あの時(2)
「あの時俺は・・・マリアを守ろうと・・」
シュナイゼルを見上げるジェレミーの顔はどこか必死で、
彼の言葉は決して口から出任せを言っているという雰囲気ではなかった。
苦々しい表情を浮かべて彼を見下ろすシュナイゼルだったが、ジェレミーの言葉が一体何を指すのか考えた所で用意に答えは出ない。
「あの時とは6年前のお前がしでかした事件の事か?」
「っ・・・そうだ・・・あの時父がマリアに・・・」
「アルバーンが?どうした。あのクソ野郎がどうしたって?」
「・・・・そんな風に言うな・・・父だぞ・・」
唇を噛み締めながらシュナイゼルに睨みを利かせるジェレミーに「ハッ」と馬鹿にしたような息を漏らしたシュナイゼルが屈んだままのジェレミーの襟首を掴み上げて立たせた。
「父ではない。お前にとっては父親だろうが・・・俺にとっては単なるクソ野郎にすぎない」
「っ、シュナイゼル!」
ジェレミーを目で殺せるのではないかと言うほどの眼光でシュナイゼルはジェレミーを睨んだ。
そうだ、このいけ好かない顔、澄ました顔。
俺は何でも許されるんだとでも言わんばかりの鼻持ちならない態度に寒気すら覚える。
この男はあまりにもアルバーンに似ていた。
双子であるにも関わらずだ。
「お前が父上に否定されてきたのは知っている・・・だが・・」
「だが何だ」
シュナイゼルがジェレミーの衣服をギリギリと締め上げ、ジェレミーが苦しげな呻きを上げた瞬間に背後から中年の男性の声が掛かった。
「ジェレミー・・・・今日はお前はどうしてしまったんだ」
「!・・・ちち・・うえ・・」
「何度私の手を煩わせるのだと聞いている」
威圧的な父親の目線にジェレミーはその視線を外すように虚空にさ迷わせた。
それに対してシュナイゼルはゆっくりとジェレミーの服を離しながら身体ごとアルバーンに向き直る。
「これはアルバーン宰相。」
「シュナイゼルか・・・同じところに住んでいても会わぬな。」
言葉こそ我が子を気遣うようなものだが、その態度にはおよそ親子とも思えぬ空気を漂わせており、
またシュナイゼルも口では丁寧に話しているものの、その目の色は侮蔑を宿してアルバーンを見ていた。
シュナイゼルにしてみれば他者から聞いたアルバーンのひととなりが全てであり、決してそれは人として尊敬出来る類のものでは無いのだから当然と言えば当然なのだろう。
それに加えて血の繋がりだけは認めざるを得ない弟の愚行ぶりを見てしまっては最早信頼関係が回復するとも思えなかった。
「宰相が私の居る所を避けておられるので会うわけもございません。」
「お前を私が避ける?何故そんな事をせねばならぬ。」
はァ、と面倒臭そうに鼻からため息を吐いたシュナイゼルがジェレミーを掴んでいた手を見せ付けるようにパンパンと払い、ゆっくりと口を開いた。
「ともかく、その息子さんをマリア様に近づけないで頂きたい。
あの事件を思い出されると厄介なのはあなたなのでは無いですか?」
「・・・・・・・」
「では、マリア様の所へ行きますので失礼します」
「待て」
踵を返したシュナイゼルの背にアルバーンが呼びかけた。
その声には多少の焦りにも似た何かを感じて、シュナイゼルはゆっくりと目線を肩越しに向けた。
「何か?」
「お前は・・マリア様・・いや、女神について何処まで知っている?」
僅かな間だけアルバーンの顔を見たシュナイゼルが口の端を引き上げて皮肉な笑みを漏らした。
「俺は『盾』だ。あなたが知っている事は知ってるんじゃないですか?」
「っ・・・そうか、なら・・」
「なら、なんです?マリアは王座を揺るがしかねないから、
今よりも女神の力が増す前に殺せとでも?」
「っ・・・!・・その口振りなら知っておるのだな、私の役目を」
その言葉にシュナイゼルの目に殺気が走った。
射殺さんばかりの目線にアルバーンの足が一歩下がった。
曇天に雲が垂れ込み、二人の険悪さを寄り一層助長しているかのようだった。
「役目?・・違うでしょう。あなたが都合の良い王を選ぶための都合が良い代物を持ってるだけだ」
湿気を孕んだ空気が二人の雰囲気に尚一層鉛の様な重さを充満させる。
その空気を破るようにアルバーンが喉の奥で僅かに引き攣った笑いを漏らし、さも可笑しそうに目を半月の形に曲げた。
その様相は異様なものに移り、シュナイゼルは眉を潜め、ジェレミーはその場で父親の変化に息を呑んだ。
「そうだ・・・私は実質・・この国の支配者だ。否定はしない」
目を見開き、そう呟くアルバーンには狂気が浮かんでいた。
長い時の中、この国に於いてアルバーン家は絶大な力と権力を誇って来た。
もちろんそれは優秀な人材が多く輩出される家系であるのも大きいが、もっと大きいのはある力の代々の継承によるものだ。
これによって王家はアルバーン家を軽視出来ない。
