1、不思議な男の子。
「ぷはぁ! やっと出られたぁ!」
「(え……?)」
結い上げている緑の髪に、紫色の瞳の男の子。
てっきり、この地に生息する生物が出てくるのかと思ったら、草むらから出てきたのは幼い男の子で、それも迷子になって草むらから出られなかったのか、草むらから出られて嬉しそうにはしゃいでいる男の子をみて死を覚悟し強ばった体は、空気が抜けたように解れた。
力を入れ過ぎたせいか体が少し怠いけど、この地に生息する生物じゃないと分かり、死の恐怖から解放されてちゃんと頭と体が自分の思い通りに動くようになり、それがちょっと嬉しかった。だが、直ぐにその嬉しさは焦りへと変わった。
ここは未開拓地”エリアール”だ。この地に生息する全ての生物は強さが桁違いで、騎士達が何人かで獲物を狩ろうとしても、小動物1匹すら仕留められない程。
それ程この地に生息する生物は強い。
騎士達でさえ何人かで狩ろうとしても無理なのに、こんなに幼く非力な男の子がこんな所にいたら、直ぐに狩られてしまう。
それ程”エリアール”は危険だと言うのに、男の子は怖がるどころか気にしてさえいない。きっと親がまだ、ここは危険な場所だと教えていないんだろう。
「ーーー!!〜〜〜!!」
口枷を付けられているせいで喋れず、逃げて! と、どんなに叫んでも、うー! うぅー! と、呻く事しか出来ず、自分が情けなく思えた。そんな私の気持ちを知らない男の子は、水晶のような草を1、2本取って袋に入れ、空気を抜いてから背負っているリュックサックに入れ、満足そうにした。それから呻く私に気づいて、近付いてきた。
近付いてきた男の子は、必死にうー! うー! と呻く私に不思議そうに首を傾げたが、直ぐに口枷を外してくれた。
「お姉さん、どうしたの?」
「は、早く、逃げて…!」
口枷を外してもらって直ぐに、男の子の声に被せてしまいながら私は、逃げて、と叫ぶように言ってしまった。男の子は、ポカン…と呆気に取られているが、私も男の子に対して呆気に取られていた。
男の子が呆気に取られるのは分かる。だって、急に逃げて何て言われたら誰だって呆気に取られる。しかも声を被せられながら。
私が何に呆気に取られたかと言うと、男の子の話し方だった。
男の子は外見から見ても9、10歳ぐらいなのに、話し方が落ち着いていて、表情も幼い男の子がするような表情じゃない。外見は幼くても中身が大人びていて、驚きのあまり呆気に取られた。草むらから出てきた時の方が子供らしく、年相応だった。
目の前にいる男の子は直ぐに我に返ったようで、さっきの言葉を意味を理解出来ないのか、困ったように笑った。
「ごめんね、お姉さん。どういう事か教えてもらってもいい?」
男の子の困ったような声に私も我に返り、辿々しくなりながらもその意味を男の子に教えた。すると男の子は、分かったよ、と言い笑ったので安心したが、男の子は何時まで経っても私の目の前から動こうとしない。それに不思議に思っていると、男の子は私の手や足に付いている枷を指差した。
「お姉さんは何で、枷を付けられているの?」
「え、あ…っ!」
男の子に言われたその時、自分の今の状態を思い出した。
私は今、手や足に枷が付けられていて身動きが取れない。もし今ここで、ここに生息している生き物がやって来ても私は逃げられず、ここに生息している生き物に狩られる。
そんな恐怖を思い出し、体が震えるのが分かった。さっきまでは男の子がいたから安心して、恐怖を忘れられていた事に気づく。
目の前にいる男の子はそんな私をじぃ、っと見つめ続け、暫くしてから口を開いた。
「お姉さんは、枷を付けられるような事をしたの?」
真偽を問うような声色に、私は上手く声が出せなくなったが、やっていない! と言うように、ぶんぶんっ、と頭を横に振った。そんな私を見た男の子は、表情を変えずに腰にぶら下げていたポーチの中からナイフを取り出した。
「っ……!」
「お姉さん、違う所に刺さっちゃうかもしれないから、動かないでね。」
あぁ、この子も信じてくれないんだな……。会ってすぐなのに信じてって言う方がおかしいけど……。
男の子は、そのナイフを金属のようなもので2、3回研ぎ、私へ向けて振り上げた。それに反射的に目を固く閉じ、これから来るであろうはずの痛みに身を固くしたが、何時まで経っても痛みは訪れず、変わりに、バギン! という何かが壊れる音と共に、手と足が軽くなった。
驚いて目を開けると、手と足に嵌められていた枷が綺麗に半分に割れている。だと言うのに、私の手足には切られた傷は一切無い。
