第六話 星の名前と探し方
おじさんに「買いたい、地図」と告げて、地図を売ってる店を教えてもらった。
あっちの方と示されて通りを歩く。地図は道路に並んでいなくて、何度か行ったり来たりしてしまった。
その建物の中は薄暗くて、灯りがほとんどない。入り口でためらっていると、奥から火を灯した石の器を持ったおじさんが出てきた。手に持っている灯りが下からおじさんの顔を照らしているので、少し怖く感じる。
最初に、多分この辺りの言葉で何かを言われたけど、俺は首を振った。
「俺、少しだけ、言葉……オージャ」
おじさんは、灯りを手にしたまま近付いてきて、俺とシルの顔を交互に見た。
「あなた・買う・か?・地図」
「はい、買いたい、地図」
「来る」
おじさんの灯す火に導かれるままに店内に入った。
海に突き出た岬と、引っ込んだ湾。ここが、この街。そこに流れ込む川は、大きく曲がりくねっている。その川沿いに、いくつかの街があるみたいだった。
それ以外は、ほとんどが砂漠。その白紙の中に、ぽつぽつと目印らしき丸が描かれている。隣に文字らしきものも描かれているけど、俺には模様にしか見えない。
小さな四角──菱形を何かの形に並べて線で繋げたものもところどころに描かれている。これも文字なんだろうか。それとも、何かの図形か。
「わたしたち、行きたい……ええっと、アズムル・クビーラ」
「アー」
おじさんは、地図の上の一点を指差した。砂漠の真っ只中。他よりも大きな街らしい。
「見る・アテリ・メ・魚」
おじさんが当たり前のように言うけれど、意味がわからなかった。「魚?」と聞き返すと「ジマトル・魚」と言われた。
ジマトルは初めて聞く言葉だった。オージャ語のアテリも。
いや、アテリの方はどこかで聞いたことはあるのかもしれない。でも、これまで気にしてなかった言葉だ。魚に関係がある何かだろうか。
考え込んでしまった俺に、おじさんは地図を指し示す。その指先には、小さな菱形を線で繋いだ形。一筆書きのようなその線は、言われてみれば確かに魚にも見える、ような。
でも言われれば何にだって見える。そんな、単純で曖昧な形だ。
「来る」
おじさんが石の器を持たずに歩き出して、店の外に出た。シルと手を繋いで、それに続く。
店の外で、おじさんは空を見上げていた。視線を追って、そして気付く。気付けば簡単なことだった。
「星だ」
世界を覆うような暗い空。大きな手がそこにばらまいたように、たくさんの星が瞬いていた。そうか、あの小さな菱形を繋ぐ線は、星座なのか。
「魚の星」
おじさんがそう言って、空のどこかを指し示す。地図に描かれていた形を思い出して、なんとか「あれかな」という形を見付けた。たくさんの星の中から、白い光のこの星と青い光のこの星を、一人で見付けられる気はしなかった。
おじさんはぐるりと空を見回して、指差しながら何かを教えてくれている。正直、言っている言葉はほとんど聞き取れなかったのだけれど、この世界でも星が動くのだろうかと、その内容を想像しながら聞いていた。
目印になる星、それがどう動くか、動くとどう変わるか。そんな話をしているようだった。動いているものをどう目印にするのかは、よくわからなかった。
「アズムル・クビーラ」
最後におじさんは、そう言って魚の星よりも少し右の方を指差した。星の形や動きを知っていれば、その方向がわかるのかもしれない。
俺がやっても迷子になりそうだと思った。砂漠で迷子は困る。
「きらきらして綺麗」
シルが空に手を伸ばす。
なんだか、まるで初めて夜空を見たような気分だ。それとも、この世界に来てから、夜空を見るのが初めてだっただろうか。いや、まさか、でも。
ただずっと、気付かないでここまで来てしまったんだ。
空に伸ばされたシルの指先、その間から、星の光が零れ落ちてくる。
おじさんから地図を買って、地図とは別に絵も買った。岬にあった建物の壁に描かれていた、あの絵に似ている──描かれている人たちは、多分同じだ。
指差して「何?」と聞くと「ルーハ」だと言われた。真ん中に描かれている人が、「タザーヘル・ガニュン」。国の名前と同じらしい。
ワニかトカゲのような頭の人たちは片方が「ルハル・マー」で、もう片方は「ルハル・ナー」というらしい。
聞き覚えのある名前だと考えて、あの辛い串焼きの名前がルハル・ナーだったと思い出す。神様っぽい人の名前と、串焼きの名前が同じで良いのか、自分の記憶違いか、不安になる。
あの辛い煙はやたらあちこちで遭遇したので、名前はまた確認できるだろうとは思うけど。
宿屋に戻ったのは、もうだいぶ遅い時間──深夜もとっくに通り越した後だったと思う。でもまあ、昼間は眠るしかやることがないから、ちょうど良いのかもしれない。
シルがベッドに腰を降ろして、大きなあくびをした。眠ってしまう前にと慌てて、櫛を出してシルの森の飾りを外す。
シルはポシェットから、今日買ったばかりの石を取り出して、部屋の灯りにかざして眺めていた。その様子を見ながら、シルの髪を梳かす。
髪の毛は砂で埃っぽくて、梳かすと時折細かな砂がぱらぱらと落ちた。
「ユーヤ、あのね」
シルが石を握り締めて、不意に顔を上げた。手を止めて、シルの言葉を待つ。
「わたしも約束したい」
「約束……?」
こちらを振り向くように見上げるシルの目は真剣だ。俺はぼんやりとシルを見下ろす。
「うん。わたしは、ユーヤと一緒にいるし、ユーヤを助けるからね。約束」
そんな、どうなるかわからない約束をするのは、良くないと──俺は言えないまま、シルの瞳に映る灯りを見ていた。
「約束のことを考えてた。ユーヤは、わたしのことを助けるって言ってくれた。一緒にいるって言ってくれたでしょ。あれも約束だって気付いたから。わたしも、約束したい」
俺が知っているこれまでのシルに比べると、ずっと強い眼差しだった。
出会ってすぐ、「ユーヤに付いていく」と言っていた頃の、ぼんやりとした表情とは全然違う。その力強さに、俺は言葉を詰まらせた。
「ありがとう」
ようやくそれだけ言って──シルの視線から逃れるように手に持った櫛を見て、それで途中だったことを思い出して髪の毛を梳かす。
「うん」
シルは満足そうに頷いて、また手の中の石を持ち上げてそれを眺めた。
今のシルみたいに、あるいは初めてシルに会った時みたいに、「俺もシルを助けるよ」って言えたら良かったけれど、どうしても言えなかった。
どうすればシルを助けられるのか、俺は今も全然わからない。
「明日も、一緒に美味しいものを食べよう」
今の俺に約束できることなんて、せいぜい明日のことくらい。それでもシルは目を細めて頷いた。
なんだか俺は、ズルいことをしている気がする。
布団の中で、ふと、今日見た星空を思い出して、星の名前と探し方を知りたいと思った。
砂漠で迷わないように。
『第七章 偉大なるガニュン』終わり
『第八章 ドラゴンの骨』へ続く