「何を勘違いしておられるのか知らないが、この国の王はヘイル様だ。いかにあなたが『神殺し』の印を持っていようとも、それは持っているだけに過ぎない」
「我がアルバーン家に代々引き継がれて来た印だ。お前にはやれんが」
「いりませんよ。ごめんですね」
アルバーンは肩に手を充てながら意味ありげに笑った。
元よりこの男に息子と認められていなかった事に天に平伏して礼を言いたいくらいだ。
それを思えばこんな狂った親に育てられたジェレミーは可哀想にすら思えてくる。
状況が掴めないジェレミーはまだ父親にその印の事を知らされていないようで、動揺も顕にその視線をさ迷わせていた。
「では私は」
「マリア様に宜しく伝えてくれ。ジェレミー行くぞ!」
ジェレミーの肩を強引に押しながらアルバーンは去って行った。
先程のジェレミーとのやり取りの中で、ああしなければマリアは。と言う言葉があった。
シュナイゼルの中で何かがカチリと音を立てて嵌った気がした。
「そうか、成るほどな・・・。いくらジェレミーでもマリアにあんな事をするとは考えられなかったが」
「シュナイゼル様!」
後ろから走りよってきたリタは真っ青な顔をしながらシュナイゼルの背後に追いついた。
「おいリタ」
「はい!何でしょう?!」
「今後一切マリアを一人にするな、分かったか」
何が何だか、と言う表情だったリタだったがシュナイゼルの凄みのある声に何かを察したように頷いた。
「分かりました!」
「よし、これを渡しておく。これがあればいつでも俺を呼べる」
「?これは・・・・マリア様の守護石?」
「そうだ、同じ物だが通信機のような役割もある。俺が必要になったらこれに念じろ」
「念じる・・ですか・・・」
「ああ」
「分かりました!」
察しが良くて助かる、とシュナイゼルは忠実なマリアの侍女に僅かに満足そうな表情を浮かべると、
そのままマリアの居室に向かった。
寝殿とは一言に言っても母の住まう女神の神殿程には大きな建物だ。
長々と続く通路を通り、美しい装飾の施された大きな扉の前にたどり着き、
リタがその扉の前で声を掛けると静かにその扉は開いた。
「気分はどうだ」
「あ、シュナイゼル」
ぽかん、と口を開けたマリアに眉根を寄せて歩み寄ると、
シュナイゼルはいきなりその細い顎を掴んだ。
「いてっ!何するのよ!」
顎の先を痛いほど掴まれたマリアが涙目でシュナイゼルを見上げる。
瞳の色は輝くグリーン。シュナイゼルはその瞳の色に僅かに安堵のため息を吐き、
やれやれ、と言ったように手を離して肩を竦めてみせた。
「マリア、女神が降りたそうだな。朝別れてそう経って無いというのに騒がしい事だ。」
「あれが?何か良く分かんない。カレドのデュエルの時とは全然違う感覚だったし。」
「まァそうだろうな。アレは滅多な事では降りてこない。」
「アレって女神?うっすらと記憶はあるんだよね、何かジェレミーを襲ってたね。」
「お前な・・・人事みたいに・・。」
マリアはシュナイゼルの白い目線の前で優雅に紅茶のカップを持つと一口それを飲んだ。
「開き直るとかあきらめるとか、すっごい得意だから」
「・・・・」
どこか遠い目をするマリアの顔には色々な感情が読み取れた。
記憶を失ってからというもの、以前のマリアとは少し違い、こういう物憂げな表情を良く見せる。
自分はあのカレドとのデュエルが行われるまで暫し距離を置いていたが、
それでも盾としての役目は重々承知していたし、いつかはマリアの元に戻らねばと思っていた。
距離を置いていたのも、冷たく接するのも自分の都合だが。
とシュナイゼルはもう一度深くため息を吐く。
「ねぇー。辛気臭いため息吐くなら出てって。もう大丈夫だし。」
「明日から少しコントロールの訓練を教える」
「えーーーーー、また訓練ーーー」
ぶーーーー!
と相変わらずの凄い威嚇顔でシュナイゼルを見上げれば、不意打ちをくらったのかシュナイゼルが僅かに唇の端をヒクリと動かした。
「・・・マリア、女神はアルバーン宰相を疎ましく思っている。ジェレミーも然り。あの一家には極力近づくな。」
良いな?と念を押してシュナイゼルはマントを翻して出て行った。
大きな柔らかいソファに脱力すると、リタが慌てて駆け寄ってきて心配そうに覗き込んで来た。
「マリア様、本当に大丈夫ですか?兎に角シュナイゼル様にご報告しましたが、何か解決しました?」
「うーん・・・解決って・・・出来る問題なのこれ?
兎に角、私の中の女神ってやつと仲良くやって、出来ればその力を利用させてもらいながら
共存してくのが最善って事は分かった。」
「マリア様・・・リタはずっとマリア様のお側にいますから・・」
「ん、リタ。ありがとうね」
大好き、と抱きしめたらリタが顔を真っ赤にしながら微笑んだ。