ごちゃ混ぜになった色んな感情と驚きで言おうとしてる事も言えず、何も言えないまま男の子を見上げると、男の子は優しそうに微笑み、座り込んだまま動かない私の頭を優しく撫でた。
「お姉さんは、枷を付けられるような事、していないでしょう?」
そう優しく言われ、ぷつん、と何かが切れ、今まで我慢していた涙が溢れ出して来た。優しくしてくれたからか、信じてくれたからか、その両方か。
気が付いていなかったけど、思っていたよりも私はあの時の出来事が怖かったらしい。
どんなに違うと言っても信じてくれない事や、私に存在する価値は無い、と言われたようなあの時や扱われた時が、私の全てを否定されたあの時が。
声を抑えながら泣きじゃくる私に、男の子は頭を優しく撫でてくれたり、背中をとんとん、と優しく叩いたり、優しく撫でたりしながら、男の子は私に優しく話しかけながら抱き締めてくれて、さらに泣いてしまった。
暫くして、ようやく涙が止まって来た頃、私は男の子から身を離した。けど、男の子は頭を撫でる事を止めない。泣きじゃくった事や正気に戻った事もあり、恥ずかしくて頭を撫でる男の子の手をどかそうとすると、男の子が俯く私の顔を覗き込んで来た。
暫くじぃー、って見て、私が泣いていない事が分かると、頭を撫でていた手を退かした。その際に、私を微笑ましそうに見てた事は見なかった事にする。そして私の顔が赤いのも見なかった事にしてください。
日が完全に落ちたらここは危ないから、男の子と共に”エリアール”を離れて”エリアール”へ来る時に通って来た森へと戻り、森の開けた場所に腰を落ち着かせた。
日が落ちる前に、男の子が持って来てくれた枝や落ち葉で焚き火を作ろうと準備する。
「ねぇ、お姉さん。お姉さんが嫌じゃなかったらでいいんだけどね、何で枷を付けられていたのかを、聞かせてほしいな。」
焚き火の火をつけようとしていた私に、男の子は困ったような顔をし、心配そうに言った。それに私は動きをぴたりと止め、何を言っていいのか分からないまま、男の子を見た。もし、第一王子様が私が生きてる事を知って私を探した時に、私が男の子に枷を付けられた理由を言い男の子に逃がしてもらったと知ったら、私の情報を隠したとして、男の子が罰を受けてしまう。
男の子に被害が行くのだけは避けたいけど、男の子に嘘をつくのも嫌だ。
俯いてどうしようかと迷っていると、男の子は両手を私の頬に当て、「お姉さん、顔、上げて。」と優しく言い、促すように上へ私を向かせて、こちらを見下ろしていた男の子と見つめ合った。
「お姉さんは、どうしたいの?」
心が読めるんじゃないかと思うほど的確に、私の心の内を聞いてきた。そんなの、もうとっくに決まっている。何故か私は、この男の子に自分の話しを全て聞いて欲しいと思っている。だから私がするべき事は一つしか無い。
「ほ、本当に…、本当にいいんですか…? そ、それを聞いたせいで貴方が酷い目にあっちゃうかも、しれないんですよ……?」
「うん、いいよ。僕が、お姉さんの嫌な事を無理矢理聞き出すんだから、それで僕にどんな事があっても、それは聞いた自分の責任だよ。」
そう言って優しく微笑まれ、私は小さな声で話し始めた。
枷を嵌められたのは、同じ婚約者候補の一人である女性が、私がその女性を虐めていると王子に言い、それを信じ、怒った王子に追放され枷を付けられてしまった事。私はその女性を虐めていない事。それを信じたのは、私が平民だったからだと言う事。その他にも沢山、男の子に話した。
全てを話し終えた後、男の子は私の隣に座り「今まで良く頑張ったね。」と背中を撫で、私の代わりに焚き火の火をつけに行った。それにまた泣きそうになったが何とか我慢し、焚き火の火を付けようとしている男の子を手伝う為、男の子の元へ歩いた。
日が完全に落ちて、焚き火の周り以外は真っ暗闇になっている今。私は男の子が張ってくれたテントの中で休んでいて、男の子はテントの入口の横で見張りをしてくれていた。
最初は、私が見張りをして、男の子に休んでもらうつもりだったけど、男の子に拒否された。
何でも、男の子は冒険者みたいで、「子供とはいえ、僕はお姉さんより体力があるから、僕がやった方がいい」と男の子に言われた。その後、男の子を休ませる為に色々と言ったが全て論破され、しまいには男の子はテントを張ってしまい、何を言っても論破されて終わるので、有難く使わせてもらう事にした。
……確かに私は体力ないですけど…っ!
