第一話 俺の分、シルの分
ウリングラスの森から見えた島影は、ウリングモラと呼ぶらしい。ウリングラスのラスはどうやら森の意味で、ウリングモラのモラは海のこと。
海岸沿いの森がウリングラス、そこから少し離れた海の中の島がウリングモラ。そこには、よく似た雰囲気の人たちが暮らしている。見た目もそうだし、生活もよく似ている。あとは言葉も同じだ。
ウリングモラの島は、大きなドーナツの形をしている。ぐるりと丸い砂浜は輪っかになっていて、その内側の海には木々が存分に根っこを伸ばしている。その根っこの上に板が渡され、森の中で暮らす様子はウリングラスとあまり違いがない。
ウリングラスとの大きな違いは、ケワデデがいないことらしい。ケワデデというのは多分だけど肉食獣で、大きいので危ない。ウリングラスに比べて水や食べ物の入手が大変に見えたけど、それでも海の上で暮らしているのは、そういう理由があるのかもしれない。
とは言っても、ウリングラスとは舟で気楽に行き来できる距離なので、昼間はウリングラスで過ごして食事を摂って、夜はウリングモラに戻って寝る、という過ごし方をする人が多いみたいだった。
ウリングモラの人たちは、ウリングラスに行くときは魚や貝を獲って持ってゆく。そして、ウリングラスの砂浜でみんなで火を熾してご飯を食べて、歌って踊って雨宿りして、陸地で汲んだ水や、陸にしかない食べ物を島に持ち帰る。
それだって大雨や海の様子次第で、ウリングモラで寝たりウリングラスで寝たり、みんな気ままなので、もしかしたらどっちで暮らしている人という区別もあまりないのかもしれない。
朝方の大雨の激しい音で目を覚ます。ウリングモラの大雨は、ウリングラスよりも風や波の音が激しく聞こえる気がしたけど、海が近いと知っているから、そう聞こえるだけかもしれない。
隣のシルがまだ眠っていることを確認して、そっと起き上がる。布を引っ張ってシルに掛け直して、それから両手をあげて伸びをした。
落ちかかってくる髪を結んでいたら、近くでウワドゥさんも起き上がって、同じように伸びをしたのが見えた。目が合うと、ウワドゥさんは笑って、ドライロヌムをくれた。
「ありがとう」
大雨の音の中、俺の声はウワドゥさんに届いたかわからない。ウワドゥさんは、片手を軽く握っておでこに当てた。お礼を言うと、よくこの仕草が返ってくる。タイミング的に「どういたしまして」だと思っているけど、正しい意味はわからない。
俺は手の中のロヌムを見て、それから隣で寝ているシルを見て、シルが起きてから食べようと考える。そうやって食べないでいたら、ウワドゥさんは顔を顰めてドライロヌムをもう一切れ、俺の手の上に乗せた。
そして、俺の手の上のドライロヌムを指差す。
「アー、これ・ユーヤの分。これ・シルの分」
ウワドゥさんの口調は強めだったけれど、俺がすぐに食べなかったから、俺が食べやすいようにとわざわざシルの分を渡してくれたのだということがわかった。
「あ、えっと……ありがとう」
俺のお礼に、ウワドゥさんはまだ納得していないみたいだった。ドライロヌムに向けていた指先を、今度は俺の鼻先に突き付ける。
「アテム・ターク・バリ」
咄嗟に、意味がわからなかった。ええと、確かアテムは相手のことで、タークは「食べる」で、バリは指示するときの言葉だから──そうやって頭の中で言葉を組み立てていたら、ウワドゥさんはもう一度、今度はさっきよりもゆっくりと言った。
「ユーヤ・ム・食べる・しなさい・ハーバ・ユーヤの分」
大雨の音をものともしないその語気の強さに、俺は頷く。頷く動作の意味が伝わらないというのはわかっていても、つい頷いてしまう。慌てて声を出した。
「はい!」
俺の返事に、ウワドゥさんはようやく指先を降ろす。それでもまだじっと俺を見ているので、俺は右手のひらに乗ったドライロヌムを左手で一切れ持ち上げて、一口噛みちぎった。ウワドゥさんは俺の様子を見て、一言「ネメ」と言った。
この場合のネメはどういう意味だろう。はい、そうです、その通り、合ってる──なんにせよ、俺に食べて欲しかったということらしい。ロヌムのざらりとした食感が舌を撫でて、ぎゅっと甘さを感じる。それを飲み込んでから、俺はもう一度ウワドゥさんにお礼を言った。
「ありがとう」
ウワドゥさんはもう一度「ネメ」と言って、軽く握った拳をおでこに当ててから、自分もドライロヌムを一切れ持って、それを勢いよく噛みちぎった。
しばらくして起き出したシルに、シルの分のドライロヌムを渡す。
「ユーヤも食べる?」
ちょっとぼんやりしたままのシルが、ドライロヌムを握り締めてそう言った。
「俺はもう食べたよ」
俺の言葉に、シルは瞬きをして俺を見る。俺はシルが握っているドライロヌムを指差した。
「これは、シルの分。だから、シルが食べて」
そう言ってから、さっきのウワドゥさんと同じことをしていると気付いた。ウワドゥさんも、こんな気持ちだったんだろうか。
シルは首を傾けて、自分が持っているドライロヌムを見る。納得したのかどうか、わからない。
それでも、俺が櫛を出してシルの髪を梳かし始めたら、シルは大人しく握り締めたロヌムを齧り始めた。