天才島
大学時代にお世話になった教授が、僕の病院にカウンセリングに訪れた。教授は、メディアで頻繁に見かける有名人で、世の中が天才と称する脳科学者だった。
「お久しぶりです。こんな寂れた精神病院に、教授のような天才がいったい何のご用ですか?」
「病室で患者に何の用は無いだろう。君のカウンセリングを受けに来たのだよ。実は重度のノイローゼに陥っている。なかなか抜け出せない」
教授が陰鬱な面持ちで呟いた。
「思い当たる原因は?」
僕が示した椅子に腰を掛け、深呼吸の後、教授は話を始めた。
「今の世の中、どこもかしこも馬鹿ばかりだ。政治家は馬鹿。医学会も馬鹿。SNSも馬鹿。大人も子供も、馬鹿、馬鹿、馬鹿。何故みんな揃いも揃ってこうも頭が悪いのだろう。と、世間に絶望をしている」
「それがノイローゼの原因?」
「そうだ。この悩みを君は笑うか? ふん、所詮は君も馬鹿なのだ」
「……なるほど、これは重症ですね。そんな教授に打ってつけの治療法があるのでご紹介しましょう。ここから船で数十キロ沖に出たところに『天才島』と呼ばれる秘密の施設があります。そこでしばらく療養をするとよいでしょう」
「天才島?」
「はい。その島に入島できるのは選ばれし天才だけ。その島の者は、誰もが頭が良く、持って生まれた鋭い感性を活かして、合理的に生きている。もちろん天才脳科学者である教授は、問題なく入島可です」
「馬鹿は?」
「いません。島の漁師から旅館の女将にいたるまで、みんな天才です」
「そこ絶対行く!」
教授は大声でそう叫ぶと、僕から紹介状をふんだくり、船に乗って『天才島』へと旅立った。
数週間後、僕が論文を執筆していると、教授から電話があった。
「この島は最高だよ。本当に馬鹿がいない。いっそここに永住しようかと考えている。君もいつまでも馬鹿の島にいないで、私と一緒にここで住まないか。君だって、精神医学の分野では天才と名高い人物ではないか」
「考えておきます。でも僕には書きかけの論文があるのです。それはあらゆる天才が避けてきた重大なテーマを扱っています。少なくとも、それを学会に発表するまでは、ここにいるつもりです」
「興味深い。頼む。その論文のタイトルだけでも教えてくれ」
近々「天才島」に取材に行こうかな、なんてことを考えながら、僕は、受話器の向こうの教授に向かって、論文のタイトルを読み上げた。
『人のことを馬鹿と言うやつは、何故みんな馬鹿なのか』