case01 / sideA ある喫茶店の一幕
タイトルを見て、『あっちの』シリーズだと思われた方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。
全く関係の無いお話です。
あるお話を読んでいて、ムカッとしたので書いてみました。
設定も考えていない一発書きですので、色々と不備があるかとは思いますが御了承下さい。
※2021/7/9 ジャンルを『恋愛(現実世界)』⇒『ヒューマンドラマ』に変更しました。
ドアベルの軽快な音と共に店の扉をくぐる。
店内を見渡すと、店の中央付近の四人掛けテーブルに、入り口を向いて座る男性の姿が見える。
案内の店員さんにお願いして、彼と背中合わせになる席へ座らせてもらう。
午後も少し進んだこの時間、店内には彼の他に、数組の客の姿が有った。
四人掛けのテーブルには、現在彼一人が座っている。
当然だ、待ち合わせにはまだ一時間近く早い。相手が一時間以上も早く来るようなせっかちで無くて良かったと軽く安堵する。
それからは携帯電話 ――若い人達は『スマホ』と称するようだが、私などの年代の人間は、どうしても未だに『携帯』と言ってしまう ―― を操作して、今後の打ち合わせを軽く行う。
あとは鞄から文庫本を取り出し、珈琲を啜りながら時間を潰す事にする。
ややあって入り口のカウベルが音を立てると、私の背後に座る彼の対面に誰かが座る気配が有った。
―― 二人……か ――
一人小さく溜息を吐く。
私は自分の胸元を確認すると、ゆっくりと立ち上がるのだった。
§
「早速だけど、アンタこの子の ――」
「失礼します」
席に着くなり喋り始めようとする女性の声を遮り声をかけ軽く会釈する。
気勢をそがれて、怪訝な顔で私を見る女性を一旦無視して、私は彼の隣へと腰を掛ける。
「アンタ誰よ」
先程の女性が、私を睨みつけながら問うてくる。
隣の女性は、私の顔を見た途端顔色を失っていた。
「貴女こそ何方様ですか? 本日彼、『白川 悟』氏は、そこにいらっしゃる『白川 瑞穂』さん、旧姓『畑中 瑞穂』さんと、他人を交えず、二人きりでなら話し合いに応じると申し伝えていた筈ですが?」
「アタシはこの子の親友よ。他人じゃないわ」
私の問いかけに、女性が何故か誇らしげに言葉を返す。
―― あぁ、やはりこの手の類が付いてくるか ――
抱いていた懸念が現実のものとなり、嬉しくない予想的中に心の中で溜息を吐く。
「ですから、、二人きりで話し合う事を条件にしているこの場に……失礼ですが、お名前を伺っても?」
「『川辺 奏』よ」
「その川辺さんは、なぜこの場にいらっしゃるのですか?」
「さっきも言ったでしょう。私は瑞穂の親友よ。他人じゃないわ。だから、アンタこそ誰よ」
そう問われ、私は懐から名刺入れを取り出し一枚抜き取ると、畑中さんの正面、テーブルの上に置く。
「………」
呆然としていた畑中が名刺を手に取るよりも早く、川辺と名乗った女が、その名刺をひったくる。
「弁護士ってどういう事よ! アンタ夫婦の話に他人を入れようっていうの?」
川辺奏が白川氏を怒鳴りつける。やはり感情だけで行動する類の人間の様だ。
「落ち着いて頂けますか? 他のお客様にも迷惑ですよ」
私の言葉に、周りを見渡した川辺奏が押し黙る。が、その目は私を睨みつけたままだ。
「この度、こちらの白川悟氏に正式に依頼を受けまして、任意代理人となりました弁護士の『柳川』と申します」
自己紹介しながら、ラペルを捲り、フラワーホールの裏側に付けた弁護士記章を示す。
「事務所と登録番号はそちらの名刺に記載していますので、疑わしければお問い合わせいただいて結構ですよ」
そう言って一呼吸置き、畑中へ向き直る。
「繰り返しますが、白河氏の依頼で彼の任意代理人となった私は、ただの友人である川辺さんより、余程この場に居る資格があると思いますが如何ですか?」
「ただの友人じゃないわ、親友よ! 私は瑞穂と一心同体と言っても良い間柄なんだから!」
私の言葉に、瞬間湯沸かし器がまた音を立てる。
「畑中さん。繰り返しますが、白川氏は二人で話し合う事を条件に今日の場を設ける事を承認して居ましたが、何故川辺さんを同席させているのですか?」
