この世界の洗礼
1話
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身体が熱い………
薄れゆく意識の中、部屋を暖めるために燃えている薪の音と自分の弱弱しい呼吸音だけが室内に響いていた。
二週間前から私を苦しめる原因不明の熱病は正常な思考だけではなく、ポジティブな感情さえも蝕んでいく。
熱が下がることがなく、このまま永遠にベットの上で過ごす運命なのだとしたら?
あるいはこのまま息絶えてしまい、大好きな二人とお別れすることになってしまったら……
だめ、熱が下がらないからって弱気になっちゃ……
頭の中で『最悪な事態など起こるはずない』と必死に自分に言い聞かせ、恐怖から逃げ出すように毛布へと潜り込む。
暖かい部屋と毛布が私を暖めてくれているはずなのに、体の内側から湧き出す強い寒気で思わずブルブルと震えてしまう。
弱り切った体から力を振り絞り、ギュッと目を固く閉じてこれから見る夢に備えた。
あの夢は嫌いだ……
ここ数日間、ずっと同じ夢を見続けている。
その夢の内容は、音もなく、光もなく、一面に広がる暗闇の世界に沈んでいくだけ。
どんなに泣き叫び、助けを求めても決して救いの手を差し伸べてくれる人など、どこにもいない。
静寂と暗闇だけが支配する世界に長く留まり続けると。ブラックコーヒーに投げ込まれた角砂糖のように、自分の意識が削り取られていく気がして、怖くて、怖くて、堪らなかった。
そして今日もわたしはその悪夢へと飲み込まれてしまった。
周囲を見渡しても暗闇が広がるだけ。終わることのない悪夢だと実感させられる。
「お願いだから、わたしをここから解放してよ!!!」
勇気を出して震える声を振り絞りながら助けを求める。だが私の声は反響するだけで、やっとの思いで口に出した訴えは虚しく闇へと飲み込まれていく……
わたしにはわかる。これは【この世の法則】と呼ばれる存在が、わたしに【契約】をさせるために見せてる悪夢なんだ。
もし【契約】の契りを交わしてしまったら、“わたしは他の誰かの魂と記憶を融合させられてしまう”それが耐え難いほどに怖い。
頭の中で何がなんでも生き延びようとする本能と変わる事を拒もうとする理性がグルグルと回り続け、知恵熱という怪物となって私を苦しめ続ける。
頭が痛いだけではなく、呼吸をするので一杯一杯になってきた。 わたしに残された時間はそう長くないのだろう……
「わたし…わたし……ヴゥウ……グス」
何度も抗ってきた。この夢の世界から抜け出すために必死にもがき、苦しみ、泣き疲れても手を休めずバタつかせながら抗ってきた。
でも、ダメだった。この夢にきっと出口なんて物は存在しない。待っているのは絶望という名の現実だけ。
今もこうして泣き続けているのに【この世の法則】は無慈悲にわたしへと選択を迫り続ける。
大人しく言いなりになって、別の誰かと混ざり合うことで生き延びるのか、それとも、ここで死を選ぶのかと……
永遠とも刹那とも思える時間の中で必死に考えて答えを探した。
「……ごめんね、二人とも」
幼いながらわたしは今を生きることを諦めて死んだ後の世界のことを考えることにした。
(もし天国が存在するのなら、せめてそこに行けますように…)
生命活動を停止するべく。
瞳を閉じようとした瞬間、私の名前を誰かが懸命に呼び続けていることに気が付いた。
「……レイ…!!グレイ!!頑…張…って!!諦め…で!!」
『しっかり…ろ!! また、………して…る!!お前が好き………を好きなだけ……やる!!』
わたしの意識は確かに夢の中にあるはずなのに、夢の外側から二人が今もこうして必死に声をかけてくれている。
頑張って、この世界にとどまらせようと、必死にわたしの名前を呼び続けてくれる。
