表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

鳥籠の塔

そぅっと階段を登る

腕の中の揺れる水面に気を遣いながら足を一歩二歩と持ち上げる


全くなんて設計の家にしちまったんだ

爺さんだか婆さんだか知らないが、元々の持ち主に不平が溢れる

円形の部屋はどうにも家具が置きにくいし、縦に長い構造は足腰に来るし、単純に移動が面倒だ

まだ、若いとされる自分がそう思うのだ

年寄りなんかには向かない家だと思うが、やはりこの塔のような風変わりな家に住むのは同じように風変わりな人間なのだろうか?


寄り道した思考が伝わって、液面がゆらゆらと踊り出す

水を運ぶのさえ神経を遣う


舌打ちをし、漸く見えて来た3階のドアへと向かう

飯を催促する野郎どもの声がドアを突き破ってこれまたうるさ


俺の苦労も知らずに口煩い奴らめ


肘に掛けられた袋がずっしりと重みを伝えてきて、なお恨めしい

今度から、買ってきたら1階に備蓄しないで3階のこの部屋に置いておこう

後回しにするからツケが回ってくるんだ

街からの長い道のりを思えば、3階分の距離なんて短いもんさ

実は先々月もそう思ったし、三年前に越してきた時から毎回のようにそう振り返るのだから、きっと再来月辺りにもまた同じ事を問答するのだろうが、それでも今度こそはと決意を抱く


漸くある程度の広さのある面に到達し、壁にもたれ掛かるが、俺がすぐ側にいる事に感づいてるのだろう、中の奴らがまた騒がしくなったので、やれやれと思いながら、肘を使って上手いこと扉を開ける


3階は1、2階に比べてかなり広い

なんて言ったって、本来5階分ある建物を4階と5階にあるはずの床を取っ払って突き抜けにしてあるのだ

見上げれば、1番天辺にある出窓がボタンくらいの大きさに見える筈だ

しかし、実際は様々な障害物が邪魔をしているので、そうは行かない


「うるせぇ、お前ら少しは静かに待てねぇのか」


口々に飯を催促するこいつらに負けじと怒鳴り声を浴びせてやるが、なにぶん多勢に無勢だ

俺の声は奴らの甲高い声に揉まれる


ったく


所詮、言葉の通じない奴らに何を言っても意味はない

いつもの位置に腕の中の水桶を置いてその横にどさりと、大量の餌が詰まってパンパンに膨らんだ袋を下ろす

しばし、重力の解放を味わう

それから、頭上から降ってくる声達を無視しながら、床に置かれた横に長い容器に袋の中身をざらざらと足す


こんなもんか


そして、こっからがまた重労働だ

登ってきた時とは別の階段を登る

それは、円形の壁に沿って作られており、ろくに手摺てすりも無いので、当初は登るのを躊躇ためらったが、今となってはこの方が都合が良いのだと分かる


「はいはい、今開けますよ」


1番煩い奴の扉に手を掛ける

中のそいつは早くしろとでも言うように俺の指を突っつき回すので逆に時間が掛かる


「痛って!くそ、やめろ」


何とか扉を開けてやると、まるで弾丸かのように黄緑のそれが下降していく


「くそ、礼も言えねーのか」


言えるわけはないと分かってはいても、ついつい腹正しく思ってしまうのは、やはり自分も理性的ではない獣の一種だからなのだろう


その後も一つ二つと淡々と扉を開けていく、

徐々に頭上からの声が減り、見下ろすと、色とりどりに散らばった色彩が床や3階フロアに属した籠に広がっている


下の方ではぴーちくぱーちくとお祭り騒ぎだ


全く、楽しそうで何よりですよ


こんな生活を始めてから、同族との交流が急激に減った男が妬むようにひとりごちる

奴らは飯の用意から寝床まで何まで用意され、一方、俺は女もろくに抱けやしねぇ

ここ最近、人間と会話したのなんて、こいつらの餌を買いに行った時ぐらいだ


その内、人間の言葉なんか忘れてこいつらと一緒にぴーぴーとけたたましく鳴くようになっちまうんじゃねぇだろうか


最後に残った1番上の籠に手を伸ばす

その中で大人しく順番待ちをしている黒く濡れた目が俺を捉える

こいつが、ここの1番の古株だ

俺との付き合いもそこそこに長いせいか、ほかの鳥頭達とは違って礼儀を弁えたような気配すらある


「待たせて悪かったな」


本来、この位置にいる連中は1、2週間もすればこの閉じ込められた環境から出て行く訳だが、こいつはここに慣れすぎてしまったのか、それとも、外で餌を見つける自信がないのかすっかり居座っている