「白川です……」
「はい?」
「畑中じゃありません、私は白川瑞穂です」
私の問いに答える事無く自己主張をする畑中瑞穂。
「それは失礼しました。まだ白川さんでしたね。それで、私の質問に答えて頂けませんか? 何故貴女は、『二人で話がしたい』と言っておきながら、こちらの川辺さんを同席させているのですか?」
「それは……」
そう言って、下を向いて黙り込んでしまう畑中。
暫く待ってみたが、顔を上げず黙り込んだままの彼女を見て溜息を一つ吐くと、白川さんへ話しかける。
「どうやら時間の無駄の様ですね。はた――紛らわしいのでお名前で呼ばせて頂きますが、瑞穂さんもこれ以上会話をするつもりはないようですし」
そう白川氏に声をかけて頷くと、二人揃って椅子から腰を上げる。
「待って!」
席を立とうとした悟の手を畑中が掴む。
「お願いです……。話を、させて下さい……」
顔は伏せたままだが、その手は強く握られ、悟の手を離さない。
「話と言っても、俺はお前が、『誠意を見せる』と言うから、『二人でなら』と言う条件のもとにこの場を設けた。にも拘らず、お前は俺との約束を反故にしてそこの川辺さんを連れて来た。それだけで『誠意がある』とは言えないと思わないか? そちらに話をする気が無いと、こちらが判断するに十分な根拠だと思わないか? 別にやむを得ない事情なんてものもないのだろう?」
そう言って悟が畑中の手を外そうとするが、畑中が握ったその手は外れない。
「好い加減離せ、手が痛い」
「ちょっとアンタ! 自分の奥さんが話をしたいって言ってるのにそんな態度取るわけ? 旦那だったら話位聞いてあげなさいよ!」
安全装置のついていないガスコンロが、またぞろ声を張り上げる。
「大体、アンタだって他人を連れて来て、瑞穂の事をどうこう言えるわけ?」
「一哉は俺が全権を委任した代理人で、今回の件について言えば俺と同等の『当人』という扱いだ。それに、瑞穂が一人で来たなら出て来てもらうつもりは無かった。今日の話をした時に、アンタみたいのが付いてくるかもしれないからと念の為に待機してもらっていたんだ。まぁ、実際アンタがくっついてきたが」
「なっ……」
悟の発言に、言葉を失うお猿さん。主に顔色的な意味で。
―― まぁ、顔色だけじゃないんだけどな ――
「お願いします、お話をさせて下さい……」
「何度も言わせるな」
「奏には口出しさせません。ですから……」
「瑞穂?」
「お願いだから黙って」
「瑞穂? 私は瑞穂の為を思って……」
私達をそっちのけで口論を始めそうな二人に、また溜息が出そうになる。
「とりあえず、お二人の話なら我々の居ない所でやってもらえませんか?」
「アンタなんなのよさっきから!」
「奏……黙らないのなら帰って。今日だって無理矢理付いて来て、勝手なことしないで。元はと言えば貴女が……」
「わ、わかったわよ!」
そう言うと、壊れたラジオは椅子に座り直し、不貞腐れたようにそっぽを向く。
―― まだ悟が話し合いに応じると言った訳ではないんだがな ――
悟と顔を見合わせ、溜息を一つ吐き、椅子に座り直す。
漸く畑中の手が離されたが、悟の手首には、その跡がしっかりと残っていた。
―― 診断書取れば傷害も上乗せできるかな ――
そんな事を考えていると、座ったが良いが黙り込んだままの畑中に業を煮やしたのか、悟が口を開く。
「で、話とは? 言っておくが、くだらない用件であれば帰らせてもらうからな」
「なっ!」
「奏!」
悟の言葉に、ガスボンベがまた爆発しそうになるが、畑中に遮られ言葉を収める。今更ではあるが、多少の耐久年数は残っていたようだ。
「ごめんなさい……」
開口一番、畑中の口から謝罪の言葉が出ると、同時に頭を下げる。
「それは何に対する謝罪だ」
「それは……」
悟から冷めた目で見られ、言葉が続かない畑中。
「一年以上に渡って浮気を続けていた人間が何を謝る? 俺の誘いを断っておきながらアイツに抱かれていた事か? 家事を疎かにしてアイツと逢引きしていた事か? 子供を放り出してアイツの物を美味そうに咥えていた事か? 」
「止めて下さい!」
