高山の半隠者
金属の音色が広い部屋に木霊する。太く小柄な影が鎚を振るっている。
高山の張り出した一角に家を構え、苦労して石造りの炉を造り、こうして人里離れた場所で気ままに鎚を手にしているのは、初老のドワーフだった。
ドワーフはひたすら剣や鎧、盾を打っていた。来訪者と言えば、王宮の兵が名工の名に相応しい作を鉄と交換で購入しに来るぐらいだ。しかし、最近はこの高山の唯一の快適さを誇った静けさも、魔物の住処となったせいで、そいつらがギャーギャー鳴き声を上げてうるさかった。
ドワーフは鎚を止めた。
先程から炉の周囲を飛ぶ影がある。屋根で見えないが、その声の位置が今ではよく分かるほどドワーフはこの魔物どもと付き合って来ていた。
「また駆除するかの」
ドワーフは台座の前に来ると背の低い身体に提げられている胴鎧を取って身に着け、腰には重々しい斧を、肩には矢筒、手には長弓を持っていた。
戸を開けると、一気に山の冷えた空気がドワーフの身を震わせた。彼は扉を閉め弓に矢を番えて、上空をさすらう様に弓を向けて敵を探した。
耳障りな声と共に人間の女の姿をした鳥の魔物が姿を見せる。
ドワーフは矢を放った。
その魔物ハーピィーは身体を射貫かれ、地面に落ちた。腕の代わりに生えた羽を痙攣させ、血だまりの中で息絶えようとしている。
ドワーフは再び矢を番え、狙いを定めた。
ハーピィーが一匹でいることはない。こいつらなりに邪悪な声で連携を図っている。こいつらはワシの肉を食うために襲ってきていると、今までは思ったのだが、もしや、鎚の音で眠れず、それでワシを殺そうと狙っているのでは無いだろうか。などと、考え、慌ててかぶりを振る。そして叫んだ。
「先にこの山に住んでいたのはこのワシぞ! お前達に邪魔され、襲われる謂れはない!」
ハーピィー達の影が続々と前方に姿を見せた。
ドワーフは矢を撃ち、次々に魔物を射落とした。
だが、全て射落とす前に矢が尽きた。
ドワーフは弓を置き、斧を抜き取った。
ハーピィーらが急降下し脚のかぎ爪でドワーフを切り裂こうとする。
ドワーフは見た目に似合わずひょいひょい避けて斧の刃を敵の腹部に入れる。一匹のハーピィーが腰から分断される。濃い血が散り、二つの塊となったハーピィーは地に落ちた。
ハーピィー達の攻撃方は単純だ。脚のかぎ爪で襲うか、犬歯だらけの口で噛みつこうとするかだった。いずれも、地面にいるこちら側に合わせるため、反撃は比較的楽だった。だが、時には忘れていたように思い出し、風の魔術を使う。
今も一匹のハーピィーが羽ばたきを強くさせ、風の刃を飛ばしてきた。
ドワーフは駆けて避けた。魔術の刃はその音を追う様に穿ち、土煙を上げている。
新手がこの機とばかりに喰らい付いて来るが、ドワーフは斧を一薙ぎに叩き込んで絶命させる。もう十五は斃した。そろそろだろう。
上空に漂うハーピィーの背から矢が貫いたのはこの時だった。
ハーピィーは糸が切れたように地面に真っ逆さまに落ちて音を立て動かなくなった。
「ジオウル殿!」
それは城の若き使い番、ボルスであった。ボルスらは十名でこの山を登って来る。最初の頃はここで息を切らせていたが、最近はそうでもなくなった。
「うむ、良い弓の腕前だな」
「や、今のは我々ではありません。用心棒の技ですよ」
「用心棒?」
「ええ、ダークエルフの……あれ、いない」
ボルスらは周囲を見回し言った。
「まぁ、ええわい。空の邪魔者も消えたし取引と行こう」
ジオウルは工房へ一同を連れて行った。
「本当に大きな炉ですね」
石造りのそれを下から上、右から左と見てボルスが言った。
