか、あれ?)


 そういえば攻略者たちのところにラプツェの姿が見当たらない。

 いつもはひっつき虫なの? と聞きたくなるくらいに、彼女は攻略対象たちにベッタリだというのに。


「……っ、ちょっと! ジェシカ・アンダー!」


 そう、ジェシカが考えていた時だった。

 突然後方から甲高い声で名前を呼ばれたジェシカは、何事だと振り向いた。


「あれ、ラプツェ様じゃないですか…」


(……って、顔、怖ぁ)


 突然般若のような顔で睨み付けられたジェシカは、内心でそんなこと思う。


「……っ、学園を辞めないどころか、こんな好成績を残すなんて……! あんた一体なんなのよ……!」

「努力した結果ですが……」


 そもそも、ラプツェを筆頭に周りが悪者にしたててくるから、そんな中でも幸せな未来にしたいと思って行動しただけだ。


「さては、優秀な成績を収めて、アーサー様たちの気を引くつもりなんでしょう!? 私から彼らを奪おうとしたって、そうはいかないんだから!」

「は? 何を言ってるんですか?」


 だというのに、なんだろう、この言われようは。

 確かに、ヒロインに異世界転生したのだと分かった時は、浮ついた気持ちを持ったことは認める。

 しかし、直ぐ状況を悟り、オーウェン以外の学園の人間を見限って、魔法の修行に日々を費やしたのだ。


 誰にも文句を言われる筋合いはないが、その中でも元凶であるラプツェにこんなふうに言われる筋合いはなかった。


「被害妄想は勝手ですが、それを私にぶつけないでください。早くラプツェ様を愛してくださる皆様のもとに戻っては?」

「〜〜っ! 私のことを馬鹿にして……! 良いわ!! あんたのその努力とやら、今から無にしてあげる!」

「は──?」


 ラプツェが不穏なことを口にするので、ジェシカの心臓はドクドクと嫌な音が鳴る。

 その直後、ジェシカが勢いよくラプツェに腕を取られると、その腕は彼女のみぞおち辺りに誘われており──。


「キャァァァ……!!」


 次の瞬間、床に膝を突いたラプツェはみぞおちを庇うようにしながら、悲鳴を上げたのだった。


「え? は? え?」


 理解が追いつかず、ジェシカからは堪らず上擦った声が漏れる。


 それと同時に、悲鳴を聞いた攻略対象たちと、ラプツェの取り巻きたちは、彼女を労るようにして囲んだ。


「一体どうしたんだラプツェ……! なにがあった!?」


 アーサーの問いかけに、ラプツェは顔を上げ、ほろりと涙を零しながら答えた。


「ジェシカ様に、試験についておめでとうございますとお伝えしたら……急に魔法で攻撃されましたの!!」

「……!?」


 こりゃあもう、驚きを通り越して、むしろ凄いとさえ思った。

 ラプツェのみぞおち辺りに腕を引っ張られたのは、その演出だったというわけだ。


(……って、余裕ぶってる場合じゃない……)


 ジェシカの額に、汗が滲む。


「なんだと!? この学園では、先生の許可なく生徒が対人に攻撃魔法を使うことを厳しく禁じているというのに……!」


 そう、宰相の息子が言う通り、この学園で最も罰が重いのは、攻撃魔法で他者を傷付けることだ。いかなる理由があろうと、どれだけ被害者が軽症で済んだとしても。


(つまり、このままいくと私は、まともなところに就職ができないのはおろか、学園も退学……最悪の場合は、牢獄生活……?)


 どうやら、想像よりもはるかにラプツェはジェシカのことが疎ましいらしい。

 しかし、やられっぱなしではいられない。


「ここまでするとは思わなかった。最低だ……」と睨みつけてくる攻略対象と、「ラプツェ様が可哀想……」と嘆き悲しむ女子生徒たちに対し、ジェシカは反論に打って出た。


「お待ち下さい! そもそも私はラプツェ様を魔法で攻撃していません。ラプツェ様に無理矢理腕を取られ、みぞおち辺りに手を持っていかれただけです。一人くらい、その時の様子を見ていた方は、いませんか?」

