始まりのお話の始まり Ⅱ
そのタイミングで目が覚めたのは、本当に偶然だった。
窓から差し込む朝日が原因だったかもしれない。将又昨夜の一件のせいで眠りが浅かったのかもしれない。もしかしたら自分の腕の中で眠る誰かがその意識を醒ましたのを無意識に感じたのかもしれない。
とかく、村で生活し毎日朝は早い少女であってもここまで早くに目が覚めたのは本当の本当に偶然だった。
いまだ日は顔を出したばかりで曙天の空には橙色から紫紺へのグラデーションが引かれ、やがて地平線へと吸い込まれていく。
窓から暖かい朝日が差し込み、昨夜てらてらと燃えていた暖炉の火は役目を終えたとばかりに今は鎮火し、あとは灰の残り香が寝起きの鼻腔を柔らかに擽るだけだ。
「ん、ぅ~~ん」
起床した意識とともに決して抗えない生理的欲求を催し、少女は大きく、されど可愛らしく口を開くと、横になったまま気持ち良さそうに足を伸ばした。
そうして漸く思考が明瞭になってきた少女は己の身体に、確かに熱を持った何かが触れていることに気付いた。
熱を持った何かはどうやら自分が抱きしめていた様で、少女は軽く首を曲げて……。
そして少女の眼球は鮮やかであり淡く澄んだ、どこまでも透き通った遙か南の海の様な、紺碧の二つの点を映し――――――――――――――――
縫い止められた。吸い込まれた。視た。魅た。満た。
五秒それを視た。
心が魅せられた。
たったの五秒間。されど長い。深い。濃い。そして何より透明な永遠の一時。それ以外の形容表現は要らない。
少女は少年の眼を見た。四つの視線は一方的に交わり、二本の朧な線へと変質した。
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女はくりっと可愛らしい目をしていた。その真っ直ぐな灰色の双眸と視線が絡み。逸らすことも勿論出来たのだが、この時は頭が今だにボーッとしていたせいか何となしにそのまま逸らすことはなかった。
そしてこの滞留に先に耐えかねたのは女だった。
「あ、ご、ごめんっ」
女は慌てた素振りで少年を抱き締めていた両腕を解いた。
「あっ、そ、その...身体の調子、どう。何処か悪いところ、ない?」
女は右往左往に頼り所を探す様に目を忙しく泳がすと、ハッと思い出したように、心労の言葉を投げた。
少年はぽかんと口を開けると、しかし、言葉を発する気配は無く、その代わりに半身を起こした後自分の体をペタペタと触り一周すると五体満足であることを確認する。
少年に続いて女も体を起こす。
「君、名前は?」
女は少年が質問に答えられる間を十分に作ったが、少年が何かを話す気配は無い。
女は少し困った表情をした。
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どうしたものか。
頭の中はそればっかりで、いつもは一日でも相当至福の時であるはずの食事中なのだが、現在少女はただ手を動かして朝食を口に入れるばかりだった。
表面は硬いが中はもちもちで噛み続けていればやがて甘くなる、そんな村のおじさんがくれるこの村一番のパンもただ喉を通るだけで虚しく消化されるのみ。
その原因となっている張本人と言えば目前にただちんまりと座っている。
少年の前にも朝食が用意されているのだが、まだ一口も手をつけていない。
どうしたものだろうか。
結局この子の名前も聞けずじまいで、一体どこから来たのかも分からないのだ。
それどころかまだ一言も言葉を発していない。
初めは私達のことを警戒しているのだろうかと思った。いきなり目を覚ましたら知らない人に抱きしめられていて、全く知らない場所にいたのだ。それに見た目からしてまだ幼い。顔立ちや身長から鑑みるに恐らく自分よりか4、5歳は年下だと思うが。私たちを怖がるのも仕方ない。そう思っていた。
だがしかしここまで少年の様子を見る限りどうやら怖がっているようにも見えない。目を覚ましてから貫徹で無表情のままだ。まぁ、私如きが感じ取ったことなど宛になるとも思えないが。
もしかしたら喋ることが出来ないとか。
心の中で苦悶に満ち満ちた私であった。