アランドールの王女は逞しかった。
「ふぁ〜、……あれ?」
私はゆっくりと瞼を押し上げた。
目線だけで辺りを見回すとまだ浴室の次の間で、
裸のまま背中に薄い布1枚が掛けられた状態のままだった。
幸い寒い国じゃないし、
浴室で湿度もあるので風邪を引く心配は無さそうだ。
私は背伸びをしながら欠伸をし、
ゆっくりと身を起こして寝台の縁に腰掛けて足を地に付けた。
「アルマー?」
呼びかけたけど誰も来ない。
ふと気が付いたんだけど部屋の方が何だか騒がしいような気がして私はゆっくり立ち上がった。
何か着ようと辺りを探したら、
そこには多分エスタリアがくれた青い衣装が畳まれて置いてあった。
ヒラ、と広げてみたらそれは光沢のある絹に金の刺繍が施された上衣とスケスケの布に金糸が織り込まれた豪奢な布で出来たズボン的なものだった。
更にもう一枚ドレスみたいに長い、
ズボンと共布の頭から被るやつ。
なのかなこれ。
あとは金のジャラジャラの装飾品。
うーん。
これ着るのかー。
なんて唸っていたら更に部屋が騒がしくなり、
私は取り敢えず上衣とズボンを履き、
ベルトらしきものを装着して上から布を被った。
着方が合っているのかはさっぱり分からん。
しかし腹が……むき出しではないですかエスタリア。
だが幸い今の私はカレドのデュエル後という事もあり鍛えまくってるので腹筋がムキムキなので美しいのだ。
はてさてこの衣装で腹筋ムキムキが美しいのかどうかこの国の基準では分からないけども。
さてさて、
何故か抜き足差し足になりながら部屋への扉を少し開いて部屋を覗いてみた。
「……来客?私の部屋に?」
うーん。
扉を一度閉めて背中を向けて唸る。
侍女が何だか色めき立っていたように思う。
もう一度扉を開いて部屋を見た瞬間。
「ジーク!!」
「マリア!?」
私が目を見開いた先にはジークが居た。
何年も会ってなかったみたいに胸が詰まって込み上げてくる。
涙目になって部屋に飛び出して、
ジーク目掛けて飛びかかった。
そう、抱きつくんじゃない。
飛びかかった。
「うわっ!!」
「ジークーー!」
地を蹴った勢いのまま私はジーク目掛けて飛びついた。
「っ!」
激しい音がして顔を上げれば私を抱き止めたジークが顔を顰めながら尻餅を付いていた。
「マ、マリア痛いよ……」
「だ、大丈夫!?ごめん、つい!」
慌ててジークから離れようとした私だったけど、
一瞬でジークに抱き締められていた。
「マリア!良かった、元気そうだ」
「う、うん、元気だってば!」
プハッ!とジークの胸から顔を上げて見上げながら
私は笑った。
「チッ……一国の王女がなんたる姿だ。
情け無い」
「うっ!?」
むんずと背中を掴まれた感触。
むっ!この声は!
「シュナイゼル!!
引っ張ったら上が脱げちゃうじゃん!」
ぷらーん。
ジークから離れまいとジタバタした私を物ともせず私を吊り上げたのはシュナイゼルだった。
おおう。
シュナイゼルとジークの並びを久々に見たけどやっぱりため息ものだな!