「「…………」」


 周りにいる生徒たちに問いかけるが、全員目を逸らして口を噤むばかり。

 その反応からするに、ラプツェの発言が嘘であることに気付いてはいるが、言えないということなのだろう。


「……っ」

「おい、誰も声を上げないではないか! やはりお前がラプツェに魔法を……!」

「違います……! 先生方、先生方の中で見ていた方はいませんか……っ」


 周りにいる先生たちにも問いかけるが、答えは生徒たちと同じだった。よほど、ラプツェやアーサー率いる攻略対象たちを敵に回したくないようだ。


「そんな……っ」

「ジェシカ・アンダー。いくら魔法の才があろうと、仲間を攻撃するような奴は罰を与えねばな」

「……っ、違う、私は何もしてない……!」


 誰も助けてくれない。手を差し伸べてくれない。


(どうして、私が……ううん、ジェシカがこんな目に……!)


 人格が変わる前のジェシカは、ラプツェの策略によって陥れられて直ぐの頃、何度も虐めていないと否定した。けれど一向に信じてもらえず、それからはただただ耐えていた。

 人の悪口も言わず、嘆くこともなく、ずっと清い心で、ひたむきに生きていた。


 そんなジェシカに異世界転生してからは、これからの未来を明るいものにしたいと、幸せを掴みたいからと、魔法の修行に明け暮れた。


 前のジェシカも、今のジェシカも、ずっと、ただひたむきに、真面目に、頑張っていただけなのに。


 誰でもいい。悪魔だって受け入れるから、だから──。


「誰か、助けて──……」


 そう、ジェシカが願いを口にした時だった。


「ジェシカ、遅くなってごめん。もう大丈夫だよ」

「……っ、オー……ウェン?」


 後方のかなり高い位置から聞こえた、聞き慣れた優しい声。

 ジェシカは涙を堪えて振り向くと、彼の姿を見て、目を丸くした。


「どう、して……。オーウェン、顔、見せていいの……?」


 ピンと伸びた背筋に、搔き上げられた長い前髪。

 漆黒の髪に隠れていた、切れ長な銀色の瞳に、形の良い眉。

 筋の通った形の良い鼻に、色素の薄い唇。

 そんなオーウェンに対して、以前まで気味悪がっていた女子生徒からは黄色い声が、男子生徒からはざわついた声が上がった。


「うん。それどころじゃないからさ」

「え? どういう──」

「あ、貴方様は……!!」


 ジェシカの声を遮ったのは、これでもかと目を見開いたアーサーだった。


「ハーベリー帝国の第二皇子……オーウェン・ハーベリー殿下ではありませんか……! 何故こんなところに!?」

「えっ、オーウェンが……帝国の第二皇子……?」

「……そうだよ。ごめんねジェシカ、騙してて。実は、陛下にこの国の魔法の技術を学ぶために留学したいと進言した際、身分を明かしたら特別扱いを受けて俺のためにならないからって言われてね。顔を隠して身分を偽ることを条件にされていたんだ」

「な、なるほど……?」


 いや、そういうことなら致し方ない、のだけれど。


「それなら何故、今明かしたの……?」

「ん……? ジェシカを守るには、この姿のほうが都合がいいから、かな。それに、かなりの間あの姿でいたわけだし、もう陛下との約束は良いでしょ」

「え、えっと……?」


 ジェシカ同様、この場にいる全員が目や口をあんぐりと開けたり、素早く目を瞬かせたりして驚いている。

 そんな中、オーウェンはジェシカの頭をするりと撫でてから、右手をスッと上げた。

 すると、黒の召装に身を包んだ人間が、オーウェンの斜め後ろにすぐさま現れた。


「彼は俺の影。俺の身の安全を守ったり、俺の命令に従って任務をこなす、優秀な部下といったところかな。彼には魔法を介して主従契約を施してあってね、彼は俺に対して嘘をつけないことになっている」

「そ、それがなんなのですか! いくら皇子でも、この国の問題に急に口を出してくるのは──」

「黙ってくれないか、アーサー殿下。今俺は、この学園の生徒だ。それに、ジェシカの無実を晴らそうとしているんだから邪魔をするな」

「ヒィ……!」


 オーウェンにキッと睨み付けられただけで、ビビるアーサーの格好悪さたるや……。


(まあ、それは良いとして)