悟の糾弾に悲鳴をあげて耳を塞ぐ畑中だが、悟の冷めた目は変わらない。私としてもこんなものは見慣れているので今更どうとも思わない。
「今更の謝罪などは不要だ。そんなものに何の意味も無い。俺が今のお前に望むのは『離婚届に署名捺印しろ』それだけだ」
―― まぁ、慰謝料、親権、養育費etc 決める事は他にもあるんだけどな ――
頭の中で無粋な突っ込みを入れながら畑中を見やる。
「お願いです、離婚だけは許して下さい。なんでも……なんでももしますから……」
「なんでもするなら離婚届に署名捺印してくれ」
「それだけは許して下さい。外に出るなと言われれば出ません。GPSでも見張りを付けてもらっても構いません。ちゃんとした妻になります。貴方の事を愛してるんです」
「アイツのモノを美味そうに咥えてた口で愛してるのなんだの言われても説得力皆無だな」
「あの人とは遊びだったんです。体だけです。心はいつも貴方の事を思っていました」
「いや、愛してもいない人間に、遊びで股開くような女はもっと駄目だろ」
「本当に後悔しているんです。反省しているんです。なんであんなことをしたのか……。ちゃんとした人間になりますから、これからの私を見て頂けませんか……家政婦でも奴隷でも構いません」
見慣れた風景、聞き慣れた言葉。
―― どいつもこいつも一緒だな ――
「一年以上も不倫を続けておいて後悔も反省も無いだろう。その一年の間に引き返す機会はどれだけあった? 不倫を始める前に止まる機会はどれだけあった? それらを全部踏み倒してお前はここに居るんだろ? 後悔ってのは不倫がバレた事への後悔か? 反省ってのは、今度はバレずに上手くやろうって事か?」
「違います……違います……」
畑中の目から涙が零れるが、悟の言う通り、そんなもので心が動くような時点はとうの昔に通り過ぎている。
「大体、『なんでもします』とお前は言うが、お前は何もしていないじゃないか。近所迷惑だから家を訪ねて来るな、俺の実家に近寄るなと言っているのに日参して来る。時間の無駄だから電話もしてくるなと言うのに暇さえあれば電話を鳴らす。着信拒否すれば今度は公衆電話やフリーのアドレス使って電話やメールしてくる。そして離婚届に名前を書こうともしない」
悟の言葉に、畑中は一言も言い返せず、ただ下を向いて黙っている。
「それになんだ、『これからの私を見て下さい』って。今までさんざんっぱら見てきたうえで離婚と言う結論を出してるのに、なんでこれからもお前を見ていなければならないんだ? おまけに家政婦や奴隷をまるで罰みたいな言い方して、家政婦として立派に働いている方達に失礼極まりないな」
「ごめ……なさい……ごめんなさい。、それでも、離婚だけは、本当に何でもしますから……」
「何度も同じことを言わせるなと、何度言ったら解るんだ。何でもするなら離婚してくれ。離婚だけは、じゃない。離婚すらしてくれないんだよ、お前は」
言葉を切った後、悟は大きく溜息を吐く。
「結局さ、お前は何も変わってないんだよ。自分がしたいから俺や子供を放り出して不倫する。自分が許されて楽になりたいから謝罪する。自分がしたくないから離婚しない。『なんでもします』と言っておきながら、結局お前は自分のしたい事しかしていないんだよ。変わると言っておきながら結局何一つ変わっていない。そんな人間とこれ以上付き合うなんて無理だろ? それとも、加害者であるお前の願望は、被害者である俺や子供たちの要望よりも優先されなきゃいけない物なのか?」
悟の言葉に、畑中は何も言い返せない。
―― まぁ、ほぼ打ち合わせ通りだけどな ――
「ちょっと! さっきから黙って聞いてれば何なのよアンタ!」
耐久年数を超えたのか、ガスボンベが火を噴く。
「瑞穂がこれだけ謝ってるのになんなのアンタ! 仮にも自分の奥さんがこれだけ謝ってるのに、どれだけ器がちっちゃいのよ!」
「奏!」
「良い? 瑞穂、これは貴女の為に言ってあげているのよ」
畑中の制止を振り切って、壊れたスピーカーがドヤ顔で雑音を奏で始める。