わたしは涙を拭い、自分を叱りつけた。
こんなに心配してくれてる二人がいるのに、勝手に生きることを諦めてしまうなんて、自分はなをて身勝手で情けないんだ。
(大丈夫、“私が生まれ変わっても”優しい二人いるんだ。きっと、暖かく向かい入れてくれるはず。それに、何がなんでもやり遂げたい“夢”があるんだから。)
そう強く願い続けた瞬間、私の胸から微かな光が現れた。
この光は薄暗くほんの少し暖かいが。
この世界全てを照らすには余りにも微弱。
だけど、今のわたしにはこれで充分だった。
「ちゃんと目が覚めたらまた、わたしの大好きな魔法使いのお話しを聞かせてね」
わたしは闇に導かれるようにこの世界の底へと落ちていく。
でも、もう二度と怖がらない。
だって、わたしには今もこうして応援してくてる二人がいるから…
胸から現れた光を求めて手を伸ばすと、指が光に触れた。
その瞬間、辺り一面に強い光がこの世界を照らした。
時が流れ8年後…
ナルメシア大陸にある、イリーナ国家は大きく変わった。今までは食卓にコップ一杯分の水を用意するために、わざわざ町の広場にある井戸から汲まないといけなかったが、今では蛇口を捻るだけで簡単に出てくる。
それだけではない、手が凍るような寒い日に怯える必要もなければ、月の光すら存在しない夜道にもう怯える必要はない。
なぜなら、十数年前に海を越えて訪れた【青銅商会】と交流を持つようになり、どこの家庭にも当たり前のように電気、ガス、水道が存在し、わたしたちの暮らしを支えているからだ。
だが、全ての人がこの商会に感謝しているとは限らない。
ここ『リリィーラ牧場』は近くに港町もあり、立地条件もそこそこいいため、毎年それなりの収入を得ていたのだが、商売上の理由により青銅紹介と争ってしまい、圧倒的な財力の前になすすべもなく惨敗してしまったのだ。
この戦いに負けた代償は凄まじく、これまではこの地を覆い尽くすぐらいに穀物を栽培していたのだが、それもほとんどやめてしまい。
今じゃ雑草が好き勝手に生えてる始末である。
そんな牧場と呼んでもいいのかわからないこの場所で、私はある凶悪犯を追っていた。
そいつが犯した罪は大きく、1週間ぐらい前に【イヅナ】が買ったばかりの髪留めをなんと口に入れて汚し。
また、ある時は【ラルフ】が気にいっていたマグカップを棚から落として壊したのにも関わらず、謝らずその場から逃走した超極悪非道な奴。
みんな『アイツ』が何かするたびに笑って許してきてやったが、今回ばかりはどうしても我慢できず。
わたしは猛烈に込み上げてくる怒りを必死に抑えながら犯人の足取りを追っていた。
(う〜ん、わたしの経験から考えるとこの辺りかな…)
もう使われていない畑に我が物顔で生えてる雑草を乱暴に掻き分けると、3〜4センチぐらいの獣の足跡を発見したから、そっと腰を落とし観察するかのように触れてみる。
(確か2〜3日前に雨が降ったよね…見た感じ雨で崩れてもいないし、軽く触っただけでこんなに簡単に崩れるってことはこの足跡はつい最近できたはず…)
ニヤリと不敵な笑みを浮かべながら茂みに向かって張り詰めた声を浴びせる。
「アンソニー!!!そこにいるんだろ!!!!大人しくでてこい!!」
私の発した声が茂みに伝わったのか、不規則に震えだし、何者かが勢いよく飛び出してきた。
飛び出して来た物は尋常もない素早さで、まるで矢でも飛んで来るかのようにスピードを徐々に上げてこっちに突っ込んで来る。
(真っ正面から来たか!!!)
すぐさま臨戦態勢に入り、これからくるであろう衝撃に備え、腰を落とすが、突如、方向転換をし始め稲妻を描くかのようにジグザグに曲がってわたしの真横を突き抜けようとする。
(にゃろう、フェイントなんて小癪なマネをしやがって!!!!)
