第二話 トゥットゥとニャアダとダイジョウブ
オール・ディエンの上の層に、村がある。
その村の人たちは、森で採集や狩りもするけれど、オール・ディエンに潜って魚や貝を獲ったりもするらしい。
湖に小舟を出して、その小舟と体を長い紐で結んで、同じように紐を括り付けた石を抱いて湖に潜っている人たちがいる。しばらくすると、小舟の上に残った人が紐を引いて、潜った人を引っ張り上げる。
水に潜る人たちは、みんな白い布を身に纏っている。水着のようなものなんだろうか。
それと、小さな石を首から下げている。これは、照明にも使っている光る石だ。水中での灯り用なんだと思う。
そうやって眺めていると、小舟が行き来している範囲は、だいたい決まっていることがわかる。
ラーロウに身振り付きで説明してもらったところ、岸に近い辺りは浅くて、そこからもう少し奥に進むと深くなるらしい。
それでも、沈んだら戻ることのできない湖に潜ることを想像するとぞくっとする。
湖岸では、何人かの人たちが焚き火を熾して舟の戻りを待っていた。
俺たち──シルと、それからラーロウ──も、その近くで座って、漁の様子をぼんやりと眺めていた。
シルは、漁の様子を不思議そうに眺めていたけれど、やがて指差して「あれ、何?」と聞いてきた。
「あれは、ああやって、水の中にいる魚とか貝を獲ってる」
「魚……」
シルはそうやって小さく呟いて、しばらく何か考えているみたいだった。
「魚、美味しかった」
「うん。それに、前に鱗を買ったよね」
「鱗!」
シルの顔がぱっと輝いた。
ドラゴンの島で買った魚の鱗を、シルは時々取り出して眺めている。
「ああやって、水に潜って、それを獲ってるんだって」
「じゃあ、魚、食べる?」
「えっと……多分? 食べるために獲ってると思うんだけど」
ラーロウの方を見ると、両手を後ろに置いて上半身を倒し気味に、両足はだらりと伸ばして、すっかりくつろいでいた。
「ラーロウ、ええっと……食べたい、魚」
「ダイジョウブ・待つ」
そう言って、ラーロウは拳を握って持ち上げた。これは、ルキエーの肯定のジェスチャー。
「ありがとう」
道中に覚えた、ルキエー語の感謝の言葉を伝えると、ラーロウはいつものように笑った。
「多分だけど、食べられると思うよ、魚」
シルの方を見てそう言うと、シルは嬉しそうに頷いた。
「ボック・ウー……」
ラーロウが何か言いかけて、言い淀む。これは、これまでにもあったけど、ルキエーの言葉で言いかけて言い直そうとしている時だ。
ちょっとだけ間を置いてから、ラーロウはまた言葉を続ける。
「わたしたち・食べられる・ボック……貝」
「ボック……貝?」
「ダイジョウブ。ルキエー、ボック。オージャ、クターチェ」
貝のことを、ルキエーでは「ボック」、オージャでは「クターチェ」という。それで大丈夫らしい。
多分だけど、俺とラーロウはめちゃくちゃな会話をしていると思う。
俺はもちろん知らない言葉の方が多いし、文法となるともっと自信がない。カタコトと、フレーズの繰り返し、そればっかりだ。
ラーロウはオージャ語を知っているけど、ネイティブではない。だから、うまく言えないこともあるし、多分だけど間違ってることもあるみたいだ。咄嗟に出てくるのはルキエーの言葉だったりもする。
俺はそんなラーロウの言葉を真似て繰り返すけど、それが間違っているのかどうか、判断する人は誰もいない。そんな状況だと、きっとめちゃくちゃになるだろうな、と思っている。
ラーロウも俺の言葉を真似したりした。
この間は、ラーロウが突然、両手を合わせて「イタダキマス」と言った。ぽかんとしている俺を見て、ラーロウはいたずらに成功したような顔で俺を見た。
俺は代わりに、自分の胸に手を当てて「ヴァ・ドゥニャア・カブリュ」と言った。全部は言えないけど、そのくらいなら言えるようになっていた。
最近の一番のヒットは「大丈夫」だ。ラーロウは「大丈夫」という言葉をとても面白がっている。これは、俺がしょっちゅうシルに対して「大丈夫?」って言ってるせいかもしれない。
ある時ラーロウに「ダイジョウブ? 何?」と聞かれたけど、俺はうまく説明できなかった。どう説明したら良いかがわからない。
だというのに、少ししたら、ラーロウは意味がわかっているかのように「ダイジョウブ?」を使い出した。俺がシルに声をかけるタイミングと状況を見ているうちに、使い方を把握したらしい。
歩いている途中で、俺がもたついたりすると「ダイジョウブ?」と聞いてくるようになった。
そして次は疑問形ではない「ダイジョウブ」だ。こっちは「トゥットゥ」や「ニャアダ」と同じような意味だと思ったらしい。
これまでは「トゥットゥ」と言っていたような場面で「ダイジョウブ」と言うようになった。
ラーロウの使い方は、こういう時にも言うだろうかと気になることもあるけど、意外と大抵の場面は大丈夫だった。
便利な言葉だったんだな、なんて思いながら、俺はラーロウに対して時々日本語で「大丈夫」と言うようになった。オージャ語で返すこともあるし、ルキエー語のこともある。そこはその時の気分とノリだ。
そんなふうにごちゃ混ぜで話していると、時々どちらかが発した言葉が面白くなってしまって、二人で大笑いしてしまうことがある。
こないだは、俺が混乱してうっかり「ハリガトゥ」って言ってしまったのがきっかけだった。ありがとう、ハリストゥ、似ているんだから仕方ないと思う。ちょっと恥ずかしかった。
慌ててルキエー語で「ありがとう」って言い直そうとしたけれど、その途中で自分で吹き出してしまった。そうしたらラーロウも笑い出した。
そうなったらもう、きっかけも忘れて、二人でしばらく声を上げて笑っていた。
教室で数人でだらっと話している時に、誰かが何気なく言ったなんでもない一言が変に誰かのツボに入って、それに釣られてみんなで笑ってしまう、あの感じを思い出す。
そんな時、シルはだいたい、何が起こっているのかわからないという顔をする。あるいは、ちょっと詰まらなそうに、拗ねたように、俺の手を引っ張ったりもする。
俺は笑うのを堪えて──堪えようとはするけど、あまり堪えられないまま「ごめん、待って」と言うけれど、シルは「なんで笑ってるの?」と聞いてくる。
けれど、その理由は自分でも説明できない。なんでこんなに笑ってしまうのか、自分でも知りたい。