 ジェシカはオーウェンの説明に耳を傾けた。


「話を続けよう。実は彼には、入学当初から一つ命令をしてあるんだ。常にジェシカを監視しろ、とね」

「わ、私を? どういうことなの? オーウェン」

「すぐに分かるから大丈夫」


 オーウェンはそう言うと、影に問いかけた。


「まず、今問題になっているジェシカがラプツェ公爵令嬢に魔法攻撃を仕掛けた件だが、それは本当か?」

「いえ。ラプツェ公爵令嬢のただの言いがかりです。ジェシカ様は一切魔法を発動しておりません」

「「「……!?」」」


 一同の信じられないといった視線がラプツェを射抜く。


 そんな中、発言をしたのは筆頭公爵家の息子だ。


「お待ち下さい……! その影とやらの発言に、きちんとした信憑性はあるのですか!?」 

「……なるほど。つまり、貴殿は帝国の第二王子である俺が、公衆の面前でこんなにも堂々と嘘を吐いていると言いたいのか?」

「そ、それは……」


 口籠る筆頭公爵家の息子。

 彼に続いて声を上げる者はいないようで、オーウェンは次の質問をした。


「では、次。ジェシカがラプツェを虐めた事実はあるか?」

「や、やめて……っ」


 ラプツェがそう嘆くが、影が発言を止めることはなかった。


「いえ、事実無根です。全ては、ラプツェ公爵令嬢の虚言、もしくは自作自演によるものです」

「やめろって言ってんでしょうがぁぁぁ!!」

「ラ、ラプツェ!?」


 ラプツェの大声と汚い言葉遣いに、攻略対象たちを含めその場にいるほとんどが引いている。

 さすがにジェシカもびっくりだ。

『マホロク』の悪役令嬢ラプツェは良い人ではなかったけれど、品があった。


 ラプツェはみぞおちが痛いふりをやめて立ち上がると、オーウェンではなくジェシカに駆け寄ってきた。

 オーウェンは庇おうと前に出てくれたけれど、ラプツェの話を聞いてみたいと思っていたジェシカは、彼を制止し、ラプツェと向き合った。


「ずっと聞きたかったんですが、どうして私に虐められたと嘘をついたんですか?」

「どうせあんたに言っても分かんないでしょうけど、教えてあげるわ! それはね、ここが乙女ゲームの世界で、あんたがヒロイン! 私が悪役令嬢だからよ!」

「えっ」


 どうやら、ラプツェはジェシカと同じ、異世界転生者だったらしい。 

 それにこの口ぶりからすると、『マホロク』についても知っているようだ。


「私はね、このゲームが大好きだったの! だから悪役令嬢であるラプツェに転生したんだと理解した時は、なんでヒロインじゃないのよって相当落ち込んだわ。でもね、まだゲームが始まるよりも前の段階だったから、可愛い女の子のふりをしてあんたが現れる前に攻略対象たちを落とすことにしたの! ふふっ! 意外と上手くいったわ!」


 ゲームやらヒロインやら攻略対象やら。ジェシカ以外には皆聞き覚えのない単語ばかりのようで、口をぽかんと開けている。


「けど、学園に入ったらあんたがいる……。もしかしたらゲームの強制力でアーサー様たちはあんたに惹かれるかもしれない……。そう思ったら、どんな手を使ってもあんたを悪者にして、攻略対象から遠ざけようと思ったのよ! だって、攻略対象たちは私のものだから! 悪い!?」

「…………」


 ジェシカは現段階で異世界転生者だと公にするつもりはないので、ラプツェの発言にはなにも答えられなかった。

 ただ、ラプツェの、『マホロク』が好きという思いや、令嬢に転生して落ち込む気持ち、ヒロインに攻略対象たちを奪われるかもしれないという恐怖は、なんとなく理解できた。


(でも……)


 その全ては、ジェシカを陥れてもいいという理由にはならないのだ。


「……私にはラプツェ様が何を仰っているかあまり分かりませんが、一人の人間を陥れ、皆を欺いたことを、しっかり反省してください。そして、ここから人生をやり直してください」

「……っ、なによ、やっぱりヒロインって、良い子ちゃんなのね……」


 その言葉を最後に、オーウェンの手配なのか、ラプツェが学園の警備の者たちに拘束された。

 そして、ラプツェはジェシカをじっと見つめて、口を開いた。


「ごめんなさい……」


 その時ラプツェの頰に伝った涙は、今までの演技の涙とは違ったように見えた。

 これからラプツェはどうなるのだろう。ゲームでは、軽い罰から重たい系まで様々だったが……。


(どうか、この世界でやり直せますように)


 ジェシカがラプツェの謝罪に頷く。

 すると、ラプツェは「甘いわね……」と呟いてから、次にオーウェンに視線を移した。


「けどやっぱり、ヒロインって狡いわ。ちゃっかり隠しキャラも味方につけて……。ゲームでは何百回と周回しても、出てこなかったのに」

「……!?」


(隠しキャラって、まさか、オーウェンが……!?)