人間技を超える技でこの場から離れようとするが、わたしも負けずに人間離れの超反応で飛びかかった。
「そこかーーー!!!」
私の動きはまるで猫が獲物のネズミを捉えるかのように的確で素早く、捕まえられ、今もなお必死で逃れようとする犯人の暴れる足を、手慣れた手つきで抑え込んだ。
「やっぱおまえか!!また、保存用の干し肉を食べて……オマエがつまみ食いしたせいで私たちのオカズが減ってしまうかもしれないんだぞ!!いいか、盗み食いは我が家で最も許されない行為の1つなんだぞ!!」
いま、わたしの腕の中にいるのは、干し肉をくわえた1匹の灰色の狼だ。
そう、これこそ私が追いかけていた犯人の正体。
元々は番犬として小さいころから育ててきたのだが、どうしてもイタズラ好きでみんな手を焼いている。
因みに、どうして犬ではなく狼を飼っているのかというと、ラルフが「自分の牧場を守るための番犬は自分で決めたい!!!!」と意気込んで遠くにある港町まで買いにいったのはいいが、お店の人に血統を偽られ、見事、騙されて飼わされてしまったのだ。
「さあて、どうしたもんかな………」
実は捕まえた後のことを考えていなかったから、このあとどうしてやろうか、あれこれとお仕置きプランを考えるが、狼は突如、クゥゥウン……と可愛らしい鳴き声を上げ、必死に許して欲しいと訴えかけてきた。
まったく、こいつ狼としての自覚はないのか???子供の頃からこれっぽっちも変わってないぞ。
「そんな声を上げたからって話してやらないぞ。今日こそは罪を償ってもらうんだから」
自分がしている拘束に緩みがないか確認するため、手元を見てみると。そこには、つぶらな瞳で訴えかけているアンソニーと目が合ってしまった。
いつもなら、ここで拘束を解いているが。今日のわたしは一味も二味も違う。なんと言っても、今の私には何がなんでも、“お仕置きをしてやる”という、鋼の意志があるんだから。
そのことを感じ取ったのか、往生際の悪い犯人は私の手から逃れるべく、より激しい抵抗をし始めた。
「クゥゥウン、クゥゥウン」
プライドを投げ捨て、甘える時に出す声を上げるなんて。なんて、あざとい凶悪犯なんだ。
「だ…ダメだよ、そんなふうに甘えても…」
拘束を解くつもりがない事を伝えたら、より、大声で叫び始めた。それはまるで、命乞いをするかのように……
「クゥゥウン、クゥゥウン、クゥゥウン」
必死に訴えかけるアンソニーの声を聞いていると。拘束がキツくて、痛がっているのではないのかという不安に駆られてしまった。
(痛くないようにしっかり力を加減しているんだけど、苦しいのかな)
もう一度、手元を見てみると。再び、つぶらな瞳と目が合ってしまった。そして、アホの子丸出しで「ワンッ!!」と元気よく吠えられてしまったら、私の怒りは何処かへ消えていってしまった。
「はぁ、わたしも甘いな……」
例え血統は優秀じゃなくても、家族には違いない。私はそこまで鬼じゃないので離してやることにした。
『ワン!!!ワン!!ワン!!!!』
拘束から解放された喜びと、わたしが許してあげた喜びで、まるでこの世の罪から逃れることができたかのように大喜びで私の周りを駆け巡っている。
まったく現金な奴め…
確か動物の躾は、やっちゃいけないってことを教えるために、すぐその場で怒るんだよね…
ならこいつはやっちゃいけないことだとをわかっててやるから、また、同じことを何度もやらかすだろうな…
この子犬のような狼の頭を撫でてやり、わたしは近くの草むらに寝っ転がり大空を見上げた。
空を見上げるのが怖い、それはきっと何処までも続くあの高さが怖いのだ。
雲をみて、青い空をみて、きっとその先には星が何億何兆と漂ってる宇宙が広がってる…
子供の頃、調子に乗って遠くを見すぎてると、身体はこの地についてるはずなのに、落下してるかのような錯覚に襲われた。
そう…幼い頃に見たあの夢のことを思い出して怖いのだ…