なんて思ってるとクスクスと笑う声が聞こえた。
それはシュナイゼルの後ろから聞こえて、
私はそちらに視線を向けた。
「あっ、エスタリア!」
シュナイゼルを振り切ってエスタリアの腕に巻き付いた私を見たジークとシュナイゼルの顔が凍り付いた。
「「……」」
もうブリザード。
暑いのに氷点下かと思ったよ。
「マリア……少しばかり近すぎないかい?」
「婚姻前の娘が他国の王にべったりとは感心せんなマリア……」
「はぁ?エスタリアとは友達だから!」
ね!とエスタリアの前に立って衣装を広げてみせる。
「衣装、有難うね!着方間違ってない?」
「ああ、とてもよく似合う、綺麗だよ。
装飾品はどうした?」
慌ててアルマが金の装飾品を私に装着した。
「美しいな。
君の緑の瞳に金は良く映える」
「ほんと?」
またエスタリアと腕を組みながら私はふとシュナイゼルとジークを見た。
何故かまだ固まっている。
「失礼ですがマリア様……あのお二方はマリア様とどのような…」
状況を見ていたローランが私に小声で問いかける。
「私の盾と親友」
ニッコリ笑ってローランにそう言えば、
「はぁ……盾と親友、ですか…」
と不思議そうに返ってきた。
「どう見てもあの2人はお前に惚れておろうに、お前も罪な女だなマリア」
そう言ってくるエスタリアに「んな訳ないでしょー」と返しながら私はエスタリアを仰いだ。
まあジークの気持ちは知ってるけどシュナイゼルは全く分からない。
「良い香りだ」
「香油?有難うね。
散歩行く?」
「ああ、そうだね。お二人も散歩しながら話さないか」
エスタリアがジークとシュナイゼルに笑い掛ける。
流石に、ジークは王子だけあって既に毅然としていたけど、
シュナイゼルは不機嫌を隠そうともしない。
ブレないねぇ。
「エスタリア、そう言えばさっきね…」
妹に会ったよ、と言いかけた時。
「あらぁ、誰かと思えばお兄様の下品なお客様じゃありませんか。
先程はお世話になりましたわね」
後ろを振り返ればあの性悪ルカ姫が取り巻きを従えて立っていた。
今度は紫色の衣装に身を包んでいる。
黙ってればそこそこ可愛いのに残念だよね。
「ルカ!お前は!
アランドールの王女に何と無礼な」
突然やって来たルカの顔は私を睨んだまま。
エスタリアの叱責の声にも何処吹く風で私の前に歩み寄った。
ジリ、と顔を至近距離にまで近付けて
ルカはニヤリと笑い私の手首を捻り上げた。
「っ、い」
「私が受けた屈辱はこんなもんじゃありませんわよ。
見てなさいな、マリア様。
この国に来た事を後悔させて差し上げますわ!」
「ルカ!いい加減にしないか!」
エスタリアの声と同時に、
ガシャ!と数人が動く気配。
私は捻り上げられた腕から視線を離すと顔を上げた。
視線を上げた先にローランが顔を強張らせて立っていた。
今にもルカの肩を掴みそうになるローランを静かに制したのはまさかのシュナイゼルだった。
「ルカ様、マリア様があなたに何かなさったのでしょうか」
何とシュナイゼルはルカの横に跪き、途轍もなく破壊的な美しい笑みを浮かべてそう言ったのだ。
ほほう、外交モードな。
ルカはシュナイゼルを視界に入れた瞬間に
顔を朱に染めて私の手を慌てて離した。
「わ、私を池に落としたのですわ!」
シュナイゼルの目が私を一瞬睨む。
あーはいはい、言いたい事は分かってるんだ。
だけどやられっ放しはどーなの?
フン!とシュナイゼルに鼻を鳴らした私に唇の端をヒク付かせたシュナイゼルが気を取り直して
作り笑いでルカに頭を下げた。
「ルカ様、マリア様は幼少の頃より悪気なく乱暴を働いてしまわれるのです。
どうかお許しを」
シュナイゼルーー!!
アンタ私をどんだけコキ下ろすんだよ!と歯軋りしながらシュナイゼルを見下ろせば、
シュナイゼルは立ち上がりながらルカの手を優しく取った。
そう、あのシュナイゼルが優しく!
