コネクション・ブロー(7)
今日はいい天気だなぁー。
山から吹き込むと風も涼しくて気持ちいい。
あっ、そうだ。
里に降りて田んぼの手伝いあったんだ。
急いで準備をしなくちゃ…
「お母さん、田んぼ行ってきます!」
「田んぼ?それらなお父さんにオニギリ持って行ってちょうだい!」
「はーい!どの辺り?」
お父さんへの食事運びはいつもの事だ。
別に億劫なわけじゃなくて、むしろお父さんの仕事姿が見られてちょっと嬉しい。
でも、お父さんはいい顔をしないのだけどね…
危ないから素人の来る所じゃないって、先日は追い出されちゃったわ。
例えオニギリでもこの暑さだと朝から持って行ったら痛んじゃうし、皆してるんだけどねぇー。
「もも、できたわよ。お願いね」
「はーい。行ってきます!」
私は急いで家を出ようとして思い直した。
そうだ、私の宝物。
お父さんが始めてくれたアレ!
部屋から持ってきたのはラジオだ。
トランジスタラジオ。
第二次世界大戦が終わり、放送法によって民間の電波が開放されるとテレビより一足先に庶民へと普及した。
当初は大型で家庭に据え置きされた物が主流だったが、このトランジスタラジオの開発によって個人の持ち運びが可能になった。
ももは流れる歌謡曲や天気とニュースを聞くのがもっぱらの日課だった。
家を飛び出し、人が歩くことで自然とできた一本道を下ると、グニャグニャと曲がる九十九折りの道を一気に駆け降りた。
やがてこの大自然に見合わないほどの轟音が響き渡るのを聞き、ワクワクした気持ちを抑えられずに足はいっそう早くなる。
黒煙を上げながら近づいてくるソレは、圧倒的なフォルムとパワーを持って生活を一変させた物。
シュヴォシュヴォ!シュヴォシュヴォ!!
蒸気機関車だ。
厳しい山の勾配を駆け上る為に、絶え間なく石炭と水を供給して内圧を上げている。
ももは蒸気機関車が通り過ぎると、舞い散る灰が気管に入らぬよう口を手拭いで隠してトンネルの方へと向かった。
そこにはスパイキハンマを持つ父がいて、私は大きく手を振りながら声をかけた。
「おとーさーん!おべんと!!」
「ももか。ありがとう、気をつけて帰るんだよ」
「はーい。あ、わたし田んぼ行くの。お父さんも気を付けてね!」
急ぎ小走りで田んぼの方へと向かうが、山林の陰りが無くなれば直射日光は激しく肌を焼き付ける。
『本日午後から急な…ザザッ……の変化に』
あっつい…
天気予報もニョキニョキと育つ白き巨塔(積乱雲)が墜ちてくると予想している。
早く終わらせて帰ろっと!
ー四時間後ー
山間の日照時間は、山の向きにもよるが平野部に比べて短い。
そして家に着いたのは、日が山に隠れ始めてヒグラシの鳴き声が周囲に木霊する頃だった。
「だだいまぁ…お母さん、お水あるー?」
シーンと静まり返った我が家。
お母さんは買い物にでも出かけているのだろうか?お父さんは夜の仕事が多いので、お母さんと二人の時なんて結構ある。
仕方なくいつものように家の外に出て裏手に回ると、目的の場所へとトコトコと小走りでむかう。
チョロチョロと水が落ちる音が清涼を呼び、私はこの音が嫌いではなかった。
石や竹を使って水路を作り、山から引いた水が流れ出しているのだ。
「そぉーい!うっはぁー!」
ビチビチと水が跳ねる音共に頭へキーンっと冷えた感覚が襲い来る。
そして一気に火照った顔が冷やされて心地よさを感じた。
んぐっ…んぐっ……
ぷはっ!
「我が家の水は最高だっ!」
ブルブルッっと頭を左右に振ると、肩まで伸びた髪は遠心力で水分を吹き飛ばす。
そして僅かに残った水分を大地に落としながら玄関へと戻った。
「…日が落ちる前に厠、行っとくか」
周囲に人が居ない生活をしていたので独り言が多くなってきた。
寂しさの裏返しはあるかもしれない。私は特に気にしないけど、少々内容に問題が……あるかな?
