第二話 ハイバ・クトー
その家の、二番目の子は「トネム」という名前らしい。小学生くらいの男の子だ。湖の名前がトネム・シャビだったと思い出す。それから、街の名前はトネム・イカシだ。
何かそれに関係した名前なのかと思ったのだけど、どうやら「トネム」というのは二番目という意味らしい。
一、二、三。一番目、二番目、三番目。多分そういうことだ。
でも、だとすると、この大きい湖の何が「二番目」なのか。一番目の湖もあるのか、と俺は考え込んでしまった。
家の中心は暖炉だ。実際に真ん中に置いてあるわけじゃないけど、大抵は暖炉に火を入れているから、その前の敷物の上に座り込んだり、寝転んだり、みんな自然と暖炉の周りに集まることになる。人が集まると、中心になる気がする。
暖炉の中で薪が爆ぜる音がする。火の燃える静かな音と、暖炉の火を使って焼き菓子が焼ける甘いにおいや隣で温められているきのこのお茶のにおいを背景に、子供たちの声は賑やかだ。俺が言葉をあまり知らないものだから、子供たちは寄ってたかって口々にお話を聞かせてくれた。
子供たちの語りは容赦のない早口で、何人かで代わる代わる、時にはいっぺんに喋るものだから、聞き取るのが大変だった。俺は何度ももう一度と言って話を止める。そうすると子供たちは、仕方がないなあみたいな顔をして、また同じところを口々に語ってくれた。
聞き取るのが難しいのは変わらない。
「大きい?」
「ソヒミネ」
俺の言葉に重なった声が返ってくる。ミネというのは、ちょっと難しかったんだけど、多分ルームさんが言っていた「人」と同じような意味だと思っている。
俺はちょっと考えてから、両手を広げて頭上に上げる。
「大きい人?」
子供たちは目を大きく丸く見開いて、俺のように両手を持ち上げたり広げたりして、また口々に言葉を発する。「大きい」「クィン・クトナ」「クィン・パウ」「クィン・ソヒ・パウ」「クィン・ウオリ」。
本当かどうかはわからない。でも、それだけ大きい人がいた、ということらしい。昔話みたいなものかもしれない。
大きい人は「一番目の大きい人」「二番目の大きい人」「三番目の大きい人」の三人いた。その二番目の大きい人と関係しているから、この大きな湖はトネム・シャビと呼ばれている、ということだと思う。
細かい話はほとんどわからなかった。どうして湖に関係しているのが二番目なのか、一番目と三番目はどうなったのか、多分みんなで説明してくれていたんだと思うけど、みんなどんどん興奮して早口になってしまって、最後は止めることもできなかった。
ケヴァさんが笑いながらやってきて、子供たちに何かを言うと、子供たちはお喋りをやめてわっと歓声を上げた。ケヴァさんは子供たちに「熱い」「気を付けて」と言いながら、暖炉で焼いていた甘いにおいのお菓子を取り出した。
どうやらお茶の時間らしい。子供たちはもう、俺のことよりも焼き立ての焼き菓子に夢中になった。
ケヴァさんは厚い布を使って焼き菓子が並んだ鉄板を持つ。それから俺とシルに笑いかけてくれた。
「シル、ユーヤ、手伝って」
シルはその「手伝って」という言葉を聞き取れるようになっていた。それを言われたらケヴァさんに何かを頼まれるのだと、そう理解しているみたいだ。ケヴァさんを手伝うと「よく出来た」とか「ありがとう」と言われるから、シルはケヴァさんに「手伝って」と言われるのがとても好きだ。
それに、ケヴァさんを手伝った後は、大抵美味しいものが待っている。
声をかけられて嬉しそうに立ち上がったシルは、隣で同じように立ち上がった俺の腕を引っ張った。
俺とシルがケヴァさんに頼まれたのは、きのこのお茶の用意だった。用意と言っても、すでに煮出してあるお茶を陶器のカップに注いでみんなのいるテーブルに運ぶだけ。
暖炉の脇には鍋を置く場所が作られていて、そこに置くと暖炉の熱が程よく伝わるようになっている。スープだとかの煮込み料理によく使われている。それからお茶を煮出すのにも。
今もそこから手鍋を運んできて、並べたカップに少しずつ注ぐ。俺が注いだお茶のカップをシルが静かに運ぶ。子供たちが口々に「ありがとう」と言って、シルは嬉しそうに笑う。
ケヴァさんは、木でできたトングのような形のもので、熱々の鉄板から大きなお皿に焼き菓子を移していた。焼き菓子は、生地で葉っぱの形や花の形を作って焼く。その中には、果物で作ったジャムが詰まっている。
太陽の季節にルームさんと一緒に食べた焼き菓子は、ざっくりとした生地がぽろぽろと崩れて胸元が散らかる食べ物だった。美味しかったけど。
ケヴァさんが作る焼き立ての焼き菓子は、それよりも一層ぽろぽろと生地が崩れた。それに、より一層美味しかった。
手のひらの上で食べて、手のひらに零れ落ちた生地を舐めとる。口の中でとろりとしたジャムとぽろぽろと乾いた生地が絡む。生地が焼けた香ばしいにおいと、甘酸っぱさをまとめて飲み込む。
そうやって気を付けて食べていても、口の周りにも崩れた生地の欠片が貼り付くし、胸元にも零れ落ちてしまう。見れば、子供たちも同じようにぽろぽろと生地を零して食べていたし、なんならケヴァさんも生地を零していた。
ぽろぽろと零しながらみんなで二つずつくらい食べて、きのこのお茶を飲んで一息つく。大皿の上にはまだ焼き菓子が残っていたけど、それはまた後で。ケヴァさんが大皿に白い布を掛けた。
それから口の周りを拭いて手も拭いて、胸元に零れ落ちた生地を叩き落として、みんなで床を掃除した。テーブルの上を濡らした布で拭く。床の上を箒のようなもので掃く。ついでに子供たちは家のあちこちを箒で掃いて回った。これも退屈な寒い季節の遊びなのかもしれない。
俺とシルはケヴァさんに言われて、カップを拭いていた。シルの手付きは、陶器のカップを扱うには少し危なっかしいものだったけど、何度かやるうちに慣れてきたみたいだった。一つ一つに時間を掛けはするけど、それでも丁寧に綺麗に、食器を拭く。
ケヴァさんはいつも「よく出来た」と言ってくれるから、言われる度にシルは嬉しそうな顔をするし、なんなら言われる前から嬉しそうな顔をしている。こうやって、手を動かしている間だって、もう嬉しそうだ。
そうやって二人でカップを綺麗に拭き上げて、テーブルの上に並べて、俺とシルは顔を見合わせた。
「ハイバ、クトー」
辿々しい発音で、シルが言う。それに応える俺も片言だった。
「よく出来た」
シルが笑う。俺も応えて笑う。