「ねえ、アンソニー…アンソニーには前世の記憶ってある???」
突然の質問にアンソニーは「???」と首を傾げ不思議そうに考え込んでいる。多分、この反応からすると、前世って言葉の意味を理解できていないのだろう。
この世界では、別世界で過ごした人の記憶を引き継いで生まれてくるのは珍しくない。
私が今いるこの世界は【アモーゼル】という名前で。歴史上の人物や偉人といった人達の中には、別の世界の知識を活かしてこの世界に名前を残した人も多くいる。
私も、偉人たちのように前世の知識を活かして、歴史に名前を残すような偉業を成し遂げられるか考えに耽ったが、正直どうでもよく感じた。
「そんなことよりも“彼女の記憶”と過ごした日々を思い出したい……」
わたしには前世の記憶を思い出くため、辺りを見渡すと丁度いい天然の芝生の絨毯が広がっていたので、遠慮なく寝転がり、軽く目を閉じた。
優しく私のことを照らしてくれてる太陽の光を毛布変わりにしながら、寝る準備を整える。
呼吸をするたびに、青臭い芝生の匂いがキツいけどだんだん意識が朦朧としてきた。
(体が液体に浸かるような感覚がする。ついさっきまで、感じていた太陽の光も感じない。)
自分の呼吸音をオルゴールがわりにしてからどれぐらい時間が立ったのだろう、わたしの意識は夢の世界へと落ちていた。
周囲を見渡すと、光り輝く物体が無数に広がり続ける空間が広がっている。
(よかった、無事にここに来れたみたい)
この世界はかつて【この世の法則】と契約したあの空間だ。
わたしが【この世の法則】と契約を交わした瞬間、私の胸から強い光が生まれた。
生まれたての光は温かく、心強く光を放っているのだが。無が支配する暗闇を照らし出すには弱すぎて、私の周囲を照らすことしかできなかった。
せっかく、生まれた光も。音もなく、希望すらを飲み込んでしまう暗闇の世界に消えて無くなってしまうのではないかと、不安を感じていたのだけど。突如、私の目の前で生まれた光が風船のように膨らみ続け、勢いよく弾け飛んだ。
飛び散っていく光は、夜空を流れる流れ星のように輝きながら駆け巡り。無限に分裂を繰り返し続けていく。
そこからは、本当に一瞬だった。幾度も分裂を繰り返しては煌めく光が大洪水を起こしたかのように巨大な天の川を作り出し。暗闇の世界の最果てに至るところまで光を届けたのだ。
宇宙誕生を間近で感じるような体験を得て、私は闇に怯えることもなく。凍えるような寒さに苦しむことももう二度とない。
この現象こそが、“この世の法則”と呼ばれる神に近い存在と契約したないようであり。“転生の契り”というものだと自覚をした。
「よし、それじゃあ、お目当てな物を探すとしよう」
近くに浮かんでいる光を間近で見るため、両手、両足をバタつかせながら泳ぎ出して近づくと。
私の目の前に、エメラルドのように淡色に輝く物体が浮かんでおり。そっと、覗いてみると。
ついさっき、わたしとアンソニーが戯れあっていた時の記憶が映像となって映し出されていた。
「うん、これは生まれたての“記憶”だね」
そう、この輝く物体の正体はわたし自身の記憶そのもので。現実世界で過ごした記憶がこの世界に流れついたものなのだ。
私は、この光輝く物体のことを【記憶のカケラ】と呼んでいる。
この【記憶のカケラ】は、とても便利なもので。カケラに手を触れるだけで、映し出されている記憶を鮮明に思い出すことができる凄い物なんだけど。取り扱いには気をつけないといけない。
なぜなら、思い出す記憶はいつも楽しい物だとは限らないからだ。
もし、うっかり。嫌な時の記憶が詰まっている【記憶のカケラ】に触れてしまったら、せっかく、忘れかけていた時の苦しみや悲しみを鮮明に思い出してしまうからだ。
私は最新の注意を払いながら【記憶のカケラ】の選別を続けていた。
(コレも違う…コレも違う……)