この間なんか厠の前で毒蛇がトグロを撒いて臨戦態勢だった。
自分の背徳感とマムシに噛まれて死ぬのを天秤にかけた時、自尊心なんてないと悟ったね。
鼻歌を歌いながら、股に布を巻いていたわ。
部屋に戻った私はラジオを点けて部屋でゴロゴロしていた。
『今日も国鉄はストライキを実施し、駅の外まで人が…』
どうにも都市部の方は大変そうだ。
こんな田舎では蒸気機関車が走っているが、なんでも電気で動く鉄道までできたとか。
時代の流れとは大したものだと子供ながらに感じていた。
しばらくするとお母さんが帰ってきたようだ。
草をかき分けて歩く音が聞こえてきたので、お腹の虫が鳴いていると文句を言おうとした。
「お母さん、お腹減ったよぉ。どこまで買い出しに行ってたの?」
……
返事がない。
手伝いが必要なのかと土間の方へと向かう。
だがそこに母の姿はなかった。
『明日の天気はぁザッザー……』
部屋に置いてきたラジオは急に静寂を求めてきた。
おかしい。
誰かが触って周波数ダイヤルを変え、ご丁寧に電源まで切ってくれた。
獣ではラジオを倒して遊んでも、こうはできない。
私はお勝手から包丁を一本引っ張り出すと、ゴロゴロしていた部屋の方へと向かう。
「お母さん帰ってたなら言ってよねぇ」
木板廊下の上を音もたてずに歩くことは不可能だ。
自然に…自然な会話をするんだ!
「言ってくれれば、私が下で荷物を持つのに……ねっ!」
部屋に入ると同時に包丁を前に構えた。
だがそこには、転がるラジオしかなかった。
ゴンッ!
鈍い音と共に、畳が急に近づきぶつかった。
いや、私が畳に倒れたんだ。
おかしいな、立てない…
ヌチャ…っと気持ち悪い音がして頭から手を放すと、赤い物が付いていた。
(立たない……と…)
根性で壁に手をついて立ち上がると、振返って文句を言う。
「…誰なの?もう、冗談はふぁうぁぁあ!」
ビタンッと再び畳に倒れ込むと景色が動き出す。
なに…なんなの?
足を引っ張られてる!
必至で壁に手をつくも、抗えずに手形の模様は線のように伸びきる。
私の眼には薄暗くなった室内で鼻息を荒くする男が目の前に居た。
武器として持ってきた包丁は、彼が持っている。
「ふぐぅ!がっ!!」
お腹痛い。
顔は止めて。
何度懇願してもやめてくれない。
何度も逃げようとして、壁に手をついたか分からない。
そのたびに男に引きずられては戻される。
風が直接股に触れる感覚を覚え、私の貞操が危険な事に気が付いたけど…
何も出来る事はなかった。
「もうやめて…誰にも言わないから……」
「……お前はただ、何もしなくて良い」
不快だった。
何もかもが不快だった。
私は手放す意識との狭間、揺れる視界の中で自分の手形だらけとなった土壁を見て思った。
気持ち、わるっ…
気が付くと高く伸びる草に囲まれていた。
だがもう体は動かない。
「いい子にしてたんだけどなぁ…ははっ」
「まだ息があったか」
!?
あの男、まだ居た!
「お前はもう死ぬ。俺と出会った悪運だ」
私は動く瞳だけで男を目いっぱい睨みつけた。
ふざけるな。
私の、これからの人生を…
学校…部活……稲刈り、手伝い、就職。
出会い、結婚!
子供も欲しかった!!
私は私だけの物であって、誰かに踏みにじられて良い生ではなかった!
それを…悪運なんて一言で……
「追いやるな!!!!」
「なにっ!!」
自らが凌辱の限りを尽くした相手に一歩引きさがると、後ろ足で何かに躓きそうになって堪えた。
「私はお前を殺してやる。この命尽きても、殺してやる!」
「そう言って誰も俺を殺せていない!妊娠をビビってた奴もいたぜ」
なんて…
私が初めてじゃないのか。
最低な人間だ。
クズだ。
私にできるのは顔から上が動くだけ。
でも私の耳には届いている。
ガァァァァァー………
「こいつは戦利品で貰っていくぞ」
そう言ってラジオを振り回し、電源を入れると軽快な音楽が流れだした。
「あんたのせいで耳が遠いから、音上げて」
「いいぜ…こんなに威勢がいい奴は初めてだ」
男が音量を上げて満足そうに私を観察している。
だから言ってやったよ。
「まだ聞こえない。もっと」
男は更に音量を引き上げ、私の顔を見ながら愉悦に浸っていた。
最後の望みを聞くのも悪くないと思っているのだろう。
「あんたを地獄に突き落とす!!」
「やってみろ!俺の魂は強えぇぞ!!」
お父さんのお仕事が増えちゃう。
ごめんなさい。
ガァァァァァァァーーーー……
来た。
私の最後の希望。
シュヴォシュヴォ!シュヴォシュヴォ!!
ヴォォォォォ!!キィィィィイイイイイイイイ!!
蒸気機関車はその圧倒的パワーで男を吹き飛ばし、身体を二つに裂いた。
私の死という魅力で…男の視界を固定した。
耳元のラジオが…聴力を奪う。
「私の……勝ちだ!」
ももかの意識は、永遠に閉ざされた。