誰が敵か。
神殿からの帰り道、ジークと肩を並べて歩いていたら庭園から城に続く道にブルネットの髪を見つけた。
相手はまだこちらに気がついていないようだったが、
ジークがその存在に気づいた瞬間に僅かに緊張を漲らせたのを感じた。
「おや、マリア様ご機嫌いかがですか」
「……あまり」
あなたの顔を見たからね。
とは言えないけど、彼のグリーンの瞳に真っ直ぐに見つめられて何だか鳥肌が立った。
普通ならこんな人に見つめられたら赤面してキャーンって言う所なんだろうけど。
「シュナイゼルと神殿へ?」
「え?まぁ、うん」
シュナイゼルとジークの話を総括すると決して良い人とは言い難いこのジェレミー。
そのエメラルドみたいな澄んだ瞳の奥にどんな黒い影を隠しているのか見当もつかない。
噴水での一件の時のシュナイゼルとジークの反応。
よく帰ってこれたなというような雰囲気。
そこに私が関わっているという確信。
知らず知らず、難しい顔でジェレミーを見上げていたのか、彼がクスリと笑った。
「庭の噴水では自分を抑えきれずに失礼しました」
「……」
す、と不躾に伸ばされて来る指先にピクリと反応した瞬間、そのジェレミーの指先をジークが払った。
「無礼だな、ジェレミー……君は昔からマリアに近寄りすぎる。
臣下の息子なのだからもう少し敬意を払わなければいけないと思うんだが」
払われた指先をぎゅっと握りしめたジェレミーが不敵な笑みを漏らしながらジークを見た。
「あなたも似たようなものだろう?ジーク様」
カチン、と来たのはジークでは無く私の方で。
「無礼よジェレミー!ジークは王子よ?!あなたは臣下。立場をわきまえなさい!」
「マリア…僕は別に…」
私の激昂した様子にジークが目を見張ってやんわりと止めに入ってくれたんだけど、
私の怒りは収まらない。
なんかイラつくのよ、この人を見てると。
その時だった。
不意に頭に響く甲高い声。
『________や、やめてっ』
「________?!」
『お願い出して!これを、外して!』
「……っ」
『ジーク!シュナイゼル!………テオ!助けて!」
「…テオ…?…い、いや……」
「マリア?!」
頭の中の声がうるさい。
それは段々と大きく、悲痛に響き始める。
頭痛がする……。
身体が熱い……!
「しっかりするんだマリア!」
「ああッ!ジーク!ジーク助けて!」
目の前が白み始める。
ジークは蹲った私の肩を抱き寄せてくれた。
虚ろな視線でジェレミーを靴の先から顔に視線を這わせれば、ジェレミーは青い顔をして私を見下ろしていた。
僅かに震えている。
「ジェレ、ミー……あなた、私に…何…を?」
「マリア!大丈夫だ、僕がいるから!」
「うっ………!あ、あ…………」
瞳に熱が篭る。
目が焼けつく様だ…。
「マリア!瞳の色が!」
「え……何?………っ、くるし…あつ…」
そう絞り出した瞬間。
カッ________!