「大体、一度の浮気位でグチグチグチグチと瑞穂を責めてみみっちいったらありゃしない。男だったら、もっと良い男になってアイツを見返してやるとか、瑞穂を取り返してやるとか思うもんじゃないの? それが男らしさってもんでしょう? そんなみみっちい男だから浮気なんてされるのよ!」
―― 大事な事だから二回言いましたってか ――
「川辺さん。先程瑞穂さんも言われた通り、貴女はこの件に関して口を出す権利も資格も有りません。お二人の話の邪魔をするなら退出して頂けませんか」
そろそろ頃合いかと口を出す。
「アンタもさっきから何なのよ! 他人のくせに偉そうに口を挟むんじゃないわよ!」
「先程説明した通り、私は白川氏の任意代理人です」
「だから他人だって言ってんでしょ! そもそもアンタ本当に弁護士なの? 偽物なんじゃないの?」
「疑わしければ問い合わせいただいても結構だと申し上げましたが?」
「はんっ、あの名刺が本物って証拠が何処にあるの? どうせあの番号に電話したら、アンタのお仲間が電話に出る事になってるんじゃないの? 大体本物の弁護士なら、なんでバッチを襟の裏側に着けてるのよ。やましい事が有るから堂々と着けられないんじゃないの?」
―― バッチじゃなくてバッジな。なんだよバッチって、実行ファイルかよ ――
頭の中を益体も無い事が過ぎるが、頭を一つ振って切り替え、正面から壊れスピーカーを見据える
「試みに問いますが、貴女の言う『一度』の定義を教えて頂けませんか?」
「な、何よ。一度は一度でしょ!」
「ですから、何をもって『一度』と言っているのかと聞いているのですよ。白川氏の誘いを断った回数ですか? 配偶者以外の男性と行為に及んだ回数ですか? まさか、一年以上の不貞していた期間全てを包括して『一度』と称しているのですか?」
「男と女の不倫は別でしょ!」
「何をもって男女の不倫が違うと言っているのか理解しかねますが、そもそも男女がどうこう言う前に、人として不倫は駄目でしょう」
「だ、誰だって間違えることくらいあるじゃない! それを受け止めるのが男の度量でしょうが!」
「良いですか、川辺さん。『結婚』は『恋愛の延長』ではありません。『配偶者と添い遂げる』という事をお互いに同意して、『婚姻届』という『契約書』に署名捺印する、法的拘束力を持った立派な『契約』なんですよ」
「だ、だからなんだっていうのよ」
「瑞穂さんは、その契約を不義により一方的に反故にしてるのです。『信賞必罰』の言葉通り、契約違反という罪には罰が有って然るべきですし、離婚と言う『罰』及び慰謝料と言う『罰金』によって、不義と言う『罪』を減ずると白川氏は言われているのです」
―― 許すとは言っていない(ドヤァ) ――
「何よそれ! 離婚するなら慰謝料は女の方が貰う物じゃない!」
「男女問わず、離婚に際して慰謝料が発生する場合は、有責者が支払うものですよ。それにしても……」
目を細め、音を発しなくなったスピーカーを眺める。
「な、何よ……」
「先程から思っていましたが、川辺さんは随分と不倫や浮気に理解がおありのようですね。あるいは、御自身の身に覚えがおありですか」
「そ、そんなことある訳無いじゃない! 大体私の事は関係ないでしょ!」
―― そうでもないんだよなぁ ――
「まぁ良いでしょう。取り合えず、瑞穂さんもこれ以上語りたい事は無いようですし、我々はこれで失礼しますね」
そう言って、悟と目を合わせ頷き合う。
「待って下さい! 私はまだ……」
そう言って悟の手を掴もうとする畑中だが、今度は華麗に躱される。
「良いですか瑞穂さん。白川氏は既に一度譲歩しています。貴女が二人きりと言う約束を破って川辺さんを連れて来た時点でね。そして、口を挟ませないと言ったにも拘らず、これだけの暴言を許した。我々は仏様ではありませんので、三度も我慢しないんですよ」
そう言って畑中を見る。心なしか怯えている様にも見えるが、宜なるかな。
「今日はこれで失礼しますが、これ以上離婚を渋るようであれば、今後は法廷でお会いする事になりますので、その旨御了承下さい」
つまり、調停をすっ飛ばして裁判所に持ち込む事も辞さないという事で、それだけ悟の離婚の意志が固い事を意味する。
「あ……」
真っ青な顔で言葉を失う畑中。
「それと川辺さん」
「な、何よ」