 ラプツェの爆弾発言に、ジェシカは困惑した。


 しかし、ラプツェが去った後、直ぐに「申し訳なかった」「なんて酷い誤解をしていたんだ」と謝罪してくる攻略対象や周りの生徒たち。

 かなり必死な様子なのは、ジェシカが魔法にかけて優れ、国にとって重要人物であること、大国であるハーベリー帝国の第二皇子であるオーウェンが、ジェシカの潔白を証明したからだろう。


(本当に反省しているかどうかは、分からないけれど)


 まずは彼らのことをどうにかしなければと、一旦ジェシカは隠しキャラについては忘れることにした。


「皆様の謝罪については、一応受け取ります」

「い、一応……?」


 一応とは一体……? と言わんばかりの表情を見せる彼らに、ジェシカは呆れた声色で話した。


「確かに今回の原因はラプツェ様にあります。……しかし、貴方方はラプツェ様が言っていることが本当なのかの裏取りをすることもなく、私に罵詈雑言を浴びせました。一度謝罪をされたからと言って、じゃあもう良いよと明るく話せるほど、私は優しくありません」


 全員がギクリと肩を揺らし、気まずそうな顔をする。そんな中、アーサーが代表して、再び頭を下げた。


「そ、それは……本当に申し訳ないと思っている……」

「……はい。平民の私如きが殿下にこのようなことを言うのは恐れ多いですが、このようなことが今後二度と起きないように努めていただきたいです。他の皆様も、情報にだけ振り回されて、むやみやたらに人を傷付けないでください。……これらが守られていると私が感じたら、一応ではなく、しっかりと謝罪を受け取ります」

「ああ、分かった」


 一応を付けなくなる日が来るのかは、ジェシカには分からない。

 ただ、そんな日が来るといいなと、願うばかりだった。



 ◇◇◇



 ラプツェが去った後、ジェシカとオーウェンはガラリとした空き教室にいた。

 先生たちが今日は一旦帰宅するようにという指示をしたのだが、二人はまだまだ話し足りなかったから。


「……もう一度言うけど、ごめんねジェシカ。ずっと騙してて」


 ジェシカの前の席に座ったオーウェンが、椅子に反対向きに座り、向き合うような姿勢で謝罪してくる。

 カーテンの隙間から差す日差しが、オーウェンの銀色の瞳にキラリと反射した。


「ううん。事情があったことだし、それは本当に仕方ないんだけど……」


 さっきは余裕がなくてあまり思わなかったけれど、こうもまじまじとオーウェンを見ると、かなり端正な顔立ちをしていることが分かる。


(確かに、『マホロク』の隠しキャラは帝国の王子であるという情報だけは出ていた。……しかも全員イケメン。ラプツェ様が言うように、オーウェンが隠しキャラで間違いないみたいだけど……)


 ゲームの中では、どのような選択肢を選んでも、エンドを迎えても、オーウェンは顔や立場を明かすことはなかったのに……。


(……とはいえ、ここはゲームの世界とは違う部分も多いから、あんまり深く考えなくても良いの、かな?)


