第五話 青いソーダ味
ビーダというのは、卵のことだ。スラク・ビーダという名前で出てきたものは茹で卵だった。
ファヤというのは、どうやら豆のことらしい。スラク・ファヤという名前で出てきたものは、豆を煮たもの。
煮た豆を器に盛って、茹で卵をそこに入れて、スプーンで茹で卵を潰しながら混ぜる。そこに、調味料や香辛料をかけた料理が、豆と卵だ。
みんな例の赤い辛いソースだとか辛い香辛料だとかをたっぷりかけて食べている。シルも辛いやつをかけていたけど、俺は塩と少しの香辛料をかけただけにしておいた。
何種類かの豆は、火が通って舌でも潰れるくらいには柔らかいけど、身がぎゅっと詰まってぽくぽくとしていて、噛んでいて満足感がある。豆の種類による味の違いはよくわからなかったけど、甘みがあって食べやすかった。
塩味と、少しのアクセント程度の香辛料の刺激。少しぴりっとして、ハーブのようなすっと抜けるにおいが、食欲を誘う気がする。
茹で卵のボリュームもあって、とても食べ応えのある料理だった。
シルはよほど辛いやつが気に入ったのか、揚げ物にも付けて食べている。
機嫌良さそうに目を細めているけど、見ているとどうにも痛そうに見える。それは、俺が自分では食べられないからそう思うだけなのかもしれないけど。
ファッフェの衣はぼってりと厚くてふわふわしている。表面に衣を付けているのではなく、衣の生地の中に具材を混ぜ込んで揚げていた。
野菜を刻んだ具のファッフェは、掻き揚げのような感じだった。香辛料のにおいのふわふわとした衣を噛むと、しゃきっとした歯ごたえの野菜が出てくる。油で揚がった野菜は甘みが強くて、少しの塩でもじゅうぶん美味しかった。
何かの肉を揚げたものの方は、肉汁が少なくて思ったよりも淡白な味だった。噛みごたえのある肉だったけど、その分なのか旨味が強い。衣のおかげか油のおかげかはわからないけど、ぱさぱさした感じはない。飲み込むと肉を食べたという満足感が湧き上がってくる。
食後にかき氷を食べていたら、不意に日本で過ごした暑い日のことを思い出した。学校帰りで、みんな夏服で、まだマスクをしていなかったし、みんなで何か食べるのが当たり前だった頃だ。
あまりの暑さにみんなでコンビニに入って涼んで、ついでにアイスを買った。青いソーダ味の棒付きアイス。しゃりしゃりと冷たくて、べたべたと甘い。あの甘さは今思い返せば、本当に、信じられないくらいだ。
みんなで歩きながらアイスを食べて、なんの話をしてたっけ。担任の口癖の真似とか、宿題の話とか、選択授業のこととか、最近面白かった動画とか。スマホで動画を見せ合ったり、誰かが撮った写真をみんなで回し見したり。
例えば、今ここで「今なら日本に戻れる」と言われて、俺は日本に戻ることを選べるだろうか。
ざくざくとスプーンを差し込んで、かき氷を口に運ぶシルを見る。溶け始めて、スプーンの先から雫がぽたりと落ちるのも構わず、シルは大きな口を開けてくわえる。そのまま顎をあげて飲み込んで、嬉しそうに目を細めていた。
例えば、今ここでドラゴンが見付かって、シルとの旅が終わってしまうとしたら、俺はこれから何をしたら良いんだろうか。
日本に戻れるあてはないし、旅はいずれ終わると思う。その時に、俺はどうするんだろう。
だから、どうしても、少しだけ──ほんの少しだけ考えてしまう。このまま旅が続けば良いって。
シルの顎に、溶けた氷がつ、と流れ落ちる。俺がハンカチを出して手を差し伸べる前に、シルは自分のポシェットの中からハンカチ代わりの布を出して、自分で口の周りを拭いた。
俺は行き場をなくしたハンカチで、意味もなく指先を拭った。
このまま旅が続いたとしても、シルはいつか俺を必要としなくなるのかもしれない。
俺はその時、どうするんだろうか。できることも、やりたいことも、俺には何もないような気がしてくる。
シルがドラゴンの骨をもう一度見たいと言い出して、また案内を頼んで地下に降りた。
案内の人は昨日と同じ人で、俺とシルを見て変な顔をした。何度も来るのが珍しいのかもしれない。
冷たくて透明な石の前で、二人で並んで立ってその向こうのドラゴンの骨を見上げる。
シルはしばらくの間、ぼんやりとそうしていたけど、俺と繋いでない方の手を持ち上げて目の前の壁に触れた。俺も真似して触れたけど、冷たくてすぐに引っ込めてしまった。
「わたしも、こうなるのかな」
小さな声でシルが呟く。俺には、何も答えられない。
シルは冷たくて透明な石を欲しがった。案内の人に買いたいと言ったけど、これもまた変な顔をされた。
もしかしたら、貴重なものだから買えないとかだろうか。
しばらくそうやってあまり通じないやりとりをしていたのだけど、最終的には道を教えてくれた。多分、石の店があるんだと思う。
あっちと言われた方に進む。道ゆくエーラーナーにシルが怯えられたり、俺が絡まれたり、絡んできたエーラーナーをシルがまた怯えさせたりすることになる。
道を確認しようと立ち止まって振り向いたら、突然、首筋にエーラーナーの頭が押し付けられて、本気で驚いて声を上げてしまった。
連れていた人が何事かを言いながら慌ててエーラーナーを引っ張る。多分、謝ってくれてるんだと思う。シルが一歩踏み出したら、慌てたようにばたばたと離れて、そのまま通り過ぎて行った。
そうやって辿り着いた店には、ジラル・アレムが並んでいた。灯りの器によく使われている、光を通すあの石だ。
そこで見たいと伝えて、見せてもらったラハル・クビーラは、冷たくなかった。白く曇った石は、触っても滑らかな石の感触しかしない。
店の人が奥に引っ込んで、布に包んだラハル・クビーラを持ってくる。そっちは布越しでも、冷たさがわかるほどだ。そして、さっき地下で見たように透き通った色をしている。
両方ともラハル・クビーラだと言われて、どういうことかとしばらく悩んだ。
店の人のオージャ語はかなりの片言で、この辺りの言葉も混ざっていて、説明のほとんどは理解できなかった。
だからこれは、後でわかったことや推測も含まれているのだけど、どうやらアズムル・クビーラの地下から掘り出されたラハル・クビーラは、時間と共にその冷たさを失うらしかった。
冷たさが失われると、透明な石も少しずつ曇る。
曇ったラハル・クビーラは、この街で地面の下にしばらく埋めたままにしておけば、また冷たさを取り戻す。街の人は、街から出るときには、そうやって冷たくなったラハル・クビーラを持っていくらしい。暑さをしのぐために。
アズムル・クビーラを離れると冷たくなくなってしまうので、それを買いたいと言う人はいないみたいだった。装飾品などにも使われない。
誰かが借りてゆくことはあっても、みんな曇ったら、戻しにくる。
買いたいと言ったら、ここでも変な顔をされた。
少しだけで良いと何度も言って、頼み込んで、ようやく小さなカケラを一つ譲ってもらった。こないだ買った丸い石と同じくらいの大きさだった。
白く曇っているし、もう冷たくもない。それでもシルは、嬉しそうな顔でそれを握り締めた。それからそっと手を開いて、手のひらの上に乗っているそれを眺める。
シルはラハル・クビーラをもう一度握り締めてから、それをポシェットの中にしまった。