第四話 崖の上で
シルは骨が連なったブレスレットを買ったし、俺はコココヤを買うことになった。お金はルームさんを経由して支払う。
ルームさんとお姉さんが何かやりとりして、そこから何がどうなったのか、お姉さん──カラムランさんという名前らしい──も一緒に来ることになった。もともと知り合いだったりしたのだろうか、とも思うけど、よくわからない。
買ったコココヤをバッグにしまおうとして、止められた。手に持っていくらしい。カラムランさんもコココヤを持っている。そういえば鳥除けだったな、と思い出す。歩きながら音を鳴らしたりするのかもしれない。
カラムランさんが先頭で、踊るような足取りで進む。何かを話しながら──残念なことに、その言葉はあまり聞き取れなかったけど──時々振り返って、後について歩く俺とシルを振り返る。ルームさんは一番後ろからついてきてくれていた。
ときどき誰かとすれ違うと、カラムランさんはコココヤを持った手を振って、かかかっと音を鳴らし合った。
横穴に入って、その先にある長い階段を登った先が、崖の上。
最初に思ったのは、眩しい、だった。上から差し込んでくる切り取られた光じゃなくて、周りにそのままの光がある。当たり前の光景なのに、光の少なさに慣れてしまってたことに気付く。
強い風が吹き抜ける。かろかろ、という音が鳴り響く。
明るさに慣れた目で辺りを見回すと、どうやら畑のような場所らしい。畑の周りに棒を立てて、その間に紐を巡らせて、たくさんのコココヤがぶら下げてある。それがひっきりなしにぶつかり合って、かろかろ、かろかろ、と音を鳴らす。
その音の中で、大きな帽子のようなものを被って、畑仕事をしている人もいた。
カラムランさんがコココヤを鳴らしながら空を見上げる。空高くに鳥の影がいくつか見えた。俺の方を振り返って、多分コココヤを鳴らせと言われたんだと思う。
俺は素直に手を振って、かか、かかか、と音を鳴らす。これは演奏じゃなくて、鳥除けの音だから、自信がないとか恥ずかしがるような状況じゃない、というのはわかっているつもりだ。
畑を通り過ぎた先には小川があった。その流れる先を見れば、崖の隙間に落ちているみたいだった。小川の落ちる先に、崖の向こう岸が見える。下から見上げた時は細長く見えていた空の隙間だけど、こうやって近くに立てば向こう岸はかなりの距離がある。そして、どこまで続くかわからないほど深くも見えた。
ルームさんに、その小川の向こうは駄目と言われる。シルにも伝えてから、はいと応える。向こう側には草地が続いている。そのずっと向こうには、森のようにこんもりとした木々も見えた。ここが崖の上だと、この景色だけを見てもわからないくらいだ。
草地の中に、牛のような体の大きな生き物が見えた。ルームさんがそれを指差して「ワンマ」と言った。ワンマという言葉はついさっき聞いたばかりだ。
俺は、振っていた手を止めて、コココヤを持ち上げて見せる。
「ワンマ?」
「はい」
遠くに見える牛の姿を見て、それから手の中のコココヤの姿を見る。そうか、あの生き物の骨がこんなふうに楽器になるのか、とその骨の形を想像する。
コココヤを握っている手を、ルームさんが軽く叩く。音を鳴らせと言われているらしい。慌てて手を振って音を出す。
空を見上げたら、頭上を飛んでいた鳥の影はさっきよりも数を減らしていた。音を出しているからなのか、タイミングの問題なのかはわからない。もしかしたら、シルがいるからなんじゃないかって、少しだけ考えたりもした。
ルームさんの話によると、クフ・プワに入っていた肉も、どうやら牛のものらしい。肉を食べて、骨も活用して、きっと身近な生き物なんだろうな、なんて思う。
相変わらずシルは言葉がわかってないのだけど、カラムランさんは気にすることもなく話しかけている。今は、どうやらカラムランさんが新しい踊り方をシルに教えているらしい。