「先程から喫茶店と言う公共の場において、貴女は私や白川氏を侮辱する発言を繰り返しています。これは、名誉棄損、あるいは侮辱罪に相当すると判断しました。その件については、別途会話の席を設けさせて頂きますのでそのおつもりで」
「何よそれ! 大体、それこそ言った言わないの世界じゃない! 何の証拠も無いし、そんな事で脅そうとしたって無駄よ!」
「別に脅している訳では無く、ただの事実確認ですよ。それに」
胸ポケからICレコーダーを取り出して見せる。
「証拠ならここにありますしね」
言ってからICレコーダーを胸ポケに仕舞う。
「そ、そんなの盗聴じゃない! そんな物は証拠にならないわよ!」
「盗聴では無く秘密録音と言って頂けますか。別に不法侵入した訳でも脅迫した訳でもありませんし。民事裁判においては秘密録音は立派に証拠能力を認められていますよ」
「なっ……」
悟を促して席を立つ。
「じゃあな」
悟が感情のこもらない目と声で畑中に言葉を投げるが、畑中は虚ろな目で見上げているだけだ。
「畑中、こんなことになって残念だよ」
続いてかけられた俺の言葉に、一瞬だけ目を見開いた畑中は、そのままテーブルに突っ伏して泣き出してしまった。
「なんなのよアンタ達! もう帰ってよ!」
そんな畑中の背を擦りながら瞬間湯沸かし器が声を荒げる。
―― 言われなくても帰るけど、最後に一つだけ、ね ――
「そう言えば川辺さん」
「何よ!」
私を憎々し気な顔で見つめて来る雌猿が一匹。
「瑞穂さんが不倫を始めるに至ったきっかけとなった『主婦合コン』とやらですが、どうして彼女はそんな物に参加しようと思ったんでしょうね」
「そ、そんな事私に聞かれたって知らないわよ!」
―― まぁ、調査済なんですけどね ――
「そうですか。まぁ、先程の件も含めて、近いうちにお話を聞かせて頂きますよ」
勿体ぶって一呼吸置く
「貴女の旦那さんも交えてね」
「なっ!? ちょっ、アンタ待ちなさいよ!」
真っ青になった耐久年数の切れたガスボンベが追いかけて来ようとするが、テーブルに突っ伏している畑中が邪魔で席を立つ事が出来ない。
その隙に会計を済ませ、我々は喫茶店を出る。
「あ、お釣りはいりませんので」
§
あの後タクシーを拾い、言葉少ないまま私の事務所へと到着する。
今後について軽く打ち合わせを行い、今は二人喫煙所の住人となっていた。
「それにしても、本当にあの資料通りの発言が有るんだなぁ」
紫煙を吐き出しながら、悟が感心したように呟く。
「俺も最初はそう思ってたんだけどな。まぁ、不倫するような人間の頭の中身に変わり映えが無いって事なんだろうな」
そう言って、短くなった煙草を灰皿に押し付ける。
「次に代理人の俺が話に行って、それでも離婚に同意しないようなら法廷で再会ってとこかな」
「あぁ」
「さっきも言ったけど、慰謝料は結構減額されると思う。それでもかまわないか?」
「あぁ、それよりもアレと縁を切る方を優先したい」
「わかった」
「色々とすまないな」
「気にすんな。これも給料の内さ」
「そっか……」
そう言って悟は薄く笑った。
事務所を出て駅へ向かう悟の背中を窓から見送る。
「お疲れ様」
美咲がコーヒーの入ったマグカップを差し出してくる。
「サンキュ」
言葉短く受け取り、一口啜って溜息を吐く。
俺と美咲と悟、そして畑中は、高校の時の同級生だった。
美咲とはその頃からの付き合いで、やけに馬の合った悟とは、高校卒業を機に道は分かれたが、それでも一、二ヶ月に一度は飯を食う仲だった。
その縁で、俺と美咲の結婚式には悟と、その時既に婚約者となっていた畑中には出席してもらったし、二人の結婚式には俺達夫婦も招待してもらっていた。
その後も相変わらず、たまに男同士飯を食っては馬鹿話をするといった付き合いを続けていた。
そんな悟から相談を受けたのが二ヶ月程前だったろうか。
「瑞穂が浮気しているかもしれない」
絞り出すようにそう言った悟の顔が忘れられない。
流石に何かの間違いではないかと確認したが、悟の話を聞けば聞く程、畑中の行動が黒である事を、残念な事に俺は経験則で悟ってしまった。
