第五話 ドラゴンの島
食べ物屋も、それ以外も、港に近い方が多い。人も物も、港から出入りするからだろう。
港の近くの宿屋に泊まって、翌日。俺とシルは、港の周辺を見て回っていた。
地図につけられたバツ印の意味はわからないし、わかるとも思えなかった。
誰かに聞くにしても、誰にどのように聞けば良いのかわからないし、そのために使える言葉は少ない。話してもらえたとしても、俺が全部理解できるのかも怪しい。
それでも、何かをしないではいられなかった。
あの地図のバツ印は、その何かにちょうど良かったのだ。シルのために何かをしている気持ちになれた。実際には何もできなくて、ただ街を見て回っただけだとしても。
シルと手を繋いで──まだ気恥ずかしくはあるけど、少し慣れた──のんびりと街を歩く。
ふと、店先に飾られた絵を見て、俺は足を止めた。二歩、先に進んでしまったシルが足を止めて俺を振り返る。
ドラゴンの姿が書かれた絵だ。精密な絵ではなく、かなりデフォルメされた素朴な線画ではあったけれど、それは確かにドラゴンだと思った。
隣には、一つの雨とたくさんの島の地図。島と島を繋いでいる線は海路だろうか。この島の上にはドラゴンの姿が、あの雨の柱の場所にはデフォルメされた雨が描かれている。その雨の中には、女性の姿が描かれていた。
俺はシルを見るけど、当たり前ながら人間の姿をしているシルと見比べてもわからない。
「これ、ドラゴンじゃないかな」
俺が絵を指差すと、シルは首を傾けてその絵をじっと見た。シルの答えは「殻を破った時にいた誰かに似てる気はする」というものだった。
絵の近くに何か文字──多分文字だと思っている──が書かれているけど、俺はまだ文字は読めない。なんの店だろうと、開け放たれた入り口から中を覗き込んだところで、その中からひょっこりとお姉さんが姿を見せたので、俺は思わず後ずさってしまった。
お姉さんは笑って、何事かを言いながら右手でこちらを仰ぐような仕草をしている。多分、中を見ていってくれとか言われているんだと思う。
「中を見てみても良いかな」
そう言ってシルを振り返ると、シルはよくわからないという表情のまま、小さく頷いた。
絵と地図を売っている店のようだった。であれば、店の仕組みは二つの川の街と変わらないだろうか。
俺はいつもの呪文を唱える。お姉さんは、ちょっと面食らったように俺とシルを見比べたけど、そのあとまた笑顔になった。
「名前、何?」
表に飾られていたのと同じような絵のドラゴンを指差して、お姉さんに聞いてみる。
「ラーゴ」
ラーゴ。ドラゴンのこと、だろうか。
そういえば、この島の名前はニッシ・メ・ラーゴだった。
そうやって、お姉さんを質問責めにする。
俺がしつこく質問を続けると、お姉さんはだんだんと眉を寄せて困惑する表情を見せるようになってきて、そろそろ限界かと思ったところで話を切り上げた。
この島には、昔ドラゴンがいた、というように聞き取れた。でも、それが本当にいたということなのか、昔話のようなものなのか、それはわからなかった。
それが、ドラゴンの島の名前の由来らしい。
地図に描かれていた女性の名前は一つの雨。そうか、この辺りの島の名前は、この女の人の名前なのか。
ドラゴンと並んで描かれている絵もあったし、ドラゴンを押さえ付けているような絵もあった。何か物語がありそうなものだけど、その辺りは俺の今の知識ではわからなかった。
俺の質問に付き合わせてしまったことに対する謝罪の意味を込めて、絵と地図をたくさん買うことにする。それに、文字が書かれているので、いずれ読めるようになったら何かわかるかもしれない。
シルを振り向くと、シルは周囲の絵を興味深そうに眺めていた。
「いくつか買うから、気に入ったのがあったら教えて」
そう言うと、シルは首を傾けて目の前の絵をじっと見詰めた。
「面白いけど、欲しいわけじゃない気がする」
「そっか」
シルはあまりピンときていないらしい。俺は自分で端から見て回って、ドラゴンに関係しそうなものを指差して買うとお姉さんに伝える。
最初のうちは、にこやかにしていたお姉さんだったけど、三つ目で笑顔が引っ込んで、五つ目くらいに眉を寄せはじめ、八つを超えたところで、俺を止めるように何か言い始めた。
うまく聞き取れなくて、俺は困って黙ってしまう。
そんな俺を見て、お姉さんは息を吐いて天井を見上げた。
どうやらお姉さんは、本当に支払いができるのかを心配していたらしい。フィウ・ド・チタでは、地図は簡単なものでもまあまあな値段だった。それを突然現れた言葉の通じない二人組が、たくさん買うと言っても信用できないだろう。
俺は少し考えると、肩掛けのバッグの中に手を突っ込む。あの部屋から持ち出したコインが入っている革袋がバッグの底に出てくる。その中から一枚だけ摘み上げて、それをお姉さんに見せた。
お姉さんは、訝しげに俺の手の中のコインを見る。それから、胡散臭そうに俺の顔を見た。もしかしたら、信用されていないのかもしれない。
使えるお金をそろそろ増やしておきたかったのだけれど、失敗しただろうかとヒヤヒヤしているうちに、お姉さんは何かを考え込むようにしばらく黙る。
「待つ」
やがて、それだけ言って、店を出て行ってしまった。
お姉さんはやがて、一人のおじさんを連れてやってきた。ちょっと小太りのおじさんは、お姉さんに何かを言われて、俺の前に立つ。
お姉さんが俺に何かを言う。出すと聞こえたので、さっきのコインを見せると、おじさんは俺の手に顔を近付けた。これで正解だったらしい。
おじさんは俺の手からコインを取り上げて──多分、直前に言われた言葉が、その許可を求めるものだったのだと思う、俺はそれにはいと応えた──ひっくり返したり持ち上げたり、目を細めたりしながら見ていた。そのうち、俺の手にコインを戻す。
そして、お姉さんに何事かを話す。数の話をしているのはわかった。お姉さんがまた、天井を見上げて息を吐く。
結局、俺はコイン一枚をおじさんに渡した。おじさんは俺にずっしりとお金が入った革袋をくれた。俺はその袋の中からお金を払って、絵を買うことができた。それで、手持ちのお金も増えた。
よくはわからないけど、うまいこといったみたいだった。
次回、第三章最終話です。
おやつも少し食べるし、お土産も買います。