明日になったら男の子とお別れしないといけないという事に、悲しいような寂しいような気持ちになりながら、テントで横になってぼーっとしていると、テントの入口の横で見張りをしていた男の子が「お姉さん、起きてる?」小さく声をかけてきた。
それを聞いて私は直ぐに起き上がり、テントの入口から顔を出すと、すぐ横に男の子が座り込んで辺りを見回していた。
私が顔を出した事に気づくと男の子は、どうしたんだろう? という顔の私を見て微笑んだ。
「ど、どうしたんですか……?」
「本当はね、明日言おうと思っていたんだけど。 今言った方がいいかな、って思って。」
「……?」
何だろう? と不思議そうに首を傾げる私に、前を向いたまま男の子は言った。
「お姉さん、僕と一緒に旅をしよう。」
「…? ……っ!」
男の子の言ったその意味が最初は分からなかったけど、直ぐにその意味を理解した。私を連れていってくれるという事に嬉しくなったが、私が男の子と共に行けば男の子を危険に晒す事になる。それは嫌で断ろうとすると、「お姉さん、最後まで、聞いて。」と口を押さえられた。
「お姉さん、僕は、お姉さんと一緒に旅をしたい。僕も一応冒険者だから、それなりにお金は有るし、お姉さんを守れるぐらい、強いよ?」
それでも男の子を危険に晒すぐらいなら、死の恐怖に怯えるようになるとしても一人で逃げた方がいい、と断ろうとすると、男の子に押し倒された。
「あのね、お姉さん。お姉さんには命をかける程の価値があると思ってる。僕が自分の命をかけてしまう程、お姉さんは魅力的なんだよ。」
男の子は、私の欲しいと願っていた言葉を言ってくれて、私と一緒にいたいと言ってくれた。私自身を見て、私自身と一緒にいたいと願ってくれた。肩書きを持たないただのアベリアを、男の子は、欲しいと、言ってくれた。
それが嬉しくて、私が他の誰かに必要とされてるということが分かり、今まで不安に思っていた事が全て、嬉しいという感情に塗り潰され、大丈夫、何とかなるよ、と思えるようになってしまった。
こうなってしまったら私はもう男の子を…彼を、拒む事は出来ないし、そうする術も知らない。出来ることが一つだけになってしまった。
「お姉さん、僕と一緒においで?」
いつの間にか私は起き上がっていて、目の前に立って私に手を差し伸べる男の子の手を、私は取った。
「お姉さん、起こしちゃったでしょう? ごめんね。でも、早く言っておかないと、お姉さん、気がついたらいなくなっていそうだったから、早めに言っちゃった。」
申し訳なさそうに謝る男の子に、私は首を横に振った。
実際そうしようと思っていたから何も言えない。
「そういえば、僕達。自己紹介がまだだったね。これから一緒に旅をするのに、お互いの名前が分からないのは変だもんね。」
そういえばそうだ。私は彼の名前を知らないから彼の事を、男の子、と呼んでる。
流石に、それで呼ぶのは可笑しいと思う。
「じゃあ、僕からするね。僕の名前は”ミリアド・フェニークス”。一応A級冒険者で、職業は魔法剣士だよ。」
色々言いたい事が沢山あるけれど、今はとりあえずスルーして、自分の自己紹介をする。と言っても男の子…、ミリアドさんが知っている事が、ほとんどだと思うけれど。
「わ、私は”アベリア”です…! えっと…、じゅ、15歳の平民です…!」
今になって、私は個性が無いんだなと自覚した。
だって、名前と歳しか言う事が無いから、凄く寂しい。
今までは、強い王族の子を生むだけが私の存在価値だったから
、大した特徴がないのは当たり前かもしれないけれど。
「う〜ん、やっぱりお姉さん、自己紹介の時に言う事が少ないね。でもこれから一緒に、自分らしさを増やして行こうね。」
「は、はい…!」
「じゃあ、お休みなさい、お姉さん。いい夢を。」
「は、はい…! おやすみなさい…!」
ミリアドさんは、このまま見張りを続けるらしく、私はミリアドさんに挨拶をしてからテントの中へ入り、横になった。
だが、色々嬉しいことがあったせいで、胸がドキドキして、寝付けそうになかった。