ノラネコの生き方
吾輩はノラネコである。
・・・とでも言っておけば、お前たち人間は喜ぶのであろう?
何、思っていたのと少し違う?ええいやかましい、口応えするでないっ!
※
先ほどのような挨拶をしていて何だが、“吾輩”という言い方はいかんせん性に合わぬ。言葉の響きがどことなく肥え太って感じるのだ。このすまーとで優美な体に似合っていない。
よってただいまより、自分の事を“余”と呼ぶことにする。王族の如き威厳のこもった響き、これこそふさわしいであろう。
では改めて。
余はノラネコである。
※
余はそこらのネコと一線を画す誇り高き存在、一匹猫である。
誇り高き余はもちろん聡明だ。それは人間の言葉を理解出来るだけではない。わずか齢十一か月にして、ふぃぼなっち数列を理解した程に算術に長けてもいるのである。
であるから。余がそこらの人間より優れていることは明白である。この街の人間はおしなべて皆、余の忠実な下僕であるのだ。その証拠に、余が扉の前で一声鳴くだけで、そこの住人は喜色満面の笑顔で余に煮干しを差し出すのである。
人間どもが余の手中にあると思うと、まっこと気分が良い。
余には家族はおらぬ。かつては弟がいたこともあった。だが、人間が作った“さあくる”とかいう集まりに入り浸っているような猫は、もはや家族ではない。
一度余が様子を見に行った時など、若い人間の“つがい”に文字通り猫可愛がりされておった。女の膝の上を独占し、されるがままに撫でられていたのである。その様子を男の方が幸せおーら全開で眺めている様は、堕落もここに極まれりといった具合であった。
・・・べ、べつにうらやましかった訳ではないぞ!
※
にゃん。
うむ、失礼した。怒りのあまりにあらぬ事を口走ってしまったようである。
おわびに余の武勇伝を一つ聞かせてさしあげる。ありがたい話であるから、今のうちにその腐りきった耳の穴をかっぽじっておくことを勧める。
良いであろうか。
では、始める。
※
その日、余は公園に置かれたベンチの下で、過ぎ去る時の流れに身を預けて優雅に佇んでいた。言っておくが惰眠を貪っていたわけではない。余はその知性を余すことなく用いて、夢と現の狭間で崇高なる思索にふけっていたのである。
だがそれは、突然やってきた人間の“つがい”に寄って遮られた。余の弟を可愛がっていたのとはまた別のつがいであったが、幸せおーらは負けず劣らず凄まじい。やつらはさも楽しそうに、余の頭上で話し始めた。仲睦まじきことである。
しかし。時間がたつに連れて、人間二人の会話はだんだんと棘を帯びてくるようになった。
たとえ以心伝心の二人といえども、ひょんな事からすれ違いは生まれうる。今回はそのぱたーんだった。
『一体何なんだよっ!』
『だからそうじゃないって言ってるでしょう!?』
にゃんということであろうか。
さすがの余でも、この中に割って入ったり口を挟んだりは出来ない。ベンチの下で静かに息を潜め、事の顛末を見守るのみであった。
『もう好きにしろ・・・!』
男の方が肩を怒らせて立ち去った。あーあ、である。
余はベンチの下から這い出た。女はしおれた菜っ葉のような姿で、静かに頬を濡らしている。余はそれを見て、ベンチに上がり女の隣に座った。紳士たるもの、悲しみにくれるまだむを放ってはおけまい?
「にゃあ」
『・・・・ネコちゃん?・・・・なぐさめてくれるの?』
そうだ。今回は特別であるぞ。
「にゃあにゃあにゃお」
『ふふ・・・・ありがとう』
「にゃにゃにゃ、にゃにゃお」
無理して笑っても痛々しいだけだ、女よ。
それよりもお前にはやることがあるであろう?まだ間に合うぞ。男の背中はまだ見えている。
余はそう言ったのだが、目の前の女にそれが伝わった気配はなかった。猫は人間の言葉を理解できるが、人間は猫語を解さない。呆れるほど低脳な生き物である。
女の手が余の方へ伸びてきた。どうやら余を撫でるつもりらしい。そうやって悲しみを癒そうというのか。それならば、まあ撫でさせてやるのもやぶさかではない。
だが余は、ちょっとばかりおせっかいなのである。
「にゃあっ!」
閃光一線!余が放った鋭い爪の一撃が、女の手の甲に赤い川の字を刻む。
『痛っっ!!』
女は結構大きく悲鳴を上げた。当然である。痛くない筈がない。
さて。
向こうを向けば丁度、男がこちらへ駆けてきていた。余の予想通りである。もし男に少しでも女を想う気持ちが残っていたなら、悲鳴を聞けばすぐに戻ってくるだろうと余は踏んでいたのだ。
『真奈っ!』
男が来る前に余は草むらの中へ姿をくらます。振り返って、スズメノカタビラの間から顔だけ出して見れば、男は女の手を取って心配そうな顔で何かを言っていた。
『早く手当てしないと』
『大丈夫、大した傷じゃないよ』
という具合であろう。
女よ、そっけない風を装っているのだろうが、嬉しがっているのがバレバレであるぞ。やはりお前も男のことが好きなのであろうが。
何ともうらやま・・否、微笑ましいことである。
やがて二人は、来た時のように仲睦まじく歩き去って行った。
うむ、これにて一件落着。
一仕事を終えた余は、一つ大きな欠伸をした。
今日もこの街は、余の働きのおかげで平和である。
※
余はノラネコである。
そんじょそこらのネコとは一線を画した知性を有し、齢十一か月にてふぃぼなっち数列を理解した。この街の人間は、おしなべて余の下僕である。
今日もまた街を行き、忠実なる下僕からの献上品を受けとって歩く。
さあ、そこな人間よ。早くその煮干しを寄越すがいい。
余は声を大にして訴える。
「にゃあ」