その場で悟を事務所へ連れて行き、今後悟がどうしたいのかという意思確認と、今後の対応について話し合う。
その後、俺の伝手で興信所を紹介するのと同時に、悟自身にも可能な限りの物的証拠を確保してもらう。
ある程度の時間は必要かと思っていたが、一年も続けた不倫にすっかり浮かれているのか、一ヶ月もすれば吐き気がする程の証拠が集まってしまった。
親権の確保と離婚の成立が絶対条件。慰謝料その他は放棄しても構わない。
そう言った悟の為に、まずは悟の両親を巻き込んで育児実績を作る。既に育児放棄気味であった畑中に、悟の実家に優貴君を預ける提案は至極容易だった。
自由に動ける時間が増えると、嬉々として優貴君を預ける畑中の裏で、着実に育児実績とネグレクトの証拠を積み上げて行く。
同時に不倫の証拠集めを継続して行い、この不貞が継続的かつ長期にわたるものであると立証する。
そうして半月ほど前、ホテルから出てくる二人を待ち構え、そのまま事務所へ連行し、二家族交えてのお話合いが持たれ、今に至る。
特に間男の方は、営業と偽って業務時間中にホテルに出入りしているのを確認している為、既に会社宛てにも内容証明を送付済となっている。
「ままならないな」
畑中を見る悟の冷たい目を思い出す。
「そうね……」
隣で窓の外を見る美咲の声を聞きながら、ある言葉を思い出す。
―― 好きの反対は無関心 ――
それは、一体誰が言った言葉であったか。
いつからかネット界隈から広まったと思われるその言葉は、一説にはかのマザー・テレサが残した言葉とも言われている。
一応それらしく、且つお洒落に聞こえるので、意識高い系の人間がこぞって使うようになった言葉ではあるが、はたしてそうだろうか?
好きの反対が無関心なら、嫌いの反対は何だろう。
嫌いの反対も無関心なのだろうか。
好きの反対も嫌いの反対も無関心なら、好きと嫌いは
無関心を挟んで存在して居るのだろうか。
であれば、好きの反対には嫌いがあって、その中央に
無関心があるのではないか。
何かを好きでいる事も嫌いでいる事も、それには感情と言う燃料が必要になる。
好きの反対と言われる『無関心』とは、その燃料が無くなった、
言わばガス欠のような状態なのではないだろうか。
畑中の事を『好き』と言う道路を走っていた悟の車が、
畑中の不倫を経て逆走し、『嫌い』という道路に至りてガス欠になった。
車は『嫌い』の道に居るが、感情と言う燃料が注がれなくなったが故に
動けずに止まっている。
ここで言う『無関心』とは、その状態の事を言っているのではないか。
そんな益体も無い事を考える。
「なぁ、美咲のこれまでの人生の中で、一番の失敗って何だと思う?」
「どうしたの急に」
俺の言葉に美咲が首を傾げる。
「いや、なんとなく……さ」
「そうねぇ……。大学一年の時に、一哉に告白した事かしら」
「は?」
思ってもみなかった言葉に、マグカップを取り落しそうになる。
「もう少し引き延ばして居れば、一哉の方から告白して来たと思うのよね。そうすれば、上下関係がはっきり出来たと思わない?」
そう言って悪戯っぽく笑うと、美咲は自分のデスクへと戻って行く。
「なんだよそれ……」
苦笑しながら、美咲の後を追う。
「お嬢様。よろしければ、コーヒーのお代わりは如何ですか?」
少しおどけて、手を胸に当てながら、恭しく声をかける。
「あら、よろしくてよ。砂糖とミルクはたっぷり入れて頂戴」
美咲のノリの良さは、あの頃から変わらない。
「かしこまりました。少々お待ちください」
そう言って事務所に設えた簡易キッチンへ向かう。
―― 誰だって間違えることくらいあるじゃない ――
あの女はそう言った。
確かに人間は間違える生き物だ。何かを間違い、それを正し続けながら、人は正道へと回帰する。
だが、『間違えてはいけない』事も確かにある。一度間違えれば正す事の出来ない、取り返しのつかない間違いも存在するのだ。
だが、今回の畑中の件はどうだろうか、一度の間違いで取り返しのつかなくなる事だったろうか。
川辺などと言う女が身近に居た事は確かに不幸な偶然であったかもしれないが、それと付き合い続ける事を選んだのは彼女自身の選択だ。
川辺と付き合うのを止めていたら?