もう、身体もすっかり癒えて自由に飛べるだろうに


扉を開ける

はしばみ色の体躯を俺の手に押しつけてくるそいつは、早く運べと俺に要求する

ーー礼儀なんて言うのは俺の勘違いだったようだな


いつからか、こいつは飛ぶことをやめてしまった

その代わり、1番天辺に居ながら、俺が来ると、俺の肩やらに乗っかって俺の足取りに合わせながら頭を小刻みに上下させ、長い階段を下っていき、そして、奴らが籠に戻ったのを確認し、扉を閉めていくのに付き合いながら、俺と一緒に登って行く


お陰で、本来野に放つ優先順位でできた鳥籠の位置はこいつの下からその法則が適応されている


赤毛のあいつはもう翼の傷も回復したようだし、2日後ぐらいには外に試しに行ってもいいだろう


先程の飛行の様子を思い出しながら、階段を下りる

奴らは回復の様子を見て徐々に徐々に鳥籠を上へと移動し、そして、充分に飛べる様子が確認できたら外の世界へ戻してやる

それが俺の仕事だ


来る日も来る日も奴らの世話に明け暮れて、そして、旅立って行く様を見る

繰り返されるそれ

日々を話す相手も居なければ、相手がいたところで話すこともない

そんな毎日

奴らは外に連れて行けば、翼を撫でる外気の心地よさに悦びを感じ、世話してやった俺のことなんかすっかり忘れて野生へと返っていくのだ

誰も俺の頑張りを褒めてはくれないし、誰も俺の存在なんか心に留めちゃくれない


いつになったら、こんな仕事辞められるんだろうか


溜息を一つつくと、肩のそいつが俺の耳をついば


「痛っ、いつまで経っても甘噛みができねぇやろうだな、たく」


じりじりと痛む耳を抑え、睨むが、鳥に何を言おうが意味はない

そいつもそれを体現するかのように知らん顔でまた揺れている


はぁ、本当に早く辞めてぇな



            X


野草についた朝露が裾を濡らす

腕の中で重みを感じる黒い鉄格子の冷たさが肌を伝ってくる

漂う霧が、空気を湿らせる

教えられた道順を間違う事なく進んでゆく

随分慣れたもんだ

なるべく、身体を揺らさないように、鳥籠の中のそいつがストレスを感じないようにしてやる

そして、いつものように視界は開ける


霧は消え、風が程よい強さで辺りを撫で回す

空は青く、白い雲の塊がその巨体をゆったりと預けて浮遊している

瑞々しい木々が辺りを埋め尽くしているのが眼下に見える

手にしていたそれを柔らかい草の中にそっと下ろしてやる

中のそいつはいつもの目をして俺を見ていた


扉を開けてやる


そいつは少し戸惑ったように俺を見つめたが、その体の割合に対して小さく細い脚を鉄格子の外へと出す


懐かしの大地に感嘆したのだろうか

躊躇ためらいは消え、目を細めて心地よい陽の光を浴びている


どうやら、もう大丈夫そうだな


「じゃあな」


俺はそいつを置いてもときた道を戻る

振り向きもしなかったが、いくらでも分かる

何度も見てきたからだ


奴らは俺ら人間なんかよりも適応力に長けている

その大地に脚を下ろした後、思うことはこの広大な空を飛びたい、翼の毛、一本一本を風にくぐらせたい

その心地よさに自分が鳥として生まれてきた意味を見出したい

そう思うのだ

ぎこちなくはためかせるそれに俺が内心心配していても、次の瞬間こちらなぞ振りかえもせずに悠々と飛び立ってしまう

俺はそこに1人残される

飛んでゆくそいつが小さい点となってやがて消えて行くのを見つめながらおれはその場に残されるのだ


            X


早いうちに家を出たおかげで戻ってきた時はまだ午後になったばかりの時間だった


ーー今日中に全部終わらせてしまおう


長年悩まされた階段を登る

その足取りがひどく重いのが可笑しい

何故だろう?

