決戦前夜
「う・・・」
深い闇に底に沈んでいた意識の中で、光に照らされる。
それは夢ではなくて今ここに存在する現実の太陽の光なのだと確信するまでにそう時間はかからなかった。
マリアは眩しい光に数度目を瞬かせると、ゆっくりと上半身を腕を上げて伸ばす。
確か昨日は死ぬほど訓練をして疲れが極限に達して気を失ったのだった。
只、あれだけ酷使した体であるのに、マリアの身体のどこにも疲れは残っておらず、
やっぱり十代の回復力は凄いななどと思うのだった。
「あら、お目覚めですか」
「リタ、おはよう」
この世界にも随分慣れたもので、私も最近では朝の支度を侍女によって全て行われる事にもすっかり慣れた様に思う。
あの元の世界の生活は一体何処へ行ったと思うほどにこちらの生活に違和感なく馴染んでいる自分に驚いているくらいだ。
テキパキと私の世話をしているリタはとても良い子で、私がアホな事を言ったりやったりしてもいつも笑顔で対応してくれる。
もう少ししたらやって来るだろうジークもとても優しい。
この世界に来た頃はこんな風に毎日穏やかに過ごせる様になるなんて思いもしなかった。
ただし、この世界の設定もかなりハードなもので。
私は今現在、死に物狂いで我が身を守る為に腕を磨かなければならなかった。
朝食を済ませて私はいつものように運動出来る出で立ちに変わり、見慣れて来た豪華な扉を出た。
「そういえば、ジークが来なかったね」
リタが「そうですね」と答えると同時に、
背後に気配を感じた。
「ジーク殿には本日よりご遠慮願いました」
「!シュナイゼル、どういう事?」
向き直って咎めるような視線を向ければ、シュナイゼルは表情も変えないまま答える。
「彼はいささか過保護すぎですから」
まあ、違うとは言えない。
だけど遠ざけるのは可哀想な気もするけど、シュナイゼルが私に厳しく接する意味も分かっているつもりだった。
「分かった、さぁ、行こう」
「随分物分かりが良いのですね」
少し小馬鹿にしたような口調に、私はシュナイゼルを見上げた。
そこには朝日に照らされた綺麗な銀髪と銀の瞳があった。
なんて綺麗なんだろう。
私は文句言ってやろうと思って見上げた筈が、口をポカンと半開きにして見惚れてしまった。
「俺の顔に何か付いてますか」
「はっ!..い、いや、なんもっ」
勢いよく視線を剥がした私の頭上からクスリとシュナイゼルが笑う声が聞こえた。
「わ、笑わないでよ!」
「笑ってません」
無表情でそう伝えて来るシュナイゼルだけど、さっき絶対笑ってた。
くそ...絶対笑い顔を見てやる..
