02話 炎の魔神将の得物のお話①
【当日】
「ふふふ。よくぞここまで来たね、アルフレド」
騎士アルフレドは持っている愛剣に今一度力を込めて、玉座に座る声の主を見据える。
『魔神将』エールフェイル・アルベラゼ。
魔王国軍の最高戦力たる『十二魔神将』が一翼。
魔王国と皇国の間に建つ最前線に建つ重要拠点である「炎の守護の塔」の主だ。
皇国軍内でも相当の知名度を誇るのは、単純明快にその実力故である。また、敵将ながら、その可憐なる容姿が評判を呼んでいる面も否めない。自軍のそんな状況を否定できないこと自体が忸怩たる思いではあるが。
魔人族の特徴である、体の一部に浮かび上がる紋様こそあれど、それ以外は華奢な人族にしか見えない。
燃えるような緋色の長髪を後ろで結い、白磁の如き白き肌。一見だけではそれが魔王国側の最高峰にはどうしても見えないが、対峙した時の、その眼差し、そして佇まいは歴戦の勇将を思わせる。
アルフレド自身もこれまで何度も手合わせをしてきているが、油断ができるような相手ではないことは、重々承知している。
「これで貴方と対峙するのは何度目になるかな?」
「……急に世間話とは随分と余裕を見せるようになったな」
相手が小細工を弄するようなタイプではないことは、これまでの闘いでも十分に理解していることもあり、アルフレドも言葉を返す。
「ふふふ、そうだね。今日の私はこれまでとは違って多少は余裕があるかもしれないね」
「……なんだと?」
「ふふふ」
意味ありげに怪しく微笑み、エールフェイルは自身の愛剣を鞘ごと手に握る。
抜き放てば紅く輝く刀身は、圧倒的な存在感を放つ、【業魔剣】イグニ。炎の精霊の力を宿していると言われているその剣は、これまでアルフレドも散々苦しめられてきた。エールフェイル自身の膨大な魔力も手伝って、その存在は脅威でしかない。
しかし。
「な!」
エールフェイルは愛剣を置く。
「……貴様、何のつもりだ? 徒手空拳で私と闘うつもりか?」
「ふふふ、そう焦らなくても大丈夫。半分正解で、半分は不正解」
「なに?」
「イグニに頼らないのはその通り。だけど徒手空拳で戦うつもりはないよ」
そう言うと、エールフェイルは徐に背中に手を伸ばす。
腰に差していたものとは別の鞘から、ゆっくりと剣を抜き放つ。
「……な、なんだ、その剣は」
魔力の権化。
エールフェイルの剣を見て、アルフレドの脳裏に浮かんだのはそんな表現だ。
漆黒の刀身は天衣無縫もさながらの造形美でありながら、所々で禍々しくどす黒い怪しい光を放っている。
更に、魔力が放たれて暴走しているためなのか、雷が剣に纏わりつきながら這いまわる。
正に、圧倒的な力の具現。
そのような威容を誇る剣を構えつつ、エールフェイルはアルフレドに向き直る。
「この日のために準備をしてきた新しい相棒だよ。凄まじい見た目通り、使いこなすには随分と骨が折れるけどね」
自嘲気味に話すエールフェイル。
だが、それは、その力を完全に掌握したものの顔つきだ。とてもではないが、油断も、慢心もできたものではない。
「ふん……」
これまで互角に戦ってきた好敵手が見せる新しい力。
皇国のためには間違いなく歓迎すべき事態ではないが、アルフレドの口の端にはかすかに笑みが浮かんでいた。
【少し前】
荘厳にして威容。その上で豪奢にして絢爛。
暗黒の権化たる威圧感を放つ、魔王城の最上階。
正しく悪の権化たるその存在を内包する、皇国にとっての長年の仇敵の居城。
魔王城の魔王様の執務室。
呼び出しをされた僕は、天幕の降ろされた玉座の前で跪き、魔王様の言葉を待っている。
「…………」
……何かやらかしたのだろうか?
