第六話 夜の中で
その日の夜も、また外に出かける。人が集まって歌い踊っているのは昨日と変わらない。暖かい季節の間は、本当に毎日続くらしい。
いろんな味のパンのようなものを軽く食べたら、シルはまた踊りの中に入っていってしまった。
ルームさんもまた何か用事があるのか、俺に待つように言って行ってしまった。
一人で椅子に座って、踊っているシルを見る。言葉は通じてないと思うのだけど、やっぱり楽しそうだ。昨日人形をもらったという人には、会えたんだろうか。今日は名前を伝えられたんだろうか。
シルはまた、近くにいた女の人と向かい合って両手を繋いで、回りながらぴょんぴょんと跳ね出した。くるくると回っていたかと思ったら、反対回りになる。時々手を離して、腰に手を当てて足をばたばたと動かす。かと思ったら片手だけを合わせてぐるりと回る。
女の人たちは明るい茶色や赤、金髪のような色の髪の毛を三つ編みのようにしたりまとめ上げたりして、その上に帽子をかぶっていた。帽子の後頭部側には白い大きな布が垂れ下がっていて、跳ね回る度にそれがひらひらと広がる。
シルは帽子を被っていないけど、長い銀髪がふわりと広がる。女の人たちの白い布と同じように──それよりもずっと、きらきらと輝いて綺麗に見えた。
シルと一緒に回っていた女の人が動きを止める。二人の隣には、男の人が二人立っていた。みんな、同い年くらいだろうか。
女の人がシルの手を離して、差し出された男の人の手を取る。もう一人の男の人の手がシルに向けられるのを見て、立ち上がってしまった。けど、どうして良いのかわからない。
シルが踊りたくて楽しんでいるなら、それを邪魔したくない。けど、今のこれがどういう状況なのかわからない。止めた方が良いような気もする。
シルは自分に向かって差し出された手を見て、困ったように隣の女の人の方を見たけれど、そちらはもう踊り始めていた。次にはその視線が俺の方に向けられて、目が合って、その瞬間、俺はシルの名前を呼んでいた。
「シル!」
この賑やかさの中で、俺の声がシルに届いたのかどうかわからない。でも、シルはぱっと笑って、俺に向かって駆けてきた。
「ユーヤ!」
俺の前に立ったシルが、俺の手を掴んで真っ直ぐに俺を見る。灯された光が、シルの瞳に映ってきらきらとしている。
「ユーヤは踊るの好きじゃないんだよね。でもわたし、やっぱりユーヤと踊りたい」
なんて応えたら良いかわからなくて、でも何か言わないとと焦って余計に言葉が出てこなくなる。俺が黙ってしまったせいか、シルはちょっと俯いた。
「でも、ユーヤは踊るの好きじゃないから、駄目なら大丈夫。大丈夫だよ」
俺は慌てて首を振った。
「駄目じゃない。大丈夫。踊るのが嫌なわけじゃないんだ。ただ、俺はきっとうまく踊れないと思うから」
チャイマ・タ・ナチャミでもそうだった。思い返せば、日本でだって。
ダンスを見ていてかっこいいとかすごいとか、思うことだってあったけど、それはそういうことをやる人のものだと思っていた。今まで自分でそれをやってみたいと思ったことはなかった気がする。自分にできるとも思ってなかった。
だから、踊ることが楽しいのかどうかはよくわからない。恥ずかしさを押してまで踊ってみたいとも思っていない。
でも、シルが俺と一緒に踊りたいと言う、そんなちょっとした望みを叶えてあげたいなという気持ちが、今はある。
「きっとうまく踊れないと思うし、下手だと思う。それでも良いなら」
俺の言葉に、シルは嬉しそうに笑った。暗くなった夜の中なのに、銀の髪に縁取られた白い顔が、眩しいくらいだ。
シルに手を引かれて、踊りの中に入る。さっきシルに手を差し伸べていた男の人はもういなくなっていて、ほっとする。
シルは俺と向かい合って、右手で俺の左手を、左手で俺の右手を握った。ぎゅっと握って、俺を見てまた嬉しそうに笑う。
「えっとね、最初はパッタ」
「パッタ?」
聞きなれない言葉だった。シルを見たら、シルは頷いた。
「パッタって言ったらこういう動き」
言いながら、シルはその場で軽く飛び跳ねた。真似して、俺も跳ねる。最初はタイミングが合わなかったけど、流れる音楽にどう合わせたら良いかはすぐにわかった。
「それで、回るときはセンルバツ」
「左の爪先?」
「えっとね、こっち向き」
シルはそう言って、左の足を左に向かって踏み出した。引っ張られて、俺も左の足を踏み出す。踏み出した左足を追いかけて、右の足も遅れてやってきて、たたん、というリズムでまた左の足を踏み出す。
そうやって、俺とシルはくるくると回り始めた。
「反対に回るときはイールバツって言ってた」
「シル、言葉、覚えたの?」
跳ねながら、回りながら、途切れ途切れにようやくそう言って、シルの顔を見る。シルの髪の毛が俺たちの動きに遅れて付いてくる。
「わからない。でも、そう言ってた。そう言ったときは、この動きだったから」
「それ、覚えてるよ、言葉」
「そうなの? わからないけど、嬉しい!」
そう言って、シルは笑った。そして急に「右の爪先」と言って反対向きに回り始める。俺は少し足を縺れさせて、でもなんとかそれに付いていく。
シルが覚えていた言葉は、いくつもあった。多分体のどこかとか、ちょっとした動作の単語だと思う。意味がわからないものもあったけど、シルが「こういう動き」と言ってくれたから、なんとなく想像できる気がした。
多分だけど「エデ」が「前」で「カナ」が「後ろ」だ。右腕と言ったら、右手を上げて腰に左手を当てる。そのまま回って、今度は上げていた右手を下ろして繋いで、また二人でくるくると回る。
正直、俺のそれは踊りなんてものじゃなかったと思う。ただ跳ねて、回っていただけで、めちゃくちゃだったはずだ。でも、ただそれだけのことがすごく楽しくて、シルと二人で声を上げて笑っていた。
ずっと飛び跳ねて回って目が回りそうだと思いながら、それでも踊っている間、ずっと楽しかった。
目が回りそうというか、実際に目が回っていた。くらくらする感じがだんだん限界を訴えてきて、シルに言って少し休ませてもらうことにした。椅子に座っても、まだ景色が回っている気がする。意識すると酔いそうで、目を閉じて耐える。
「ユーヤ、大丈夫? ユーヤは踊るの好きじゃないのに……」
シルの心配そうな声に、一度ぎゅっと目を閉じてから目を開けてシルを見た。
「大丈夫。少し疲れただけ」
俺が大丈夫と言っても、シルは安心してくれない。きっと俺はこれまで大丈夫じゃないときに「大丈夫」って言い過ぎてしまったんだと思う。
心配そうな顔のシルに、俺は笑いかける。
「シルと踊るの、楽しかった」
シルはじっと俺の顔を見て、それからほっとしたように笑った。
「わたしも楽しかった。ユーヤと一緒に踊るの、嬉しい」
くらくらするのは落ち着いてきたけど、なんだか目の前のシル以外はぼんやりとして見えた。夜の中で、シルだけが眩しいくらいにきらきらとしていた。
『第十四章 巨人の湖』終わり
『第十五章 雪の季節』へ続く