「あっ……」
ルカが恥じらいながら顔を赤くする。
何が「あっ……」じゃワレ。
女って怖いわ。
あ、私も女だった。
ジークが私に苦笑しているのが見えてキリっと顔を引き締めてシュナイゼルを見上げた。
「お許しいただけますか?ルカ姫…」
「は、はい……」
頬を染めて俯くルカに呆れながら私はエスタリアの腕を引いた。
「いこっ」
「すまない、マリア…」
「へ?何が?」
何で謝られてるのか解らずに私はポカンとエスタリアを見上げた。
逆に驚いた顔をされて私は首を傾げる。
やがてエスタリアが微笑みながら私の頭を撫でた。
「ありがとうな、マリア」
「だから何がー?」
クスクス笑いながら私とエスタリアはシュナイゼルを置き去りにして庭へ出た。
「マリア、ルカには気を付けなさい」
「……アルマにも言われたんだけど
そんなに強いの?」
「いや、武が秀でている訳では無いんだ。
あれが秀でているのは別の……」
言葉を濁すエスタリアの顔が辛そうに歪む。
「分かった気を付けるよ」
微笑んでエスタリアを見上げる。
「マリアは本当に裏表のない人だな。
だから君は人に好かれるんだな」
「え?そんな事ないと思うよ。
シュナイゼルの事呪ってやろうかと何度思ったか」
「シュナイゼル殿と仲が良いのだな」
「んな事ないよ、シュナイゼルは鬼だよ鬼。
ジークの方が優しいし」
シュナイゼルの事を語ると自然に顔に皺が寄るらしく、例の威嚇顔が自然と発動しているようで
エスタリアは面白そうに笑っていた。
「後でジーク殿とシュナイゼル殿も一緒に酒を飲もうか」
「あ、うん、でも今日はちょっと疲れたかな…
明日でも良い?」
エスタリアがここまで回復した事、
ジークとシュナイゼルが来てくれた事、
ルカとの事。
なんかホッとしたのか力が抜けて
どっと疲れが出ていた。
せっかく気を使ってくれたエスタリアには悪いけど、エスタリアだってまだ病み上がりだし。
「では明日以降、都合の良い日に宴会をしよう」
「うんっ」
外はいつのまにか日暮れどき。
赤く染まる空を見上げると何だかホッとした。
「マリア様、おはようございます」
ルカの声が遠く聞こえる。
あれ、おかしいな……
何か足が凄く痛い………
「マリア様?」
「………ア、ルマ…足が…」
「どうかなさいました!?マリア様!」
ガバリと私のベッドに飛んできたアルマが布を捲り上げて青い顔をする。
「さ、蠍!!」
「え……」
痛みを堪えながら上半身を起こして見れば
足元や腕の辺りにも全部で7.8匹程の蠍が尾を上げてウロ付いていた。
「き、きゃあああっ!」
足がいっぱいあるのはダメ!
長いのもダメだけどこれも無理ーーー!
テレビで見た事あるアレですよあなたアレ!
死ぬ!
私死ぬ!?
アルマが必死にバシバシと蠍を払いながら私の腕を引いてベッドから離す。
右足を見ればいつもの倍にも腫れていて
赤黒くなっていた。
「なんの騒ぎだ!」
「エスタリア様!」
飛び込んできたのはエスタリアだった。
私の足を見た後サッと顔色を変えると侍女にローランを連れてくるようにと指示を出した。
程なくローランが息急き切って現れ、
直ぐに私の足を見て私を抱え上げた。
「安全な場所にお移しします、直ぐに侍医を呼びますのでご辛抱を」
「…ローラン、私、死んじゃう?凄く痛い…」
「大丈夫ですよ、あの蠍は猛毒ではありません。
ですが非常に痛みが強く出ます。
辛いと思いますが数日ご辛抱を…マリア様、本当に申し訳ありません…」
「…っ…あんな数自然に入り込んだんじゃ無いよね、
誰かが放ったんだよね?」
「…直ぐに真相を暴きます…」
痛い。
兎に角痛い!
生きてきた中で1番痛い!
アリーチェと闘った時よりはるかに痛いー!
誰だ
誰がやったんだ許さん!
私は心の中で姿の見えない敵に向かい悪態をつきまくるのだった。