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垂媛伝~浪の淡き水辺~  作者: 暁子
後日譚
30/31

めぐしくやきみ(一)

 冬を間近に控えたある日のこと、この秋最後になるであろう交易船から買い付けた品々より族長に納めるものを見繕い、それらをとりまとめて館を出ようとしていた国久流(くにくる)は、父であり家長である田津比古(たづひこ)に呼び出された。


 この夏の暑気にあたり、秋の間も伏せっていた父はひょろひょろと痩せてしまっていた。寝たり起きたりしかできぬような父の様子に国久流も一時は覚悟を決めねばと思いもしたが――父を診た(たる)が「まだ死にそうにない」と舌打ちせんばかりの顔で言った通り、このひと月はみるみる顔色もよくなり、ようやくまつりごとに口を出せるほどの気力も戻ってきたらしい。


(かぐ)を貰ってこい」


 肩に上衣を引っかけ、気怠そうに(おしまずき)に寄りかかるという病人らしい格好ながらにふてぶてしく、父は開口一番にそう言った。


「何のご用かと思えば、急にどうされたのですか、父上」


「何も急ではない。当然のことを言うておるまでだ。垂媛(たるひめ)様にも跡目は必要だが、それは我が津守の一族とて同じこと。ならば輝がよい。そろそろこの館に引き取って育ててもよいだろう」


「それは俺もわかっておりますが……輝は垂の娘です。いくら我が一族のためといっても、くれと言うだけで引き取れるものでもありますまい」


「お前の娘でもあるではないか。とにかく今日、よくよく垂媛様と話して参れ。自分の跡目のことも考えたいと言ってな」


 居丈高に吐き棄てたあと、父は大げさに咳き込んでみせる。まったく、元気なのか弱っているのかわからない。


 だが、歳をとったのは間違いなかった。今はまだ国久流に津守の家長の座を譲る気はなさそうだったが、こうして伏せりがちになったら、次の冬、次の夏と、越せるかわからなくなってくる。


 歳が上の者から世を去って行くのは当たり前のことだが、寂しさや不安がないといえば嘘だった。そして、血を分けたもっとも近しい家族(うがら)を安心させてやりたいと、国久流だって考えるのだ。




 


 大陸に向けて突き出した半島の付け根にあり、神なる連峰を対岸に見晴るかす穏やかな湾と巨大な潟湖を抱いた布瀬(ふせ)の水辺。


 その地に君臨しているのは、垂媛という巫女だ。


 隣り合う天宮(あめのみや)からの襲撃を返り討ちにし、その族長千敷(ちしき)を屠った垂媛は、彼の妻であり天宮の巫女であった百舌鳥(もず)媛を支配下に置くことで天宮一帯も勢力下に収めた。


 西へ向かう海上の交易路を垂媛が掌握したことで、水辺の内陸にあった二野(ふたの)もこの頃は何かと垂媛の機嫌を伺ってくる。もともと友好的な関係にあったかの勢力にも、時を見て臣従を迫ってもよいかもしれない。やりようによっては争わずに済むだろう。


 そのようにめまぐるしい変化に見舞われたこの五年、国久流も百舌鳥媛や二野との交渉ごとのため、水辺を動かない垂媛の代わりに方々を行き来していた。


 水辺の祭祀と実権を握る垂媛を守り支えるのが己の役目。そう心得て彼女と夫婦(めお)の仲になったので、忙しくも望んだ通りの日々を過ごしていると思う。


 ただ、垂媛と我が子である国久流を妻合わせることで水辺の実権を握りたかった田津比古は、それが叶わず面白くないのだ。


 五年前に両者の間にできた溝は国久流が垂を妻にしても完全には埋まらず、垂は育ての親であり舅になった田津比古を相変わらず疎んじているし、田津比古も相変わらず垂にくってかかることがあった。


 二人が人前で熱くなった時は国久流が親子喧嘩を諫めるていで間を取り持っていたが、そうすると妻からも父からも「どちらの味方なのか」と迫られるのですこぶる面倒くさい。国久流はもう、なるべく二人が顔を合わせず済むよう計らうことに努めている。


 そういう具合で垂媛に対しいまだわだかまりを抱えていても、田津比古は彼女が産んだ初孫のことは溺愛していた。会わせる度に小さい頃の国久流にそっくりだと言って頬ずりをやめないほどだ。


 名を(かぐ)とつけられた上の娘は、確かに女子(おなご)にしては活発が過ぎるほどで恐れ知らず、垂も子どもの頃はあれほどではなかった。だとしたら俺に似たのかなぁと思うと国久流も嬉しい。


 それに、これだけ豪胆なら、女だろうと津守の一族をはじめ海の男たちを治められるのではないか。


「ててさまぁ」


 水門(みなと)川を遡り、族長が暮らす湖畔の館の桟橋に舟をつけるやいなや、甲高い子どもの声が響き渡った。


 下男の荷下ろしを手伝ってやっていた国久流は顔を上げる。すると(まかたち)の手を振り切って走ってくる幼子の姿が目に入った。両手を広げて一心に駆けてくる様子は愛らしいが、彼女が爪先も見えない裳を履いているものだから国久流は血の気が引いた。


