第六話 シルのお世話
店のおじさんとの会話はなかなかうまく行かなかった。俺がこの辺りの言葉をまだあまり覚えていないせいだ。それでも何度も聞き直す俺を、おじさんは邪険にせずに──もしかしたら、内心は違ったのかもしれないけど──根気良く付き合ってくれた。
白い丸い石は、バイグォ・ハイと呼ぶらしい。そこに書かれたカエルのような生き物がバイグォなのだそうだ。
そういえば、その話の中で、夜にぎこぎこと響いていた音の正体はカエルの鳴き声だとわかった。カエルのことをバイグォというのかと思ったけど、その両手のひらの上に乗るほどの大きなカエルのことは、グォと呼ぶらしい。
バイグォとグォの違いは、説明してもらったと思うけど、よくわからなかった。でもきっと、とても大きなカエルのことをバイグォと呼ぶんじゃないかと思う。根拠はないけど、そんな気がした。つまり、この大きな湖は、とても大きなカエルに関係したもので、だからあの地図にバツ印があったんじゃないかと考えた。
本当はその辺りのことをもっと聞きたくて、両手を広げたり、湖を指差してみたり、いろいろ試したのだけれど、あまり伝わらなかったみたいだった。
通じない言葉に、溜息をつく。
もうかなりの時間をおじさんとやりとりしていた。嫌な顔はされてないと思うけど、だからっていつまでも話しているわけにはいかない。それに、俺が言葉を知らない間は、どれだけ説明されてもわかることはほんの少ししかない。
きっとまた機会はあるだろうと思って、切り上げることにした。
「何か買おうと思うけど、シルはどれが良いと思う?」
これだけ話して何も買わないのは申し訳ない。せめて何か買おうと思って、シルの方を見る。品物を眺めていたシルは、俺の方を見て瞬きをした。
「ユーヤは? それを買うんじゃないの?」
シルの指先が、白い丸い石──大きなカエルが描かれたそれを指差した。
俺はまた、そこに並んでいる白い石を見る。荷物の心配はしなくて良いから買っても構わない。それに、ドラゴンの絵と同じで、これも手がかりのようなものかもしれない。
「そうだね、買おうかな。シルも欲しいものがあったら」
「わたし、わたしも、それが欲しい」
俺の言葉が終わる前に、シルはそう言った。それで、なんだ、欲しかったのかと気付いて、俺は大きなカエルが描かれたその石を指差しておじさんに「欲しい」と伝えた。
おじさんは頷いて、それを一つ持ち上げて、確認するように俺を見た。シルを見て「これで良い?」と聞けば、シルは頷く。
それで俺は、何気なくシルに聞く。
「他にも何か買う?」
シルはびっくりしたように目を見開いて、それから大きく首を振った。
「違う。二つ。二つが良い」
シルが二つ欲しいというその言葉がなんだかぴんとこなくて、俺は並んでいる石を見た。大きなカエルが描かれたものと、その隣は魚だろうか。船が描かれたものもある。
「二つ買うなら、別の模様のにする?」
シルがまた首を振った。銀色の髪がふわりと広がる。
「同じにする。同じが良い」
シルがどうして同じものを欲しがっているのかがわからなくて、それでもまあ、二つ買って困るものでもないし二つ買えば良いかと、俺は頷いた。シルに「もう一つどれにする?」と聞けば、シルは「こっちはユーヤが選んで」と言う。
それで、並んだ大きなカエルの中から一つを選んで──正直、どれもそんなに変わりはないように見えたんだけど、なんとなくで選んだ──それを指差した。
おじさんには意図が伝わらなくて、ちょっともたついたけど、二つ買いたいってことはなんとか伝わった。そのやりとりの中で、一が「フヌ」で二が「ソン」だっていう確信が持てた。
話に付き合ってくれたお礼の気持ちも込めて、示された枚数よりも多めのコインを渡す。そのコインを見て、おじさんはちょっと眉を上げたけど、何か言われる前に「ありがとう」と言って、その場を離れてしまった。
少し歩いた先で、シルに石を二つ渡すと、シルは両手に一つずつ持って二つを見比べるように眺めた。それから、片方を俺に向かって差し出してくる。
「こっちはユーヤの」
「俺の?」
俺は瞬きを返す。だって、そういうことだって、思ってなかった。
ぽかんとしている俺の胸元に、シルがその石を押し付けてきて、それで俺はそれを受け取る。ただ白いだけの普通の石のように見えていたけど、手の中ではまるでバイルッアーの光のように見えた。
「うん。こっちはわたしの分。だから、そっちはユーヤの分ね」
そう言って、満足そうにシルは目を細めた。
その表情を見て、そうかこれも「お世話」なんだって気付いた。
ここまで、いろんな場所に行った。いろんなものを見た。シルはいろんなものを欲しがって、シルが欲しいと思うものを買うことも多かった。そして、俺は買ったものをシルに渡して──そういうことを、シルもしたくなったのかもしれない。
「ありがとう」
そう言えば、シルは大きく頷いた。それから、きらきらとした瞳を細めたまま、自分の手の中のその石を見る。
俺は自分が受け取った石を握り締める。
シルが俺を「お世話」したいと思う気持ちは嬉しくて、でも少しだけ、ほんの少しだけさみしいような気もした。きっとこうやって、俺がいなくても大丈夫になっていくのかもしれないって。
それからシルが「お腹空いた」って言い出して、朝ご飯がまだだったことを思い出した。それで、今度こそ食べ物を探して歩いた。
出会ってすぐはぼんやりとしたまま俺に手を引かれていたシルが、今は俺を引っ張って歩いている。
「いっぱい乗っけるの、また食べたい。他にも食べたいものがあったんだけど、またあるかな」
「探してみよう」
だんだんと高くなってきた日差しの中で、シルが振り返る。シルの長い銀色の髪が、風に膨らんで湖面の波のように揺れる。日差しを白く跳ね返してきらきらと輝いているのも、波みたいだ。
「ユーヤは? ユーヤは食べたいものある?」
期待に満ちたアイスブルーの瞳が、俺を見て細められる。ざわりと波の音が響く。
変な言い方をするけど、奇跡みたいだと思った。こんなふうに、シルが楽しそうに笑っているのが。こうやって、二人で歩いているのが。
はしゃぐままに引かれる手を強く握り返して、俺はシルに応える。
「食べたいもの、あるよ。昨日は食べ損ねたんだけど、白いもの」
「白い?」
「そう、白くて、このくらいの大きさに切ってあって」
俺が片手で大きさを示すのを見て、シルは笑った。
「わかんない。でも、わたしも食べてみたい」
二人で笑って、並んで歩く。どれがそうかな、何を食べようかって話しながら、店先を覗いて歩いた。
俺が気になっていた白いものは、寒天のようなものだった。白い甘いものを何かで固めたらしい、甘いお菓子。そのまま食べたりもするし、果物やジャムと一緒に食べたりもする。喉をつるりと通ってゆくのが美味しい。
フーワ・デチョンという名前のそのお菓子を、シルは匙で掬って俺に食べさせてくれた。どうやらまだ、シルのお世話は続くらしい。
『第十二章 大蛙の湖』終わり
『第十三章 精霊の谷』へ続く