他の者達は、ジオウルが打った作品を手に取り、大体の値を決めていた。
「今回も良い品物をありがとうございました」
「うむ」
ジオウルは山と積まれた鉄を見て機嫌良くしていた。
「それで、ジオウル殿、こんなに良い場所をお持ちなのは分かりますが、王都へ来ませんか? 王陛下がそう望まれております」
ボルスが言うと、ジオウルは笑った。
「ワシはここを動かんよ。お前達の足腰を鍛えさせるためにもな」
ジオウルが笑うと、ボルスらは苦笑いしていた。
「それでは、また来ます」
「うむ、ではな。気を付けて帰れよ」
ジオウルは城の使い番達を見送り外に出た。
不意にジオウルは前方にある寝起きしている家の屋根の上に影があるのを見た。
「あれが、ダークエルフの用心棒か?」
「ええ、クリッシュ殿です」
ボルスが答えた。ダークエルフの影は地面に降り、ボルスらを待っていた。
だが、重々しい羽音がし、ジオウルは思わず叫んだ。
「全員、工房へ入れ!」
この重たい羽音の正体は極々稀に現れるここより遥か上を根城と構えたワイバーンであった。身の丈三メートル。空を飛び回り、尻尾の毒針で敵を襲う。相手にするにはタフ過ぎた。
「工房へ!」
ジオウルの言葉を思い出した様にボルスが言うと他の者達は慌てて品物を抱えて駆け込んで行った。
ジオウルは動かなかった。
ダークエルフの影が、空から見下ろす巨大な影に向けて弓弦を引いていたからだ。
ワイバーンの甲高い鳴き声にジオウルは思わず両耳を左右の手で塞いだ。だが、ダークエルフの射手はそんな竦んだ様子を見せず、ひたすら不動の姿勢で弓を引いていた。
痛烈な音が走った。
ダークエルフの矢がワイバーンの首を射貫いていた。
ワイバーンは長い首を巡らせ、それでもダークエルフに向かって尾の毒針をぶつけようとする。
それは当たらず、ダークエルフは反撃でほぼゼロ距離から矢を頭上に射た。
また鞭のような音が木霊する。
顎と鼻を矢は貫き、ワイバーンは声らしい声を出せずにいた。あの矢には抜けないように返しがついているのだろう。
そのままワイバーンは飛翔して逃げ出した。
これほど一方的にワイバーンを相手に出来るとは心強い。エルフとドワーフは仲が悪いとは聴くが、ジオウルはそうではなかった。
「やりおるの。見事だ」
ジオウルが近付きながら声を掛けると、ダークエルフはこちらを一瞥しただけであった。
背中なので男なのか女なのか分からない。長く赤い髪をし、細い身体つきをしているが、布鎧から露出している腕の筋肉だけはやはり見事に鍛えこまれていた。
「クリッシュ殿、さすがはやってくれましたね」
ボルスらが合流する。
「しかし、ジオウル殿、このように例えあなたでさえも手も足も出ない化け物が住んでいるのです。王都へ移りませんか? 世界の辺境はどこも魔物で溢れていて危険ですよ」
ボルスが親身に言ったが、ジオウルは応じた。
「都会や人の喧騒の中では良い作が浮かばぬのだよ。もしも、山を降りることがあれば、その時は故郷のドワーフ王国に帰るわい」
「それはまた随分遠くに」
ボルスが残念そうに呻いた。
そうして王宮の使い番達は帰って行った。
一方、ジオウルは燃えていた。あのクリッシュとかいうダークエルフに是非とも我が最高の弓を進呈したい。まずは素材探索に行こうとするか。弦にするには獣の毛や腱を幾重にも捩り合わせよう。それをワシが打った長弓に取り付けて――。
相手は長寿のダークエルフだ。こちらも悠々と細かに仕事ができるというもの。ジオウルの山暮らしは、もう百年は続きそうだ。