主婦合コンなどと言うものに誘われても断っていれば?
参加したとしても、自分を律する事が出来ていたら?
酒など飲まなければ?
一度の参加で止めておけば?
不倫を始める前も、始めた後も、引き返す道も、踏み止まる機会も幾らでもあったのだ。
人は間違える生き物であるが、間違い続ける生き物ではない。
彼女は、自分の選択で間違いを選び続け、そうして自ら崖から飛び降りたのだ。
一度の間違いなら許されても、繰り返す間違いは許されるものでは無い。
「優貴君が心配ね……」
マグカップを両手で包みながら美咲が呟く。
「そうだな……」
『性悪説』をしたり顔で唱える者達が居る。
彼らは嘯く。
―― 人間とは元来悪性である。故に人が悪を成すのは致し方の無い事だ ――
と。
『性悪説』をキリスト教における『原罪』に等しいと誤用している連中だ。
そうではない。荀子は確かに、『人の性は悪なり、その善なるものは偽なり』と説いており、これが後に『性悪説』とされるが、彼は言ったのはそれだけでは無い。
人の性は悪であるが、環境や教育、本人の努力により善で居る事が出来ると続けているのだ。
故に思う、知性と理性を携え、善で在ろうとする者こそが人間では無いかと。
川辺や畑中の様に、知性も理性も捨てて悪性になり下がった連中は、果たして人間と呼べるのだろうかと。
願わくば、優貴君が真実を知る時が来たら、母を反面教師とし、父の背中を見て、知性と理性を伴った人間となりますように。
そこまで考えて頭を振る。
俺自身そこまで立派な人間じゃない。
名誉棄損だ侮辱罪だ。そんな事を言いながら、俺自身結構な事を言っている。
まぁ、実際に訴える事はしなくても、話のとっかかり位には出来るだろう。
私情を絡めるのは褒められた事では無いが、多少は八つ当たりさせて貰おう。
我ながら腹黒い事を考えながらデスクに向かう。
細く開いた窓からは、どこかの家の夕食であろうカレーの匂いが漂っていた。
§
後日、例のガスボンベとその旦那を交えてお話合いを行った結果、美咲が旦那の任意代理人になったと言うのは、また別のお話。
あらすじで『義憤』と書いているのは皮肉です。
浮気する人間も嫌いですが、それを訳知り顔で顔を突っ込んできて
許しを強要する人間も同じ位嫌い。
そういう人間に限って、自分は他人を慮って素晴らしい事をしていると思い込む。
大抵は加害者側の心情ばかり慮って、『加害者が』可哀そう!反省してるじゃない!と喚き立てる。
被害者の心情を置き去りにしている事に気付かずに。或いは無視して。
被害者に対しては『貴方の気持ちもわかるけど』などとしたり顔で嘯く。
わかってたら、とてもではないけれど、そんな事は言えない筈なのに。
馬鹿じゃないの。
そんな思いで書いてます。
最後に例の奴張っておきますね。
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「ごめん」→謝るなら最初からしなければいいのに
「寂しかったから」→寂しいと他の男に股を開くんですね
「好きなのは貴方だけ」→好きでもない男に股をry
「もう二度としないから」→今後するしないでなく今したことが問題なんですが
「別れるのだけはいや」→このまま続けるのだけはいやです
「ひとりにしないで」→ばかだなー、お前には間男がいるじゃないかー(笑顔で
「じゃあ死ぬ」→そこまで想ってる人がいるのに他人に股を開けるんだーすごいねー
「寂しくて死んじゃう」→そこまで想ってる人がいるのに浮気できるんだーすごいねー。
「どうしたら元通りの関係になるの?」→二度と会わないことを誓えば、出会う前の関係に戻るよ
「間男は冷たかった」→お前を甘くしてるのはお前だけだよ
「間男は裏切ったから」→お前は俺を裏切ったのにねー
「世界に一つの家族じゃないの」→それこそ今猛烈に後悔している
「もうこれっきりだから許して」→今後するしないでなくry
「平日もいつも一緒にいてくれなきゃいや」→じゃあ一緒の会社で働こうか
「貴方にも責任がある」→好きでもない女にチ●ポ突っ込んでません
「残業ばかりで一人で寂しかった」→寂しいと他の男にry
「どうかしてた」→こんな女に惚れた俺がどうかしてた^^
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お読み頂き、有難う御座いました。