しょっちゅう来るところではないので、気づかないうちにもしかしたら自分の圧倒的な失態があり、それによって呼び出しを喰らってしまったのかもしれないという危機感もあるが、可能性としては低いなと思い至ってもいるため、場所に対する緊張感はあっても、状況に対しての恐怖感はそれほどない。
隣で同じように跪いて魔王様の言葉を待っている存在をちらりと横目で確認する。
「ん、なに?」
僕の視線に気づいたのか、エールフェイルは視線をこちらには送らず、跪いた姿勢のまま小声で声だけかけてくる。
「……いや。特に」
「ふーん。なんか、こんな状況なのに余裕だね」
本人はそんなことを言っているが、その存在自体が、自分が失態をしていないであろうという確信にも似た思いの源泉だ。
『炎の魔神将』エールフェイル・アルベラゼ。
魔王軍入社三年目にして、前任者の引退に伴い魔神将となった、当代随一の実力者。学生時代から天才の誉れ高く、その実力と並んで、朗らかにして分け隔てのない振る舞いにより、あっという間に魔神将の中でも随一の人気者となった魔王軍の中心的存在である。
肩書が凄まじいため、自分と比較すれば天の上の存在みたいな感じになってしまったが、僕自身も入社三年目で、要するにエールフェイルとは同期ではある。しかし、こちらは魔神将補佐官で、エールフェイルは魔神将。
つまりは直属の上司。
同期が上司なんていう特殊な状況なので、こちらとしては一方的に劣等感を抱いてはいるが、エールフェイル自体の人柄もあり、未だ公の場を除けば軽口を叩ける間柄ではある。
そんな魔王軍筆頭と言ってもそれほど差し支えないエリート様であるエールフェイルも、一緒に呼び出しをされている。
こいつがそうそう変な失態をするわけもないので、僕は心の平穏を保っているのだ。
状況を考えると、恐らく単に魔神将業務の一環として呼ばれているのだろう。
それほど緊張もなくそのまましばらく待っていると、天幕の脇に控える魔王の副官から言葉がかかった。
「静粛に。魔王陛下の御前である」
その言葉に、姿勢を正す。
凛と響くその声は、副官であっても魔神将に規律を促すほどの圧倒的な存在感。
魔王様自体は、先の勇者との直接対決により重傷を負っていると伝えられている。勇者もその後安否不明ということで、相当の戦力を削いでいるのだから、さすがとしか言えないのだが、しかし、その姿を表に出すことが士気に影響を及ぼすことから、天幕にて姿を見せず、最近は声だけでやり取りを行っている。お労しい。
副官が再度口を開く。
「魔神将アルベラゼ」
「は」
「魔神将補佐官ハーグリブス」
「は」
「大儀である。陛下より言葉を賜る。しかと拝聴せよ」
『は』
二人で了承の返事をすると、副官が下がり控える。
すると、それを合図としたかのように、天幕の中から声が響いた。
「エールフェイルよ」
低く低く、何より重く。
魔王軍の正真正銘の最高戦力の声は、その能力と比例するように、圧倒的な威圧感を含む。
場の緊張感が一気に高まるのを肌で感じる。
「は」
「皇国騎士アルフレド討伐の命、いまだ果たせぬ理由を述べよ」
「……は。返す言葉もございませぬ」
「理由を聞いている」
追及される言葉に、さすがのエールフェイルも緊張が漲る。
顔が強張っているのが横目で見ていてもよく分かる。
「……彼我の戦力差はそれなりにございます。すべて私の力不足が原因かと」
絞り出すように言っているが、実際にはあのアルフレドと互角に闘えるのは魔王軍広しと言えども、数える程度しかいない。正直、相手をできているだけで十分過ぎるほどの戦果なのだ。正に現皇国軍では無双とも言える状況の一人に対して、こちらの人的資源も一人。被害の拡大防止に相当貢献している。倒せというのも、土台無理な話でも正直あるのだ。
されど命を果たしていないと言われればそれは確かに間違いがない。
咎められるかと思っていたが、意外なことに魔王様はそのまま話題を変えた。
「いや、我は違うと睨んでおる」
「……? と、申されますと?」
エールフェイル自身にも心当たりがないのだろう。不思議そうに問い返す。
エールフェイルは皇国軍の最高戦力に対して、よくやっているという評価が一般的である。そんな中、命令とはいえ、そこまで厳しい言葉をかけることもないのでは、と思うところもあったが、この後どう流れているかよく分からない流れである。
「武器の差だ」
「武器……でございますか?」
「そうだ」
エールフェイルの顔には困惑。
エールフェイルが持っている【業魔剣】イグニは、炎の精霊の力を宿した、魔王国に二つとない名剣である。魔王国の分類上では最上大業物であり、エールフェイル自身も相当誇りに思っているであろうその魔剣が原因であると言われれば、その顔になるのも無理はない。
「イグニに何か問題点が?」
「そうだ。イグニ自身の性能には問題ない。紅い刀身や瀟洒な拵えなどはなるほど確かに美しく洗練されたものではある。しかしながら、洗練されたものではあっても、魔神将が扱う武器としてはいささか……」
「いささか……?」
「禍々しさが足りぬ」
「ま、禍々しさ、でございますか?」
「左様。凄まじい力があるように見えぬ。敵を圧倒し、呑み込むような迫力に欠ける。そうは思わぬか?」
「迫力……」
エールフェイルが少しばかり落ち込む表情を見せる。思ってもみないところから浴びせられる、自分の力不足。
これまで天才と持て囃されても慢心には陥らなかったその強い芯。それでも、君主からの指摘は心に突き刺さったらしい。
こんな指摘がされるということは、エールフェイルの力不足の指摘に違いないだろう。何か特別な訓練――例えば魔王様直々の指導――などで、圧倒的な力を身につけよ、という勅命が出されるのだろうか?
「……今の私では魔王様のお言葉のすべてを理解はできません。しかし、今後も精進を続けていく所存にございます」
「よく言った。しかしながら我も手をこまねいて待っているだけではない。すでに今後の指針は決めている」
魔王の言葉には自信が漲る。
この後にも、圧倒的な力の伝授なのか、魔法の手ほどきなのか。内容は分からずとも、その圧倒的な力を背景とした言葉の安心感と、同じくらいの恐怖感。それは今後の訓練の苛烈さを思わせるが故。
「いったいどのような……」
「くくく。我の対策、すなわちそれは……」
エールフェイルにも緊張が走っているのが横眼で見えた。
今後自分がどんな厳しい指導を受けるのか、そういったことに対する不安感と同時に、自分が強くなれるかもしれないという、希望にも満ちている高揚感。そんな二つが同居する表情で、魔王様の言葉を待つ。
「デザイナーに外注をして、エールフェイルが使う魔剣のデザイン案をもらったので、今日はその中からどれにしようか選んでもらおうと思う」
「…………ん?」
「三つもあるぞ」
あ、エールフェイルが返す言葉に困ってる。