「!?」
紅い光が私の身体に、落雷の様に落ちた気がした。
そこで『私』の意識は途切れる________。
目も開けられないほどの光がやがてマリアの中に吸収されるように吸い込まれていった。
マリアの身体がフラリと揺らめきながら立ち上がる。
すうっと上げられた顔。
「マ、マリア……?」
『だぁれ?……この子を虐めたのは……?』
「っ?!」
目を見開いたマリアにジェレミーとジークは戦慄を覚えた。
頭から氷水を掛けられたように青ざめていく顔。
それとは対照的に恍惚とも取れる表情を浮かべているマリア。
ゆらゆらと揺れながらジェレミーに近付く。
やがてジェレミーの前に立ったマリアがゆっくりと黒髪を唇に張り付かせたままジェレミーを舐めるように見上げた。
『ああ、お前か……またこの子を虐めたのは……忌まわしい……あの男の倅めが…』
「ヒッ?!」
ザッ!と後ろに下がり掛けたジェレミーだったがそれは叶わなかった。
マリアが目にも見えぬ速さでジェレミーの首を掴んだのだ。
自分より随分背丈の高いジェレミーの首を突き上げるように掴むその表情は笑みが浮かんでいる。
『苦しい?…あはっ…女神に汚い手で触れたのだからこれくらいは我慢しなさいな……うふふ…ははっ』
「マリア!やめるんだ!」
マリアを止めようと飛び込んだジークだったが、マリアの周りに何か見えない障壁のようなものがあり、逆に弾き飛ばされて後ろに倒れてしまった。
マリアの髪が逆立ち、それと同時に花が花弁を散らし、木々が激しく揺れる。
舞い散る木の葉や花弁がマリアの恐ろしい程に整った美しい顔を禍々しく彩っていた。
ジークはその光景を只見ているしか出来ない。
変わり果てている目の前の愛しい人が遠くに行ってしまうような頼りない心細さが全身を包んでいた。
「マリアっ!戻って……きてくれ…」
小さな声でそう絞り出すのが精一杯な自分を酷く恥じながら、ジークは自分の胸元を掴んだ。
「僕は…」
「何の騒ぎだ」
低い威圧感のある声が張り詰めた空気を切り裂くように響いた。
その声が聞こえた瞬間、ジェレミーの首を掴んでいたマリアが目を見開きその声の主を振り返る。
『アルバーンか……』
「おやおや、女神様がご降臨でしたか」
『憎まれ口を』
「お久しぶりですなぁ」
ニヤリと笑うアルバーン宰相をジークは驚きの表情で見上げた。
だっておかしいではないか。
自分もジェレミーも恐怖で動けない中、宰相は平然と、いや寧ろ余裕綽々といった佇まいでそこに居た。
この人外の力を目の当たりにして平然としているなど到底あり得ない事だ。
「息子を離して貰えませんかな」
『此奴は私の宿主に無礼を働いた。到底許せぬ』
「ほぅ、あの5年前の事をまだ根に持っておいででしたか?」
『っ貴様!』
ジェレミーを地面に叩き付けるように解放した直後、マリアは宰相目掛けて襲いかかった。
「アルバーン宰相!」
ジークが目を見張る。
だがジークは見た。
マリアが襲いかかりその蹴りが宰相に届く寸前、宰相がニヤリと笑ったのだ。
そして宰相の周りに青い障壁のようなものが現れる。
ソレはマリアを見事に弾き飛ばし、地に転がした。
『おのれぇぇえ!!!忌々しいアルバーンめッ!』
「ははははは!私には手出し出来ませんよ女神様」
高らかに、誇らしげに、そして高揚したように笑う宰相。
ジークは驚きの表情でそれを見つめた。
「アルバーン宰相?それは…」
ジークの問いかけに宰相の眉がピクリと動き、その視線をジークに向けた。
「ジーク殿か。はは、貴殿に話したところで…『女神様』が何たるかマリア殿に教わったら私の事も教えて差し上げましょう」
『神殺しめ……いつか貴様を…』
「神殺し?…」
「ではジェレミーは返して頂きます」
息子を肩に担いだ宰相が颯爽と踵を返して去って行った。
ジェレミーと同じブルネットの髪が視界から消える頃、ジークはマリアを振り返り駆け寄った。
「マリア?いえ、女神様…ですか?」
肩を抱き上げながらおずおずとそう聞けば、マリアの紅い瞳がジークを見上げた。
『ジークか…アルバーンには気を……付けろ』
「え?…」
ジークの返事を待たずにそのは瞳の色は吸い込まれるように色を失い、代わりに本来の美しい宝石の様なグリーンが浮かび上がった。
「マリア?……マリア、良かった…」
「あ、ジーク……?」
ぼうっとしているのかマリアの視線は揺れていた。
頭が整理できないのか髪にその細く白い指を差し込み、グシャリと握りこんでいる。
その手をゆっくりと自分の手で包み込み、ジークはマリアを引き寄せて抱きしめた。
「良かった……本当に…っ」
ごめんね、とマリアの小さな声を聞きながらジークは暫くそこから動けないでいた。