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ハロワ天国

作者: 瀬川潮

 がーっ、と自動扉が開く。

 特に「いらっしゃいませ」などの声が掛からないのがいい。

「検索、したいんですけど」

「ではこの番号の席でお願いします」

 受付に声を掛け、番号札を受け取って席を確保する。

 今日は運がいい。

 普段なら人は多いが待ち時間もなくすんなりと席に座れた。

 ふう、やれやれ。

 もしもここがネット喫茶ならばさっそく飲み物でも、と思うがハローワークなのでそうもいかない。大人しく端末で求人情報を検索する。

 それにしてもハローワークは天国だ。

 料金無料で快適な部屋でパソコンをいじっていれば文句を言われない。職員もいちいち「こちらの求人がいまお安くなっています」などセールスの声を掛けてくることはない。そもそもお安い求人で客が喜ぶのかどうかはともかく。

 とにかく、画面を見ていればいろいろこちらの知らない職業があったりしてそういうのを探すのも楽しい。まったくハローワークは天国だ。惜しむらくはネット喫茶のように飲み放題のドリンクがあったりメイド喫茶のように可愛らしい服を着た店員がいないことくらいか。

 ……。

 …………。

 いや、いかん。

 いま一瞬、「メイドハロワ」など連想したが妄想は止めておく。もちろん「お帰りなさいませ、ご主人様」などと声が掛けられることになるわけだが、就職して新しい職場で働いてもすぐクビになってここに帰ってくるんでしょ、ほらね帰ってきた、みたいな感じでイヤだ。ブラックな職場ばかりを紹介するブラックハロワならまあそういうこともあるだろうがさすがにブラックなハロワは聞いたことがない。

 あ。逆か?

 もしかしたら知らないだけでハロワは実はブラックな職場なのかもしれない。ほら、待遇面とか勤務時間とかじゃなくて、客筋が悪すぎるとかへんな客ばかりが来るとか。

 おっと、いかんいかん。いかんぞ。

 真面目に職探ししないと。

 いくら「働いたら負け」とはいっても、「働かなかったら勝ち」というのは聞いたことがない。負けなければ負けないわけだが、そも勝ちは永遠に見込めないのだ。もちろん勝ちたいわけでもないが。そもそも勝つために働くわけではない。働いてやってもいいかな、とか思わないでもないから働くのだ。勝ち負けに関しては「働いてない状態が勝ちなのだ」ということかもしれないが、人間というものはなべて環境には慣れてしまうもので勝ち続けていればその状態はすでに勝っているのではなく勝っても負けてもいないのと変わらない感覚になるはずだ。というか、その勝ちにはすでに勝ち取った時の価値はない。

 え?

 勤労が義務?

 知らん。

 そういう意識で働いてるから景気が一向に良くならないんじゃないのか? もっとよく考えろ、世の中よ。

 やらされるんじゃなくて、やるんだよ。

 というわけで、俺もたまにはやってやってもいいかな、とか思うきょうこのごろ。

 少なくとも新着の求人情報に目を通すというやる気はある。

 ……が、しかし。

 介護。

 営業。

 長距離運転手。

 道路警備員……。

 うん。どれも尊い仕事だよ。

 でもなぁ。

 資格はないしそもそも取る気はないし。

 営業やるほどやる気はないし。

 慣れない仕事で事故を起こしてもイヤだし。

 警備なら自宅でもう手一杯だし……。

 この「簡単なお仕事です」とかいううたい文句のところなんかはたいてい派遣だしなぁ。派遣だよなぁ。ハケンかぁ……。

 ハケンなら三国とか戦国とか、そういうところでしのぎを削りたいタイプなんだよ、俺は。何より簡単な仕事ならわざわざ俺がやる必要もないし。

 というわけで、本日のお仕事はここまでかな。

 とか思っていたら!

 ……見つけた。

 どれもこれも似たような職業の並ぶ一覧から目に飛び込んだ、気に入った求人票。

 これはいいね。

 うん、これはいい。

 賃金は少し安いけど関係ないね。金のために働きたいんじゃないんだよ。もちろん金はいるし転がり込んで来るなら三百六十五日年中無休でウェルカムだけど。

 でも、これはいいね。

 なんかこれなら働けるよ。……ちゃんと先方の希望通りに仕事ができるか分からないけど、一応経験者以外はお断りってわけでもないみたいだし。

 いいな、コレ。

 ちょっと職場遠いけど、これなら頑張れる。

 採用、一人かぁ。

 早く応募した方がいいかな?