 一人でうーんうーんと悩むジェシカに、オーウェンは微笑を見せた。


「なに一人で百面相してるの?」

「え!? あーそれは……」


 疑問をそのまま口に出すことはできないので、ジェシカは少し質問の仕方を変えることにした。


「どうして、正体を明かしてまで、私を助けてくれたの……? あっ、それと! 入学当時から私に影さん? を付けてたのもなんで?」


 するとオーウェンは、少し言いづらそうに口を開いた。


「当初監視していたのは、膨大な魔力量を持っているジェシカに興味が湧いたからだよ。帝国にもジェシカ程の魔力量の人間はいないから。もし魔力量が多いことに理由があるなら、帝国にとっても有益な情報だなって、そんな気持ちだったんだ。……本当に、ごめん」

「え、ううん! 驚いたけど、理由は分かるし……。それに、そのおかげで私の無実は証明されたんだし」


 極めて明るくジェシカがそう言うと、オーウェンはずいと体を前に乗り出した。


「……でも、ジェシカが魔法の猛特訓を始めた辺りからは、そんな気持ちじゃなかったよ」

「え?」

「いつかジェシカが俺に助けを求めてくれたら、その時は確実に助けられるように、ジェシカがあの女に対して何もしていないことを証拠を集めようと思ったんだ」


 確かにそのあたりから、オーウェンはよくそばにいてくれるようになった。そのおかげでラプツェたちに絡まれる面倒臭さもかなり軽減した。

 オーウェンの中で、ジェシカがただの興味の対象から、心配をする対象に切り替わったことは、事実なのだろう。


「それは、どうして?」


 オーウェンの気持ちが変わった理由が知りたくて尋ねると、彼の頬には少しだけ赤みが差した。


「ジェシカは、あの女たちのせいでつらい目に遭っても、復讐を選ぶでもなく、誰かに縋るでもなく、幸せな未来のために一人で魔法を磨く道を選んだでしょ?」

「うん」

「俺は、そんなジェシカを助けたいと思うようになった。こんな、頑張り屋な子が不幸になるのは嫌だなって、幸せにしたいなって、できることなら俺が支えたいなって思うようになった」

「……っ」


 それはまるで告白のようにも聞こえる。オーウェンは親切心で言っているのだろうが、彼の熱っぽい眼差しを見ていると、どうにも勘違いしてしまいそうだ。


(この世界に来てから、浮ついた気持ちは捨てたはずなのに……!)


 オーウェンを見ると、少しだけ……ほんの少しだけ胸が高鳴る。


 それがどうもむず痒くて、ジェシカは話題を切り替えた。


「そ、それにしてもオーウェンは、よくラプツェ様を好きにならなかったね? 皆、彼女に夢中だったのに……。ほら、ラプツェ様は昔はあまり良い子じゃなかったらしいけど、改心して素敵な女性になったところがとても魅力的だって。そういう話をよく耳にしたけど……」

「え? それ本気で言ってる?」


 呆れ顔を見せたオーウェンは溜息をついてから、ジェシカを真剣な眼差しで見つめた。


「なにかの機会に良い方向に変化するのが悪いとは言わないけどね、少なくとも俺は、ずっと真面目に、ひたむきに頑張っている人のほうが心惹かれるけどね。……ジェシカみたいに」

「……っ!?」


 いや、告白じゃない……。勘違い……。これは勘違い……。

 そう思おうとしても、オーウェンの言葉はジェシカの心を撃ち抜いていく。過去のジェシカも含めてこんなふうに褒められて、嬉しくないはずがなかった。


「ねぇ、ジェシカまだ分かんない?」


 そう言って、オーウェンの手が壊れ物を扱うかのように優しくジェシカの頬を撫でる。


 気持ちの整理はできていないけれど、ジェシカがその手が嫌ではないことだけは確かだった。だから、振り払うことはなかった。


「俺は、ジェシカが好きだ」

「えっ」

「前にジェシカが、将来結婚するなら俺みたいな人が良いって言った時、それなら俺と結婚すればいいのにって言っちゃいそうになったくらいに、凄い好き」

「へっ……!? そんなに!?」


 顔を真っ赤にして狼狽するジェシカに、オーウェンは「かわい……」とポツリと呟く。


 それからオーウェンは、ジェシカの頬に滑られていた手をそっと彼女の唇に移動させ、優しく撫でた。


「ふぇっ!?」

「まあでも、ジェシカは今まで俺のこと、一切そういう目で見てなかったもんね。……卒業するまでにまだ時間があるから、根気よく口説くことにするよ。覚悟しておいてね」

「な、なんかキャラ変わってない……!?」

「はは」



 ──それから数年後。

 膨大な魔力を持つ女性が、大陸一番の魔法使いになり、更に帝国の第二皇子の妻になるのだが……それはまだ、先の話である。

読了ありがとうございました!

【連載版】も投稿しましたので、是非そちらもよろしくお願いします〜!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