手にしたブラシや水の入ったバケツをガチャガチャ言わせ登り進める

踊り場に到着し、3階の扉に向き直る

中からは物音ひとつしない


当然だ


ドアノブに手を掛け、中へと進む


縦に広い空間には沢山の籠が至る所に吊り下ろされている

しかし、それらは何一つ本来の用途を満たしていない。


仕事は終わったのだ

もう、誰もここにはいない

最年長のあいつも、今朝、自然へと還った

青空の下、緑色の大地に居た茶色の塊はこんな狭い塔なんかよりもよっぽどお似合いだ


もうここには命の塊はない

俺以外ーー


ーーー猛烈な孤独が身体を襲う 

体から力が抜ける

物が地面にぶつかる音とぶちまけられた水の冷たさ


何年も何年もこの仕事に身を費やしてきた

俺を呼ぶ声は徐々に減っていき、やがて消えた

もうどうやって暮らしていけばいいか分からない

誰にも必要とされない

誰も俺を知らない

誰もここにはいない

誰もーー


ぼろぼろと大量の雫が床に広がった水面の上に落ち、波紋がいくつも生まれ、干渉を繰り返す

ここに居たくはないと心が揺さぶりを掛け、身体を動かした

何処か何処でもいいか遠くに行きたい

駆け出す

階段を馬鹿みたいに駆け降りる

塔の扉を飛び出し、まるで獣になったかのように呻き声をあげ、意味もなく大地を駆けた


やがて力尽き、倒れる

このまま

ーーこのまま、ここで寝っ転がっていたら、その内俺は死んじまってそしたら、俺の死体は異物なものとしてここに転がってるんだろうな

でも、暫くしたら動かない俺に安心して危険はないと近づいてきた獣やら蟲やらが俺の体をむしばんでいくんだ


それだったら、あいつらに食べられたい

一度飼い慣らされた鳥は上手く自然界で暮らしていけないケースもあるらしい

きっと狩りが下手な奴らだ、食いもんに困ってるかもしれない

そしたら、俺を食って生き延びればいい

俺の元に戻ってきて、俺の肉体を啄んで、俺の体で生き長らえてそして、俺も一緒に何処かに連れて行って欲しい

俺の血肉は奴らの体の一部となって大空を飛んでゆく

そしたら、もう1人とはいえないだろうな


ーー目を閉じる

あぁ、全部終わって欲しい


「何してるの?」


声が落ちる

もう二度と開かないつもりだった目が開く


「……誰だ?」


開けた視界の先に男がいる

倒れた俺を見下ろしてくる


「何してるの?」


男がもう一度問いかける

あぁ、もうこいつが誰だろうがどうでもいい

俺の邪魔をしないでくれ


「帰ろ」


男が俺にうなが

何処へ帰るのだと言うのか

帰ったところで何もない、何も待ってなどいない


ーーけれど、俺は体を起こした

男はしゃがみ込んで俺の体についた土を払い、立たせる

無気力な心地で俺は男に手を引かれながら歩いた

終着点はあの鳥籠の塔



           X


「おなかすいた、何食べる?」

男が我が物顔で戸棚をあさり出すが、俺は依然力が戻らず、ソファに座り込んで項垂れていた


返答のない俺の顔を男が覗き込む

「どうしたの?つかれた?」


声は返ってこない


「疲れたんだね、ゆっくりお休み

上の片付けは僕がしといてあげるから」


勝手に納得した男は俺をソファに寝かしつける

全然眠くもないが、されるがままに横になる


あぁ、生きているのか俺は


「よく頑張ったね」


男の手が俺の頭を撫でてくる

まるで赤子でもあやしているようだ

それでも、その行為に心が溶かされて行くようで次第に泣きつかれたせいか睡魔が襲ってくる


「もう終わったんだよ、好きなように生きていいんだ、君は

なんだったら、旅に出てもいい

色んな国に行くのは楽しいよ

それがいい

こんな狭いとこに閉じこもってたらそりゃ心が病んでしまうよ

僕も付き合うからさ」


男の声が子守唄のように脳髄を優しく刺激する