何だか意地にも近い感情が湧き上がって来る。
「シュナイゼル、あなたは私の命令を聞く?」
「それは陛下の妹君ですから出来る範囲なら勿論」
私はその言葉を待ってたかのようにスタッと立ち止まり勢いよくシュナイゼルに向きを変えると指をさしながら仁王立ちした。
「シュナイゼル、笑いなさい!」
無表情の彼がやはり無表情で私を見下ろす。
あまりに反応がない為、居た堪れなくなってきた。
指した指先が震え、ひき結んだ唇も震えだした。
「クッ...」
シュナイゼルが口に拳を当てて声を漏らした。
顔を背けているが肩が震えていて、笑っていると分かる。
「笑ったわね!私の勝ちよ!フン!」
「笑ってません」
意地でも笑ってないと言い張るシュナイゼルだったけど、此方を無表情で見ているつもりの綺麗な形をした唇の端がヒクついていた。
「ま、まあいいわ...今日も頑張るぞ!オー!」
ガッツポーズを天高く突き上げて元気よく歩きだした私の後ろで、また我慢したような笑いが聞こえた。
前を歩く私はそのシュナイゼルの笑いに小さく笑いながら訓練場を目指したのだった。
シュナイゼルとの訓練はとても順調に過ぎていった。
気が付けば明日はカレドの王女とのデュエルの日だ。
あまり疲れを溜めないようにとシュナイゼルが訓練を早く切り上げ、私はリタがドン引きするくらいの食事の量を平らげて、早々に寝支度を整えた。
コンコン、ノックの音がする。
リタが扉に確認に行くと直ぐに私に声がかかった。
「マリア様、ジーク様ですが如何なさいます?」
夜着に着替えていたけれど、明日はいよいよ決戦の日だもの。
暫くまともに話も出来ていなかったので会う事にした。
「入ってもらって」
はい、とリタが短く返事をすると、
ジークが入ってきた。
「やあ、マリア、もう寝るところだったかい?すまないね」
「ううん、大丈夫」
相変わらずのキラキラだ。
彼はそっとベットに座る私の前に跪いた。
まるで古いヨーロッパ映画の騎士のように私の手を取るとその手の甲に軽く口付けを落とした。
うわっ、流石に照れるよねー。
というか私もこの世界に来て、こう言った互いの挨拶にはかなり慣れた。
だけどやっぱり綺麗なこの人にこういう事をされるのは中々照れるものだ。
「明日はいよいよカレドのアリーチェ様とデュエルだね」
「うん、緊張してる」
そう言うと、ジークは私の頬にそっと手を伸ばした。
その指先が優しくそこを撫でる。
「シュナイゼルが順調に仕上がったと喜んでたよ」
「え、喜ぶ?今日も散々言われたけど」
『まだ甘いですね、殺しに行くくらいの気持ちを持たなければ負けますよ。昔の貴女は俺が恐れる程に強かった』
シュナイゼルに最後に言われた言葉が脳裏を過った。
でも戦わない世界からやってきた私に殺すとかそういう気持ちは中々分からなかった。
多分それがシュナイゼルに勝てない原因だとも思う。
だって私がこの身体に入る前のマリアはシュナイゼルより強かった筈だもの。
黙ってしまった私に、シュナイゼルはため息を零し、一度だけ私の頭を撫でて去って行った。
何故かその手にほっとした。
「大丈夫かい?マリア」
先刻までのシュナイゼルとの事を思い出しているとジークが心配げに私を見つめたいた。
「うん、怖いけど、頑張る」
「あまり頑張らなくて良いと言いたいけれど、負けてしまったら取り返しが付かない。頑張れとしか言えない自分がもどかしい」
「ジーク..」
悲しげに微笑むジークの頬に、今度は私が触れた。
その手のひらにそっと頬を擦り寄せて瞳を閉じるジーク。
この世界で本気で私の事を心配してくれるのはジークとリタだけかも知れない。
とても大切な存在。
「心配しないで、必ず勝つわ」
「ああ...あまり長居しては駄目だね、そろそろ失礼しよう」
「もう?」
寂しげな私の声にジークが目を細める。
「そんな事を言ってはいけない。そんな姿の君を前にしてあまり自制が効かなさそうだ」
「っ...あ、お、おやすみ!」
クスクス笑う声がする。
私ってばなんて事!
熱い頬を両手で押さえてジークを見た。
その瞬間、頬にキスを落とされ、また目を見開いた。
「おやすみ、マリア」
「お、おやすみ..なさいっ」
これではまるで思春期の反応だ。
中身の自分を考えると少し笑えてしまうが、実際今は18歳のうら若き乙女なのだ。
ここはその反応で正しいと自分に言い聞かせた。
ジークが部屋を出て行ったと同時に私はベットへ潜り込んだ。
兎に角寝よう。
寝不足ではコンディションも整わない。
明日は万全でなければいけないのだ。
何も考えずに眠ろう。
私はそう呟き、眠りについたのだった。