第五話 雪の鳥の歌
その曲が終わって、また誰かが次の曲を始めようとする。それを遮って、俺は大きな声を出した。
「もう一度」
俺の勢いに、子供たちはみんな目を丸くして、手を止めてしまった。
「もう一度……歌」
今の曲をもう一度、と思ったけど、それ以上の言葉が出てこなかった。俺は口を開けたり閉じたりするけど、ちょうど良い言葉はやっぱり思い付かない。
子供たちはきょとんとした顔を見合わせて、それからトネムくんが手元のジョウシでさっきのメロディを奏で始めた。俺は頷いて、小さく「ありがとう」と声に出した。
単純なメロディを何回か繰り返す短い曲だ。シルのあの歌声とはところどころ違うけど、やっぱりとてもよく似ている気がした。俺が「もう一度」と言えば、トネムくんは不思議そうな顔をしたけど、もう一度繰り返してくれた。
「空の雫は花と咲く」
トネムくんのジョウシの音に合わせて、シルが歌い出す。氷が砕けるような声で。
空の雫は花と咲く
白く冷たい花になる
咲けよ 咲けよ 空の花よ
白く 白く 全てを隠せ
静かで白い夜がくるよ
シルの声は、やっぱりこの辺りの言葉とは違って聞こえた。きっと誰にも意味が伝わらなかったと思う。それでも、子供たちは静かにその歌声を聞いていた。
俺は──俺もただ、聞いていた。シルの歌が、この土地にもある。その意味はきっと、ここまでの旅が間違っていなかったってことだと思うし、この旅がもうすぐ終わるってことかもしれない、という気がした。
もうはっきりしているのに、俺は「もう一度」と呟いていた。今度はジョウシの音だけじゃなく、リョマの音も入った。子供たちも自分たちの言葉で歌い出す。その歌詞は──雪、鳥、旅、ところどころの単語は聞こえるけど、意味まではわからない。
子供たちが歌い出したので、シルは歌うのをやめて俺の隣に座った。
「ユーヤ、同じ歌」
そう言って俺の袖を引いたシルは、大きな目を見開いて俺を見ていた。その表情を見て、俺は慌てて笑ってみせる。
「そうだね、同じ歌。きっと……シルの手がかりだ」
俺の言葉に、シルは何度か瞬きをして頷いた。俺はシルの視線から目を逸らして俯いてしまった。
シルのことが何かわかるかもしれない。そのために旅をしていたんだ、喜ばないと、と思うのに動揺は思いの外大きくて、自分をうまくなだめることができなかった。
「レキウレシュラ・ラウ」
向こうで椅子に座っていたケヴァさんが、気付いたら脇に立っていた。俺が顔を上げると、ケヴァさんは穏やかに笑った。
「マスタ・レキウレシュラ・ッタ」
この言葉の意味はなんだっけ、とぼんやりした頭で考える。「マスタヤ」は鳥の名前で旅人という意味。「マスタ」は「旅をすること」。
レキウレシュラから旅をしてきた、レキウレシュラの歌。
ケヴァさんは俺とシルの側に腰を降ろすと、不思議そうな顔をしているシルの手に自分の手を重ねた。反対の手は俺の背中に。骨の出っ張りが目立つ、シワの深い手。
シルが首を傾けてケヴァさんを見ると、ケヴァさんは顔をしわくちゃにして笑った。
「タッサ・ルミ・リト・ラウ」
ケヴァさんの言葉がわからない。「もう一度」と呟けば、ケヴァさんは何度でも説明してくれた。
子供たちはその歌を何度も繰り返し歌っていた。
雪の鳥という名前の鳥がいるらしい。この鳥も渡り鳥で、寒い季節が始まる頃にレキウレシュラの方からやってきて、暖かい季節が始まる頃にレキウレシュラの方に飛んでゆく。
曇り空のような灰色の鳥だけど、羽を広げると雪のように輝く。
シルの雪の歌は、この辺りではその「雪の鳥の歌」なのだと言う。レキウレシュラからやってくる渡り鳥の歌。
元は、レキウレシュラから伝わった歌だと、ケヴァさんは言っていた。
シルに説明しないとと思うのに、何から話せば良いかわからなくなってしまう。俺が何も言わないせいで、シルの表情が段々と不安そうに曇ってゆく。
ケヴァさんはシルの手をぎゅっと握った。反対の手は、とんとん、と俺の背中をなだめるように優しく叩いた。
「手伝って」
それからいつものようにそう言って、俺とシルの顔を順番に見て、また笑った。
俺とシルはスープ作りを手伝うことになった。何かわからない野菜の皮を剥いて、適当な大きさに切る。日本で野菜の皮を剥くときはピーラーを使っていたから、ナイフで剥くのは最初は難しかった。でも、何度かやっているうちに慣れてきた。
シルは皮を剥くのはうまくできなかったけど、切り分けるのはできた。不揃いでも煮込んでしまうから問題ない。だから、俺が皮を剥いてシルがそれを切り分ける。
ケヴァさんはいつもみたいに「よく出来た」と言ってくれる。
それから水で戻した干しきのこ。今日のスープに使うきのこは「イェミネ・トウリ」という名前のものだ。イェミネは小さい人の意味で、トウリは椅子。
つまり、小人の椅子というのがその意味。前にシルがもらった頭に角がある小さい人形、あのイェミネはきのこを椅子にするような小人ということで良いみたいだ。
そうやって用意した野菜ときのこ、それから燻製肉を鍋に入れて、ケヴァさんがさらに何かを入れて暖炉の火で煮込む。焼き菓子とはまた違った良いにおいが、家中に広がる。
スープが煮込まれている間、ケヴァさんは俺とシルにきのこのお茶を淹れてくれた。シルと並んで椅子に座って、温かなお茶を飲む。
さっきの歌を聞いた時の動揺やこの先の不安はまだあったけど、スープを作っている間にそれは少し落ち着いた気がする。そして今はお茶が体の中にじんわりと入ってきて、なんだか大丈夫って言われている気がした。
そんな気持ちでシルを見る。シルの睫毛にお茶の湯気が当たって、きらきらと輝いていた。どこか遠くを見るようだったその視線が、不意に俺の方に向かってくる。
「あのね、ユーヤ」
そう言ってから、シルは言葉を探すように視線を揺らした。そして、手に持ったカップにふうっと息を吹きかける。まるでその中に言うべき言葉が浮かんでいるかのように、一口飲む。それからまた、隣の俺を見た。
「わたしはユーヤに付いていくし、ユーヤと一緒にいるからね」
俺はすぐに言葉を返せなかった。今までみたいに「シルがやりたいようにしたら」とは言えなかった。他に何も知らなかった頃と違って、シルは今はもういろんなことを知っている。知った上で、選んでいる。
シルはきっと俺の不安にも気付いて、俺を一人にしないように、一緒にいてくれる。
俺もお茶を一口飲む。体の奥に落ちてきた温かさに勇気をもらって、シルを真っ直ぐに見る。
「俺もシルと一緒に行くよ。シルを置いていったりしない。約束する」
シルは嬉しそうに笑って、頷いた。
「うん、約束」
お茶のように温かな約束だった。その温かさに勇気をもらって、きっとまた旅ができると思った。