様々な記憶を探し続けて、ようやく御目当ての物を見つけ出す事ができたのけど。今、私の目の前にある【記憶のカケラ】は光色が黒澄んでおり、凶々しい見た目をしている。
(う…やっぱり、覗くのが怖くなってきた)
後は、このカケラを触れれば、自分が知りたい、記憶を思い出す事ができるのだがどうしても勇気が湧いてこない。
それでも、私は“地球という星で過ごした少女。【大空 白夢】の事を思い出す為に、勢いに任せてカケラに触ると。私を飲み込むほどの光に包まれた。
頭の中で、親友と過ごした記憶が流れ込んでくる……
当時のわたしは保育園になったばかりで、親友の彼女と近くの公園で木登りを楽しんでいた。
登った木から見渡せる風景は、地上からみる風景より遠くまで見渡せるのが大好きで、二人となら一生楽しんでいられる自信があった。
このまま、夕日が落ちるまで二人で風景を眺めようとした矢先、突如、突風に煽られ、わたしは木から転落してしまう。
幸い大きな怪我をすることはなかったのだけど、わたしが木から転落する様を目撃していた彼女は大慌てで木から降りてくるなり、大粒の涙を流し続けて泣き叫んでいた。
弱虫の彼女のことだ。私が木から転落したことが余程ショックだったらしく、何度も、何度も、怪我はなかった事を告げてもサイレン顔負けの音量で泣き続けた。
困り果てたわたしは、彼女を泣き止ませるためにオヤツに持ってきていた一粒の飴玉をあげることにしたのだが、貰った飴玉を躊躇なく口に放り込むなり、バリバリと噛み砕いてものの数秒で平らげてしまったのだ。
せっかく、あげた飴玉が一瞬でなくなったことが面白くて、私が声を上げて笑い続けると彼女も自然と笑顔になった。
わたしに取って、彼女と過ごした日々はどれも大切な宝物のはず。それなのに、笑顔で笑う彼女の顔が黒いモヤがかかり拝む事ができない……
(後少し、後少しで彼女の笑顔が見れそうなんだけど……)
全神経を研ぎ澄まし、彼女の笑顔を思い出そうとするが……
「ッ!!」
突如、私の眼球に激痛が走り、私の意識は強制的に現実の世界へと連れ戻されてしまった。
「痛てて……また、これだよ」
何度も、もう一人の自分の記憶を思い出そうとした。だけど、思い出そうとする度にさっきみたいに激痛が走り、思い出してる途中で遮られてしまうのだ。
ラルフから聞いた話では、転生するにあたり【この世の法則】が意図的に記憶を管理してるらしい。
(契約したとはいえ、大切な人の記憶を好き勝手に弄るなんて、やっぱり不条理に感じるよ。)
私が彼女に関して覚えている事は、鋭く尖った八重歯によく“魔法使いに私はなりたい”と、口にしていたことぐらいだ。
ゆっくり、空を見上げると、さっきまで青かった筈の空の色がオレンジ色に変わりはていた。あと、1〜2時間もしないうちに辺りが暗くなってしまうだろう。
そうなったら、来た道がわからなくなってしまうのでさっさと起き上がり、身体に付いた泥や埃を叩いてから帰ることにした。
「いこう、アンソニー。二人が待ってるよ」
そういうわたしと1匹は二人が待っているであろう、我が家に向けて思いっきり走り出していた。
(前世の記憶は朧気だけど、わたしはこの世界に転生してよかったと胸を張って言える自信がある。だって、家についたら笑顔で出迎えてくれる二人がいるんだから。それだけでも、わたしは幸せものだ。)
息絶え絶えになりながらも走り続け、汗だくになっても足を止めずに動かし続けた。
肺が痛くて、苦しいはずなのにこの痛みこそ生きているという実感が湧き、不思議と心地よさを感じさせられる。
無我夢中で走り続けたわたしとアンソニーは小さな家の前につき、呼吸を整えてから、玄関の扉を勢いよく開けた。
「ただいま!!ラルフ!!!!」
そこには男性とも女性とも思える中性的な顔立ちの銀髪の女性いて、わたしたちを出迎えてくれた。
彼女は【ラルフ】という名前のエルフで、よく男性と間違えられてしまうことを気にしてしまう、見た目とは裏腹に乙女チックな一面のある人物で、わたしのお父さんぽい立ち位置の人である。