「わぁっ」


 国久流が桟橋に飛び乗り腕を差し出した瞬間、幼子は案の定自分で裳裾を踏みつけた。あんまり勢いよく走っていたので、つんのめった小さい身体が宙に浮いたように見える。


 そのまま国久流の腕に飛び込んでくると、何が面白かったのか子どもはきゃらきゃらと笑い出した。


「輝! 走るなと言ってるだろう! そんな勢いでこけたら鼻が削れてなくなるぞ」


 まだ小さくて丸い鼻を摘まんで叱ってみるが、幼子――輝はくすぐったそうに笑うだけだ。


「おはな、なくなっちゃうの? もう生えてこない?」


「そうだ、なくなったらもう生えてこない。だから裳を着て走るな」


「おはながなくなってもいいから、早くててさまにお会いしたかったの」


 ほんの一瞬神妙な顔をしたように見えた輝だったが、すぐさま満面の笑みを浮かべて国久流の首にしがみついてくる。叱ったことが伝わった気はしなかったが、こんなことを言われてはもう何も言い返せない。


 国久流はせがまれるまま娘を抱えて、この館と水辺の主たる彼の妻を訪ねた。






 布瀬の水辺の族長は、潟湖の上に張り出すように立てられた湖畔の館に住み、隣接する祭殿を守るのが習わしである。対して国久流は海辺の邑長を束ね商いや漁を差配する津守の一族の跡目。海岸に近い松林の中に構えられた館で暮らしながら、垂のもとへ通っている。


 垂との間に生まれた二人の娘は母の元で暮らしていたが、頻繁に訪ねているかいあって国久流にもよく懐いてくれていた。


「お前の跡を誰が継ぐかなんて、田津比古殿が心配することではないわ。お前に任せておけばよいのに。相変わらず何にでも口を出したがるのね」


 国久流が土産に持ってきたできたての干し柿をかじりながら、垂はふんと鼻で嗤った。


「お前が言った通りまだ身罷る様子はないから。ただ、こんなに長いこと伏せっていらしたのは初めてだ、まだ気弱になっておられるんだろう」


 (かぐ)を膝にのせ、干し柿の種をとり小さく切り分けていると、面白がった輝が刀子(とうす)を掴んでやろうと手を伸ばしてくる。幼子とはいえ四つになった輝の力と素早さは侮りがたい。


 間違っても娘が刃物で傷つかないようにとその手を除けつつ、ようやく小さな口にちょうどよい大きさに切れた干し柿を渡してやると、輝は甘みが凝縮されたそれを食んで嬉しそうに足をばたつかせた。


「輝、ものを食べるときは大人しくなさい。暴れるのなら今度からてて様が干し柿を持ってきても、お前にはやらないわよ」


 垂にぴしゃりと言われれば、輝は従うらしい。すんと大人しくなり、しかし笑みをこぼしながら柿をかじっている。


「輝はよく笑うな。よく走り回るし、袴を履かせておいたほうがいいんじゃないか」


「そうやって男のように育ててお前の跡継ぎにしろと? だめよ」


 輝を津守の一族の跡目として引き取れ――父がそう言っていると話しただけでは垂は鼻で嗤うばかりかと思ったが、意外にはっきりと彼女の意思を告げられ、国久流も少しばかり息を呑んだ。


「……父上のように慌てるつもりはないが、俺も輝を貰いたいと思っている。この子は丈夫だし気も強い。海辺の邑長達も束ねられるようになると思う」


「だめよ。輝はわたしの跡を継ぐの」


「では(ひかる)が俺の跡目か?」


 下の娘――ようやく二つになった玄は、垂の膝にもたれかかってずっと眠っていた。父が来ていることにはまだ気づいていない。


 起きたらきっと国久流に駆け寄って喜んでくれる可愛い娘に違いはないが、玄は輝に比べて大人しいし、人一倍警戒心が強かった。それに、時折国久流に見えないものを追いかけて歩きだすことがある。恐らく、玄は垂の血が濃く――神の類いが見える子どもなのだ。


 そう見えていたからこそ、なおさら自分が引き取るのは輝になるだろうと考えていた。


「玄もだめよ。二人とも、わたしの娘だもの」


 しかし他人事のようにあっさりと、垂は国久流の疑問をつっぱねた。


「俺の娘でもあるだろう」


 父と同じことを言っていると思いながらも、さすがにむっとしたので言い返してみる。すると、干し柿を食べ終えた垂はその指先をちろりと舐めながら冷たく睨み返してきた。


 歳を重ね、妖しい美しさにさらに磨きがかかる垂は、怒りや苛立ちをにじませると背筋が粟立つような迫力があった。国久流はぐっと唾を呑み、隠れるように輝を抱き寄せる。


「どちらかを貰えないと俺も困る」


 恐る恐る付けくわえたら、なぜか輝がよしよしと頭を撫でてくれた。


「まあ、いいわ。夜になるまで待っていなさいよ。そうしたらわけがわかるから」


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