揺ら揺らと揺れる意識の中、聞き覚えのあるそれが一気に覚醒へと導いた


男は突然跳ね起きた俺に驚いたようだが、それを気に掛けてやる事はできない


急いで階段を駆け上がり、あの部屋へと向かう

後ろから俺の後を追う足音と声が聞こえるがそれどころじゃない


扉を開け、閉ざされた窓を内側に開く


やっぱり


まだ若い鳥が体をぐったりと寝かせてそこにいた

そいつは、何年か前に世話してやったあの黄緑の奴によく似ていた


部屋に入ってきた男に指示を出す


「一階に段ボールがあるから持ってこい

それと、そこの棚の三段目、そう、それだ」


素晴らしい勘の良さでガーゼを投げよこされる

男はそのまま階段を駆け降りて行った


清潔なそれを片手に体を観る

傷口だ

野獣に襲われたか


「大丈夫だ、大丈夫

よく来た、もう大丈夫だぞ」


まだ若いそいつに声を掛ける

何も言わないが、俺の言葉を理解しているのか少しばかり強張こわばりが弱まる


ーー大丈夫だ

なんて言ったて、これが俺の仕事なんだから



           X


袋の底に微かに残っていたそれを掻き集めて、片手にそれと、もう片方に水の入ったわんを持ち、長い階段を登る


いつものように扉を開け、部屋の中に侵入すると、朝になっていなくなっていたと思っていた男が居た

例の飛び入り患者の側にいる

その顔が、初めて見る険しさを抱いていたので、急に不安がたちこめる


「おい、お前、何やってるんだ」


自分の存在を知らしめ、男の注意を引く

まさか、こいつ、怪我した鳥になんかしようってんじゃないだろうな


今更になって、目的も素性も知らない男に警戒を覚える


「何って、別に

早く起きたから、様子を見に来ただけ」


男は俺の方を向き、穏やかな笑みを向けたが不信感を抱いた俺は男と鳥の間に体を滑り込ませてしゃがみこみ、餌と水を側に置く


黄緑のそいつの体調はまだかんばしくはないが、峠は越えたようだ

大丈夫、もう2、3日すれば元気に成るだろうし、ここで安静にしてれば、何ヶ月後にはまた野に帰れるだろう


「彼の面倒を見るの?」


背後から声が掛けられる

彼?となったが、他に居ないのだから恐らく鳥のことを言ってるのだろう、変わった呼び方だ


「そりゃ、怪我してるんだからするだろう」


男はまた言葉を紡ぐ


「もう、ここに居た連中はいない

君の仕事は終わったんだよ?」


「だから?」


俺は立ち上がり男に向き直った 

男は俺の顔を見て黙り、そしてそっぽを向く


「そう、それを選ぶんだ」


そう言うと、男は元気を無くしたかのように座り込んだ


「おい……大丈夫か?」


男に呼び掛けるが、返答はない

昨日の逆だ


「君は」


「ん?」


「君は結局、そうなんだ

抜け出したい抜け出したいと言っても結局はこの塔に囚われている

鳥が鳥籠に捕らわれるように、君自身がこの塔に囚われている

僕たちはまだいいよ

他の生き方を知っている、順応できる

でも、人間はこれまでの暮らしを変えることができない

酷く恐れてそれに固執してしまう

世界がどんなに広いか分かっているくせに」



男は膝を抱え込んでそこに顔を押し当てて俺の方を見ない

よく分からないが、打ちのめされているようだ

昨日助けてもらった手前、冷たくできず、男に手を差し伸べる


「なんかよく分かんねぇけど、とりあえず街まで送ろうか?」


男の首が横に振られる

それに伴って茶色の少しごわついた髪が左右に振れた

男の顔が膝頭から離れ俺へと向けられる

その黒い瞳が非難気に俺を睨む


「別にいいよ

また、君が1人になるのをここで一緒に待ってるからさ」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