「ん?ああ、おかえりグレイ、アンソニー…ってまたそんなに服汚して……少しは洗うこっちの身にも考えろよ…」
この家の洗濯当番は日によって、変わり、変わりするという。我が家の決まりがあり。この日は、彼女が洗濯当番の日だった。
(本当は、ラルフが選択当番だから遠慮なく汚してきたと言ったら、不貞腐れるので、ここは素直に謝っておこう。)
「へへへ…ゴメンなさい…」
ラルフはわたしの表情から何かを読み取ったのか、眉間にシワを寄せて何かを聞いたそうな表情を浮かべていた。
(はぁ………こいつ…全然反省してないな…確か子供の教育って、やっちゃいけないってことを教えるためにやるんだよな…ならこいつは悪いとわかっててやってるから、絶対、同じことを繰り返すぞ…どうしたもんかね…)
(うーん…なんかこのやり取りデジャヴを感じる)
「まあいい、それより、二人ともイヅナにただいまの挨拶をしてこい」
「はーーい!!」
陽気な返事をしてドタドタと足音を響かせながら、イヅナがいる、台所へと向かった。
「ふん♫ふん♫ふふふん♫」
イヅナはどうやら料理の真っ最中だったみたいで、私たちが帰って来たことに気がついてないから、挨拶ついでに抱きついてやることにした。
(これは決して甘えたいからとかじゃなくて、あくまでスキンシップだからね。)
「とりゃあ!!!」
飛びつくように抱きついたら、「ひゃあ!!!」という可愛らしい悲鳴が台所に響きわたるのと同時に金色に輝く髪が大きく揺れた。
恐る、恐る、振り返るイヅナに対して、わたしはとびっきりの笑顔で挨拶をおみまいしてやった。
「ただいま、イヅナ!!」
「もー!!グレイ、あなただったのね…ビックリしたわ、お帰りなさい」
余程、ビックリしたのか獣のような耳と尻尾をブンブンと振り回しながら、ほっと胸に手をそえている。
彼女の名前は【イヅナ】といい、遠く離れた島国の【妖狐】と呼ばれる民族なのだが、昔、大きな事故に巻き込まれたため、利き腕の右手が金属の義手になっている。
そんな暗い過去があるのにもかかわらず、とても明るくて、優しい、わたしのお母さんぽい立ち位置の人で、わたしの大好きな人。
「…………………」
『…………………???』
いつまでも抱きついて離れないわたしに対し不思議そうな表情を浮かべるが、構わず笑顔のまま抱きつきつづけた。
「えへへへへ………」
「クスッ………」
不意に笑いだしたわたしたちの声がは重なり合い、次第に大声で笑いだした。
「「あははははは…」」
これは毎日つづけている、二人だけのしょうもないやり取り、だけどわたしにとってはとても重大なこと。
いつからやり始めたのかわからないけど、こんな毎日が大好き!!帰ってきたらラルフがぶっきらぼうながらも出迎えてくれて。
今日のご飯はなにかなって考えながらイヅナに抱きついて、そしてイヅナがこうして笑顔を見せてくれる。この毎日がわたしにとってはかけがえのない宝物なんだ。
「ねえ?グレイ、聞いてよ、今日の朝までここに干し肉があったはずなのに無くなってるのよ???どうしてかしら???」
おたまを片手に掴みながら、不思議そうにこちらを見つめてくる。せっかくなので、私の大活躍を話してあげようかな。
「ああ…それなら、わたし犯人を知ってるよ。犯人の名前は…」
わたしと一緒に帰ってきた狼に対し睨みつけるような目線を向けると、アタフタとしながら逃げるようにこの場から去っていった。
「たく…本当にしょうがないんだから!!」
ドヤ顔で立ち尽くしていると、イヅナが頭を撫でてくれた。とても、優しくて、フワフワした気分になって。少しだけ感じていた怒りも完全に私の中で消え去った。
「元気があっていいじゃない、グレイ、ご飯まで時間があるから、アンソニーの面倒お願いね」
「うん、任せて!!」
わたしは、この場から立ち去った狼を追いかけていった。