言葉はわからなくても、シルはカラムランさんの動きを見て、真似をする。細かいところは真似できていないみたいだけど、カラムランさんが何度かやってみせているうちに、段々と上手くなっているように見える。
カラムランさんがコココヤを打ち鳴らすリズムに合わせて、シルは跳ねて、回って。強い風が吹き付ける中で、髪が乱れて広がるのも構わずに回って、それから大きく首を振って顔にかかる髪を払った。光が零れ落ちるように、髪が揺れて、落ちる。
俺と目が合う度に、シルは目を細める。それに応えるように、俺は手を振って、かかか、とコココヤを鳴らした。
シルに見せるために踊っていたカラムランさんが、急にこちらを見て、こちらに向かってコココヤを突き出して、振ってみせた。
俺──ではなく、どうやら俺の隣に立っているルームさんを呼んでいるみたいだった。
ルームさんは眉を寄せて「マウ・ラウー」と言った。カラムランさんは「ラウー」と笑う。何度かそのやりとりが続いた後に、ルームさんは大きく息を吐いた。まるで溜息のようだった。
眉を寄せたままのルームさんに言われて、俺は握っていたコココヤを渡した。ルームさんはそれを握りしめて、カラムランさんの隣まで歩いてゆく。カラムランさんは笑っていた。
「カージュ・パティ・カイティタ」
カラムランさんの声に、ルームさんはまた大きく息を吐いた。そして何も言わずに、コココヤを持った右手をカラムランさんの方に向ける。
「パンムタア」
強い風が吹き抜けた後、カラムランさんがそう言った。それが始まりの合図なのか、ルームさんの手が動き始めた。かかか、と音が響く。その手が、一度引いて、また前に伸びる。
カラムランさんは、その手に向かってコココヤを持った右手を伸ばす。近付くかと思った距離は、すぐに離れる。ルームさんが踏み出せば、カラムランさんはくるりと回ってその手を逃れる。
両腕を広げて、伸ばして、カラムランさんを捕まえようとするルームさんの周りを、カラムランさんは跳ねて、回る。カラムランさんがルームさんを翻弄しているように見えて──これはきっと、そういう踊りなんだと思った。
二人の距離が近付いた一瞬、視線を交わして笑い合う。ルームさんの広げた腕の中に入り込んだカラムランさんは、けれどすぐにするりと抜け出して、風の中を跳ねる。ルームさんのコココヤがそれを追いかけて、すぐに引いて、ぐるりと回ってやってくるカラムランさんを待ち構える。
ルームさんは翻弄されているようでいて、じっとしていないカラムランさんを見守っているみたいにも見える。
やがて、ルームさんの左手がカラムランさんの左手を捕まえて、カラムランさんはその場でくるりと回る。二人のコココヤの音が重なる。
それが多分踊りの終わりだ。何回か瞬きをする間、二人は視線を合わせたままじっと、動かないでいた。
「パンムタア」
カラムランさんの声に、ルームさんは掴んでいたカラムランさんの手をぱっと離すと、眉を寄せて息を吐いた。
ルームさんが何も言わないからか、カラムランさんがまた言葉を続ける。
「カイティタ」
ルームさんはもう一度息を吐いて、投げやりな調子で応えた。
「カイティタ・カイティタ」
ルームさんはそのまま俺のところに来て、俺の手にコココヤを押し付ける。俺は、何も言えないままそれを受け取る。
「今の、あれ、楽しそう!」
シルが何かを期待する目で俺を見るけど、俺は目を逸らしてしまった。目を逸らすことなんか、何もなかったはずなのに、とは自分でも思う。
あの二人はただ、踊っていただけだ。きっと、決まった踊り方があって、その通りに踊っていただけ。それに、俺は二人がどんな関係か知らない。もともと知り合いなのか、どうなのかも知らない。
そう思うのに、さっきの、踊っている間の、視線を交わして笑い合うカラムランさんとルームさんの姿を思い出してしまう。なんだかあの瞬間、あの二人が恋人どうしのように見えてしまったから、それで変なふうに意識してしまって──ただ、それだけのことだと思う。