第三話 ドゥルサ・ナガ
砂浜にいると、ウリングモラの人たちが朝ご飯にするための魚や貝を獲る様子が見える。こうやって獲ったものをウリングラスに持っていって、火を熾して──あるいは火を熾しているところに混ぜてもらって、みんなで食べる。
何か手伝わなくて良いのだろうかと思ったけど、ウワドゥさんが「ナーナン」と言うので、ただぼんやりと立っていた。ナーナンというのは、多分「大丈夫」に近い意味だ。
シルは、波打ち際で爪先を濡らしたり、浅瀬に手を突っ込んで何かを拾い上げたり、そんなことをしていた。その様子を眺めながら、ウワドゥさんと拙いお喋りをする。
ウリングモラの森を囲むドーナツ状の砂浜の島は、この辺りの言葉で「ドゥルサ・ナガ」と呼ぶらしい。
ウワドゥさんは、俺の背中を軽く叩いて「ドゥルサ」と言った。最初はその意味がわからなかったのだけど、どうやら「ドゥルサ」というのは「背中」のことみたいだった。
だったら「ナガ」はどういう意味だろうかと聞けば、ウワドゥさんはちょっと考えるように黙った。
やがてウワドゥさんはしゃがみこんで、砂浜に落ちていた貝殻を拾うと、それで砂浜に線を引いた。細長くて波打つ線の先に丸。その丸を指して「頭」と言う。
俺も隣にしゃがんで、その線を見る。
「セスト・名前・ウーラ」
「ウーラ?」
ウワドゥさんの言葉を繰り返すと、ウワドゥさんは頷いて握っていた貝を放った。
「魚、アー……魚」
タザーヘル・ガニュンの言葉で言った後に、オージャ語で言い直してくれた。どうやら、こういう蛇のように細長い魚がいるってことみたいだ。「ウーラ」というのが、多分その名前なんだと思う。
ウナギとかアナゴの姿を思い出そうとするけど、最初に出てくるのは蒲焼きの姿だ。その後ようやく、海底の穴から顔を覗かせる細長い魚を思い出す。あんな感じの魚なんだろうか。
それがどうやって「ナガ」に繋がるのかがよくわからないので、黙ってウワドゥさんの言葉の続きを待つ。
「ウーラ……ヴィディリッハ」
ウワドゥさんが両手を広げてみせる。「ヴィディリッハ」──「ヴィディバ」なら、何かを指し示して「これ」って言うときの言葉だ。それに似た意味だろうか。両手を広げてる意味はなんだろう。
その手を真似して目の前で両手を広げて、足元のウーラの絵を見て、ウワドゥさんの開いた手は、ウーラの大きさ──長さを伝えようとしてくれてるんじゃないかと、気付いた。それを確かめたいのに、頭の中でいろんな言葉がこんがらがる。
「大きさ? 長さ? えっと……」
言葉に詰まる俺に、ウワドゥさんはもう一度、今度はゆっくりと言った。
「ヴィディリッハ……これ・アトゥイル・ウーラ」
ウワドゥさんの言葉の意味はわからなかったけど、俺は頷いた。両手を広げて、それを砂浜に書かれたウーラの絵に近付ける。
「ウーラ、大きい、これ……大きい」
俺のめちゃくちゃな言葉に、ウワドゥさんは声を上げて笑った。何も伝えられた気はしないのに、何かが伝わった手応えだけがある。
そんな、めちゃくちゃな会話を続けて、「ナガ」について教えてもらった。どうやら「ナガ」というのは大きなウーラらしい。
ナガがどのくらい大きいかと言えば、今いるこのドーナツ状の砂浜が「ナガの背中」と呼ばれているくらいで──つまりは、この島の大きさくらい。
本当にそういう生き物がいたのかはわからない。でもアズムル・クビーラには実際にドラゴンがいたわけだし、この島だって本当にナガの体の上なのかもしれないとも思う。
ナガの背中──大きな生き物の背中の島。本当にいたかどうかはわからないけど、でも、大きな生き物がいたと言われている場所。
それが、海の中のバツ印の意味だろうか。
さっきウワドゥさんが放った貝殻を拾って、砂浜に線を引く。あの地図を思い出しながら──もちろん、あんなに詳細な地図は書けないから、とてもざっくりとした地図だけど。
ウリングラスとタザーヘル・ガニュン、その向こうに内海があって、そこには一つの雨とたくさんの島があって、内海を挟んだ向こうには二つの川の街。その川の片方を遡って、そのさらに先にシルがいたあの場所。
面白そうに見ていたウワドゥさんが、二つの川が合流するところを指差す。
「二つの川の街・か?」
「はい」
俺の返事に、今度は内海を渡って広い砂漠の辺りを指差す。
「タザーヘル・ガニュン・か?」
「はい」
アズムル・クビーラには、ドラゴンがいると言われていて、実際に大きな頭蓋骨があった。大きなドラゴンのような──本当にドラゴンかどうかはわからない、けど多分ドラゴンの骨。
一つの雨とたくさんの島のドラゴンの島にはドラゴンはいなかった。けれど、ドラゴンの絵が描かれた地図があって、何かしらドラゴンに関係した場所だったのかもしれない。俺が知らなかっただけで。
俺は、ドラゴンの島の辺りを指差して、ウワドゥさんを見る。
「ドラゴン・いる・ドラゴンの島・か?」
俺の問いかけに、ウワドゥさんは真面目な顔になる。俺の表情を見て、静かな声で言った。
「いいえ……いいえ」
そうだろうな、とは思っていた。だからそんなに落胆したつもりもなかったのだけれど、自分が描いた地図を見ていたら、ウワドゥさんが俺の頭に手を置いた。
「ドラゴン・リラ・いる・ドラゴンの島に」
ドラゴンはいない。ドラゴンはいる。いるかという問いにいいえと答えたばかりで、どうしているなんて言うのか。
それとも、俺が言葉を間違えてるのか。「クイ」と「リラ・クイ」で意味が違うのかもしれない。
考えても意味がわからなくて、俺は首を振った。この仕草だって、伝わらないことはわかっている。けど、でも他にどうして良いかわからなかった。
ウワドゥさんは、俺の頭に手を置いたまま、諦めずに言葉を続ける。
「ストゥラズム・ある」
「ストゥラズム?」
「トーリァ・メ・イオージア・エナ・ド・ラーゴ」
「トーリァ?」
だというのに、俺はウワドゥさんが何を言っているのか、ちっともわからない。困って何も言えなくなって俯いた。
ここまで、ずっと旅をしてきて──いろんなものを見て、いろんなことを知ったつもりだったけど、けれどまだ全然足りない。知らないことばかりだ、と思い知る。
そんな俺の頭を、ウワドゥさんの手が乱暴に掻き回す。
「アーヤ・アーヤ」
明るい声でそう言って、ウワドゥさんは立ち上がった。
「あなた・大丈夫」
軽くなった頭に降ってきた声を見上げると、ウワドゥさんは笑っていた。そして、もう一度、はっきりと言った。
「大丈夫」
その声を真似て、小さく「ナーナン」と呟く。トゥットゥ、ニャアダ、ダイジョウブ。
俺も立ち上がって、ウワドゥさんに笑ってみせた。
「うん、ダイジョウブ」
その言葉の意味を、ウワドゥさんは知らない。それでも面白そうに笑っていたから、多分何か少しくらいは伝わっているんだと思う。