 でも経験者じゃないからなぁ。

 とはいえ採用するかどうかの判断は向こうなんだし、こっちから先に辞退してもねぇ。

 ……あ。

 面接と……筆記試験がある。

 試験かぁ。

 大丈夫かなぁ、これ。……いや、絶対大丈夫じゃないよ。ヤバいよ、これ。

 でもなぁ……。


「ええと、こちらの求人のご応募ですね?」

「はい」

 結局、紹介してもらうべく受付に依頼。担当者の席に案内された。

「早速この会社の担当者に採用状況など確認してみます。何かこの求人票の中で特に不安に思ってることや、この電話で聞いてみたいことなどありますか?」

「その……この筆記試験っていうのが不安です」

「うーん、その会社によりますね。一応、試験のジャンルや分量なんかを確認はできますけど……。ほかに電話で先に確認しておきたいことなどありますか?」

「あ! この、試験の中にある『一般常識』も何を求められるかが分からないから……」

「うーんんんんん、そんなに難しい内容じゃないとは思うんですけどねぇ」

「今の内閣総理大臣の名前くらいは分かりますが、漢字でフルネームが書けるかとなると私の一般常識ではちょっと……」

「はあ……ではどういったものがあなたの一般常識です?」

「ええと、例えば西洋の城内にある螺旋階段は時計回りになっているとか……」

「は?」

「ほら、武器を持つ手は右手だから自由に振るえないよう攻め手の右の方が壁になるようにしてあるんです」

「それ、左利きだと無意味ですよね?」

「国の正規兵とかは王にしっかり統率されていることを示すため、行進では上げる足の高さなんかも厳密なんですよ。城に攻めて来るのはそこに所属している者たちですから、右手と左手で武器を持つ手がバラバラなんてのはまずないです。一斉突撃なんかでも槍を持つ手の右左逆が並べば穴ができますからね」

「はあ……」

「それに日本でも弓手ゆんで馬手めてと言って左右の手を呼び分けてますよね? 隊列指揮をしてても部隊の兵の利き手がバラバラだと左翼に回すか右翼に回すか効率的な動きができずに困ってしまうんです。ほら、右翼に回しながら弓を撃とうと思っても弓を右手持ちした者が三割いたら三割が撃てず、一斉射撃しても攻撃力が七割にとどまってしまうんです」

「はあ……なるほど……」

 しまった。

 この係員、完全に引いてしまった。というか、ドン引き。

 っていうか、それなら最初から話に乗ってくんなよとか思うけど今はそれどころではない。

「……まあ、不安なんです。世間一般の一般常識がどんなものかが」

「そうですね、難しいですよね」

「ちょっと待って」

 耳を疑った会話内容は水に流してにこりとした係員。じゃあ電話を、との段で横から止めらている。別の係員が顔を出してきたのだ。

「失礼します。……今の話ですが、例えば城には秘密の脱出経路が用意されているというのはご存知です?」

「え? はあ、まあ。そう言われますよね、一般的に」

 一応答える俺。

 ちなみに正面に座る係員は「それのどこが一般的だ」みたいな顔をしている。

「では、もしそうなら逆に脱出経路から城内に侵入されてしまうはずですよね? これはおかしくないですか?」

「いや、そういう抜け道は城から脱出するときはほぼ道なりの一本道で、城の外の出口から入ろうとすると侵入が難しくなるようになってるんです」

 ほら、枝道もこっちからだと左右迷いますけど、こっちからなら「まっすぐ道なりに進め」と言われていれば一本道でしょう、と説明する。横から聞いてきた係員はにこにこしている。

「ほかに落とし穴だって落ちる床を城側の床に重ねるようにすれば、まず体重が乗ることで落ちなくする仕掛けもできるんです」

 重なる床の下にフックが掛かって支点になるから、とか構造を再現する手振りをして思わず熱く。相変わらず最初の係員はドン引きしているが。

 一方、横の係員は満足そうな、晴れやかな顔をしている。

「分かりました。あなたの一般常識で働けるような職場もありますので、ちょっと頑張ってみませんか?」

 ただし住み込みになりますが、とか。


 そんなわけで、俺はいま城にいる。

 どこの国でどういう政治形態で隣国はどうかなどの情勢は知らないが、剣と魔法のファンタジーワールドだというのは理解した。言葉がなぜか通じるのもありがたい。

「おおい、次の清掃場所に行くぞ」

「了解」

 呼ばれてついて行く。

「おお、君はよく働くな。やらされるんじゃなくやってやる、っていう姿勢がとてもいい」

「ありがとうございます」

 そう褒められる。

 今は城の雑用係だが、そのうち貴族の娘でもたぶらかしてのし上がることにしている。それが自宅警備員で鍛えに鍛えた俺の一般常識だ。やってやるぞ。

 とりあえず、あのハロワには感謝している。

ちゃんちゃん♪

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― 新着の感想 ―
[良い点] テンポ良くサクサク進むストーリー。 なにより面白い! [気になる点] 過去作拝見したら二年ぶりの投稿なのですね。 またの投稿を期待します。
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